悪夢の任務
体調不良で遅れました
【帝国軍第三特務部隊 隊長 マルムーク】
「あれが全部、
呆然と空を見上げるマルムーク、その声は掠れていたが不思議と良く通り、居並ぶ帝国『広報部隊』の頭に響き渡った。
「嘘だろ!」
「逃げッ、逃げましょう!」
「あ、う、あああああぁ」
無理も無い、空を黒く染め上げる程の
正に恐慌、この『広報部隊』いや、『帝国軍第三特務部隊』は寄せ集めに過ぎない。特務部隊なんて名ばかり、特殊な訓練など一切受けていなかったのだ。
だがそれで十分な筈だった。第一、第二特務部隊は王国や大森林へと逃げ出した犯罪者を追うために、国外で活動する訓練を受けたエキスパート。
対して急造の第三部隊は、王国に侵入し、目の届かぬ村で麻薬や贋金をばらまいたり、時として略奪を行うなど、戦争を前提にした単純な暴力機関と成るべくして設立された。
大森林の攻略を達成し国力を増した帝国に王国が危機感を抱く、そして帝国の脅威を声高に叫び、やがて戦端が開かれる。
そんな事態を想定し、第三特務部隊は立案され、
が、
目新しい技術や魔石が有れど、肝心の支配は予想以上に難航した。そして追い打ちとなったのは蔓延する流行り病だ。
しかも、それが帝国自らが引き起こした事態と言うのが笑えない。帝国は
まるきりオカルト話、
いっそ知らせずにいてくれればとマルムークは願う。そうしたら彼だって化け物の大群を前に蜘蛛の子を散らす様に逃げる事も出来たのだから。
だが、彼は現場指揮官。彼はこの場に守る物が多過ぎた。
まずはその帝国の秘密兵器。アイクと言う男が偶然にもこの場に持って来てしまっていた。
いや、偶然ではない、今後スフィールで行われるユマ姫の捕獲作戦、そのどさくさで破壊などと言う事が無い様に持ち出されたのだ。
その原因となったユマ姫、これもまた作戦目標であり、殺す訳には行かない。いつも以上に念を入れた上層部からのお達しだ。その身柄に帝国の命運が掛かっているとまで言われれば逆らう言葉は持たない。
そして当然部下達、現場指揮官としてヒヨッコの彼らを守る義務がマルムークには有った。
とは言え、訓練もソコソコのヒヨッコ達、普通だったら制止も聞かずに逃げ出す所。そうなってしまえば指揮官にはどうし様も無い。
しかし、
其れを見た兵たちの足が止まり、ギリギリの所で部隊は瓦解せず、マルムークの指揮の下、
ではそのまま撤退出来るのか?
否。撤退した場合、例の兵器の扱いが問題となる。抱えて移動する事は出来ない、
撤退するならこの兵器は諦めるしか無い、するとどうなるか? 王国の手に渡るに違いないだろう。
マルムークは帝国軍人として、それだけは看過できなかった。しかし吸い込んだ生命力を蓄えたこの兵器。聞けば破壊すれば何が起こるか解らず、それすらも難しい。
それ以前に、この兵器を大森林に届けられるか否かが、大森林でいまだ続く
せめて、持ち出さず馬車に載せたままで有れば、どさくさに紛れ馬車でそのまま離脱出来た。
しかし馬車を徴発されそうになり慌てたマルムークとアイクは、衛兵の一瞬の隙を突いて自陣にまで持ち込んでしまった。
最高のファインプレーが一転、最悪の失策となってしまう。
考えれば考える程に今の状況、マルムークには呪われているとしか思えなかった。
しかし、そんなマルムークには秘策が有った。
この秘密兵器。奪われる、もしくは壊されるぐらいなら、いっそ起動してしまえば良い。
大森林からの報告が本当であれば、この兵器は周囲から魔力を奪う。魔力が奪われた
そして、脅威で無くなるのはターゲットのユマ姫も同じ、怪しげな魔法を封じる事が出来る。これこそ一挙両得、起死回生の一手と思われた。
「
マルムークは大声で兵を鼓舞し、アイクには兵器の起動を命ずる。大森林へこの兵器を届ける役目を負ったアイクは溜め込んだ健康値を損なう事に必死に抵抗したが、それにも限界が訪れる。
マルムークに殴られ、更にはアイクの部下が
効果は劇的だった。
霧を見た
「犬を出せ!
ここで、マルムークは切り札を切る。
犬、それも軍用犬だ。
帝国は近年、革新的なアイデア、技術を次々形にしているが、軍や警察で徹底的に訓練を施した犬を使う事もその一つ。
今までの犬の使い道は精々が番犬、警備用だけだったが、近年は犯罪者の検挙や密輸入の監視に非常に大きな成果を挙げていた。
今回の任務では夜間や街中での捜索を想定し、まだ数も少なく高価な軍用犬を三匹も用意していた。その鼻は霧で視界が悪くなった中で、存分に活躍するように思われた。
「しかし隊長! ユマ姫の所持品がありません」
しかしどんなに嗅覚が優れた犬でも、匂いを特定できなくては意味が無い。しかしそれも大した問題にはならない筈だった。
「これを使え、タナカとか言う護衛の物だ」
そう、護衛のタナカは名の通った大男、事前に古着の一つ、帝国にしてみれば入手するのは容易かった。
人間の癖に
大きな上着を犬に嗅がせ、「探せ!」とブリーダーの男が命じれば、スラリとした体躯の真っ黒な犬達が一目散に駆け出して行く。
「うへへぇ、タナカァ待ってろよー」
下卑た笑いで犬を追い駆けて行くのはブッガー、問題行動が多い男で、マルムークとしては対タナカ用にと上層部から押し付けられた格好なだけに、せめてこの機に働いて貰わねば困る。
霧によってひとまずの安全を確保し、後はユマ姫の確保と兵器を無事に搬送すれば任務は完了。兵器の搬送はアイクの専門で手伝えることは無い。そして残る仕事をブッガーに任せられる筈も無い、マルムークも姫を追うべく、兵器に背を向け駆け出した。
その瞬間。
――グガアアアァァァン
金属が引き裂かれる、けたたましい破裂音。
「なっ!」
振り向けば白い霧の中で、さらに白い壁が迫って来る。マルムークは瞬時に悟る、兵器が破壊された、恐らくは制御に失敗したのだ。
「クソッ!」
とことん運が無い。しかし其れで全て諦める訳にも行かない
「皆の者、付いて来い!
最早全く視界が利かない白の世界でマルムークは叫ぶ、兵器を無事に搬送する事は叶わなそうだが、破壊する事で、最低限王国の手に渡る事は防げたと前向きに考える。
後は、残りの仕事の成果で帳尻を合わせるしかない。
「私はココだ! 続け! 続けぇぇぇぇ!」
マルムークが殊更に大声を張り上げるのは霧で全く視界が利かない所為だ。見えるのは精々自分の肩や胸元まで。
そう言えばと、マルムークはふと自分の胸元を見る。マルムークには隊列制御用の笛が与えられていた。
とは言え、ただのお飾り。音は出るが、音の意味を知る隊員が居なければ意味が無い。
しかし自分の位置を知らせるだけ、それならこれは使えるかも知れないと。マルムークは首に掛かった笛を咥え、思い切り息を吐く。
――ピィィィィィ
澄んだ笛の音、これなら通りも良い筈と気を良くしたマルムークは、声出しと笛を交互に繰り返す。
「続け! 続けぇぇ!」
――ピィィィィ
マルムークは笛を吹きつつ声を上げ、自身は時折聞こえる犬の鳴き声を頼りに、足元すら覚束ない白い世界を駆けて行く。
彼には先に誰が居るのかも、後から誰が付いて来るかも解らない、それでも止まる訳には行かなかった。
「ぐあっ」
駆け出すマルムークは生暖かい壁にぶち当たった。
ふさふさとして柔らかく、まるで生きているような
……そこまで思った時に気が付いた。
――ドードゥー
「なっ!」
間近での鳴き声。壁の正体はドーガーと呼ばれる
が、考えてみればこれだけの霧だ。逃げきれない
マルムークは慎重に
しかし、こんなのがウロウロしている様なら、大きな音を出すのは憚られた。慎重さを取り戻したマルムークは、白い霧に閉ざされた世界を窺う。
そこに黒いシルエットが立ちふさがる。
「うっ?」
それは、ゼスリード平原を悠々と飛んでいた妖獣、鷲頭にネコ科の胴を持つ化け物だった。
――ビィィィィ
正に蛇に睨まれた蛙、相手は
それが首を伸ばし、マルムークの事を間近で睨む。冷や汗が止まらずグラグラと地面が揺れているのかと疑う程のプレッシャー。
しかし妖獣はマルムークには興味無いとばかりにプイと顔を背け、いずこかへと去っていく。
「ハァハァハァ」
荒い息をつく、長い間呼吸を忘れて居たかのよう。フラフラと立ち上がると追いついた部下ら声が掛かる。
「隊長? どうしたんですか? 隊長?」
「気を付けろ、そこら中に落ちた
「
そこからは部下と共にゆっくりと進む、合流できたのは精々が二十名程。死んだ者も少なく無いだろうし、何よりこの霧だ。悪く無い数だと思う事にしてマルムークは先を急ぐ。
そして遂にゼスリード平原の端、森の前まで辿り着く。
「お待ちしていやした、匂いを追って来ましたがこの足跡です、大きいでしょう?」
待って居たのは五十過ぎのブリーダーの男、犬は二匹。だが犬は三匹の筈だしブッガーも居ない。
「あの大男ですか? 犬を一匹連れて先に森に入ってしまいましてなぁ、ワシは止めたのですが」
「そうか……」
勝手な行動にイラつくマルムーク、だがココでも悪く無いかと思い直す。奴には先行して護衛のタナカとか言う男とやり合って貰いたい、そうすれば足止めにもなると言う思惑だ。
「
「あの少女のですか? 無いですな。しかしこの護衛の男が背負っているのやも知れません」
「どうして解る?」
「足跡です、だいぶ深い。あれだけの大男、体重もかなりあるでしょうが、それにしてもです。ホラ、ブッガーと言う男の足跡と比べて下さい」
「……同じぐらいに見えるが?」
「ええ、あんな巨大なハンマーを持つブッガーと同じ深さ、何か重量の有るものを背負っていやす」
「ふむ……」
ブリーダーなど犬の世話係かと思えば、その知識に舌を巻くマルムーク。
そう言えば引退した第一特務部隊の人間かと思い出す。頼もしい人材が居た物だと、そして自分の運はまだまだ枯れては居ないぞと自分を鼓舞した。
「よし、追跡はお前に任せる。先導してくれ」
「承りました」
そう言って愛嬌たっぷりに笑い、禿げあがった自身の頭をぺチリと叩く。
「お前、名は?」
「ベアードでさ」
ブリーダーのベアードは歩きながら腕をブンブンと振り答える。……が、その腕の先が無い。気の所為では無い、森の中、霧は薄くなりシルエットなら見間違える事も無い。
「お前」
「ん? なんでさあ?」
「いや、何でもない」
怪我で引退など良く有る事、むしろベアード程の洞察力で早めのリタイアとなれば、この程度の理由は当然とも言えた。
「まぁ、こんななんで腕っぷしには期待しないでくだせえ」
「ああ」
「ワシも素人相手にゃそれなりにやれますがね、なにしろこのタナカってのはトンデモ無い腕前でさあ」
「見たことが?」
「いいえ、足跡を見りゃ十分でさ、まず正気じゃあ無いのが歩幅、視界が利かないゼスリード平原を一息で走り切ってやす」
「あの霧の中か?」
「ええ、そんで次に、かなりの重量を担いでいるにも関わらず、この森でも飛ぶように移動してますな」
「ちょっと待て!?」
「なんでしょ?」
「それではこんなペースで歩いていては追いつかないでは無いか」
「それどころか我々が全力で走った所で追いつきませんな」
「なんだと?」
それではとんだ無駄足では無いかと、声を荒らげるマルムークにベアードは笑い掛ける。
「しかし、あの
「む」
「見た所、矢傷は相当に深い、それこそ馬車で無くては移動が出来ない程」
「つまり?」
「こんな斜面を駆け降りるなんざ無理がある、どこかで休む必要がありましょう。もしかしたら道中で打ち捨てる可能性も有る」
「確かにな」
恐らくは金の関係、だとすれば命を賭けて守る可能性は低い様に思われた。
「いや、余り過分な期待はせんことです」
「どういう事だ?」
「逃げるんだったらもっと早く逃げてやす、ワシが思うに
「ちっ厄介な」
もう十分に兵を失った、これ以上被害が増える様なら、現場責任者のマルムークにとって任務が成功しても喜べない事態となる。
「おっと!」
「どうした?」
「奴らは犬に気が付いてますな」
「なんだと?」
「この草、ベリスってんですが傷薬にもなるんですが何しろ臭い」
「犬の鼻を潰しに来たか」
「こんなもんじゃ潰れはしやせんが、追い辛くはなりますな」
「クソッ!」
「警察犬でしたらな、こいつは違う」
そう言ってベアードは二匹の犬の頭を撫でる、この犬達は特殊部隊を引退したベアードが手塩に掛けて育てた生粋の軍用犬。
他の警察犬などとは一線を画す嗅覚と忠誠心を備えていた。
犬達は少し悩んだようだが、すぐに先へ先へと駆け出した、タナカの臭いを感じ取ったのだ。
「これからはベリスの草の臭いも目印です、100キロ先まで追えるでしょう」
「人間が先に参ってしまうわ!」
「全くで」
ベアードとマルムークの声も明るい。なぜならばこんな小細工をする事が姫を抱え走り続けられなくなった証拠と考えたからだ。そうで無いなら一息に駆け抜けてしまえば良いのだから無理も無い。
田中の気配を読む力も、この森に潜む勢力も知らなければ当然の帰結。
敵は近いぞと足跡を追うと、その先に大男の影が浮かび上がる。
「タナカか! 神妙にしろ!」
「んあ? タナカ? タナカが居るのか?」
しかし帰って来たのはここ数日でマルムークが聞き慣れてしまった間抜け声、ブッガーだった。
「貴様! こんな所でなにを遊んでいる」
「ああああぁん? あぞんでね゛ぇ! ごの犬っころが匂いを見失ったんだ!」
「なんですと?」
この言葉にいち早く反応したのがベアードだ、彼の自慢の軍用犬を出し抜くなど考えられなかった。
「確かに、足跡も匂いも途切れている様です」
しかし、現実にココで匂いは途切れていた、ベアードの常識では人間は飛べない、軍用犬の臭いを誤魔化す事も不可能となれば考えられる事は少ない。
「まさか、いや、そうとしか思えない」
「どうしたと言うのだ!」
独り呟くベアードに苛立ちが隠せないマルムークが噛みつく。
「恐らくここまで来たタナカは、そのまま後ろ向きに歩いた、足跡をなぞる様に」
しゃがみ込んだベアードは、重なった足跡に僅かなずれを見つけると、どうやら推測に間違いないと結論づける。
「恐らくはそうして戻ってから、靴を脱ぎ別のルートへ出た」
「何の為にだ!」
「そうすれば我々はベリス草の臭いが付いた足跡を追ってしまう、結果は御覧の通りです。どうやら相手は犬の嫌がる事を知っている様です」
「どうするのだ?」
「戻りましょう、匂いが消えた訳じゃない、誤魔化されたに過ぎません、丹念に探せば跡を見つけられる筈です」
最早ベアードにもお道化た雰囲気は無い。自慢の愛犬をこうも翻弄する相手は初めてだった。
「よし、ブッガー戻るぞ」
「わーってっよ、クソがぁ」
苛立ち気にブッガーがハンマーを振り回した、その時だ。
「うわぁぁぁぁ」
悲鳴、それも今まで来た道から、マルムークの部下達だ。
「どうしたぁ?」
今だに霧で視界が悪い、その中をマルムーク達は駆ける。
「た、隊長! 奴が! 奴が突然現れて!」
腰を抜かす部下が指を指す先では兵士が三人、物言わぬ死体となって転がっていた。
「奴は! どこへ消えた」
「突然悲鳴が聞こえて、振り返ったら真っ黒な影が凄い勢いであっちへ!」
「追うぞ!」
「は、はい!」
勢い良く飛び出すが、こんな霧の中、逃げる相手を見つけられる筈が無い。
「ギャァァァ」
また違う部下の悲鳴、狩る側から一転、狩られる側へ。こちらは相手が見えないのに相手はこちらを正確に狙って来る。しかしその手妻がマルムークには解らない。
いや、解るハズも無いのだ、実の所『種も仕掛けもありません』なのだから。
しかし彼にはまだ手が残っていた、ベアードの育てた軍用犬だ。
「犬を放ちます! 追って下さい」
「おう!」
ベアードの合図で犬が駆け出す。霧の中、ベアードの持つ手綱に繋がれていた犬達が解き放たれた。
「追え! 追え!」
「よっしゃー」
マルムークはブッガーと共に駆ける、すると直ぐに森を抜け、視界が開ける。
「なっ! こんな所に逃げ込んだのか?」
そこは岸壁、ゼスリード平原の東を一望に出来る場所だが、現在は霧に覆われている。
しかし多少視界が悪くとも、ここから落ちたら命が無いのは考えるまでも無く解る。
そんな崖の突端に陣取る男が一人、そしてそれを追いこむ様に唸る犬が三匹。
「タナカァァァァ」
ブッガーが叫ぶ、間違いなくこの男がタナカ。
「
「ハッ、知らねぇな」
マルムークの問いに馬鹿にした様なタナカの返事。どうにも答える気は無いらしい。
しかし、この展開はマルムークにとって面白くない。タナカを殺してしまえばユマ姫を追う方法も無くなってしまう。
この森のどこかに隠したのは解るが、霧深く足場が悪い中を探し出す事は不可能にも思えた。
「待て! ブッガー、奴を殺すな!
「ばっきゃろー! そんなつもりで勝てる相手じゃねぇ!」
言い争う間にも、タナカと言う男は一匹ずつ犬を倒して行く。
踏み込んで一匹、犬すらも反応出来ぬ速度で、真上から真っ二つに斬り落とす。
次に飛び掛かって来たのを殴って崖下へ叩き落とし、最後の一匹は脚に喰らい付こうとした所を思い切り蹴り上げた。大型の軍用犬が舞い上がり、二度と立ち上がれない。
一瞬。一瞬の内に三匹の軍用犬を殺して見せた。
正に化け物、しかし相手は崖の突端、取り囲む事は出来ない。
「槍だ! 槍を持て!」
こういう場合の対処はマルムークも知って居た、腕自慢の犯罪者は細道に逃げ一対多を繰り返す事で窮地を脱しようとする。
そんな時、役に立つのは槍、それも複数人で形成する
「いえ、それが……」
「槍持ちが居ないだと?」
マルムークの部下が口ごもるのは、槍を持つ者が一人しか居ないからだ、それも短槍しか持っていない。
加えてこの状況で有利な弓も無い。そもそも市街戦を考え長物と弓は少なめだったとは言え、こうも槍も弓も無いのはおかしい。
森の中での襲撃は槍と弓を狙った物、そしてこれは追い詰めたのではなく誘い込まれたのだとマルムークも否応も無く理解した。
「舐めた真似を!」
マルムークは歯噛みする、仕方なく取った策は短槍持ちと長剣持ち二人で追い詰め、他の者で石を投げる事。
「ハッ、そんな事でどうにかなるわきゃねーだろうによ」
しかしブッガーだけは石を投げずせせら笑う。
「なぁ隊長? 殺らせろよ! 殺るつもりじゃねぇとアイツは倒せねぇ!」
「クッ!」
石を投げていたマルムークだがタナカは背中に目が有るかの様に躱し、味方の投石は時としてタナカを追い込む三人に当たった。
そして、タナカはあっと言う間に三人を切り伏せる。
「どうした? 掛かって来いよ!?」
タナカが崖上で挑発する、死んだ三人の死体を蹴り入れ邪魔だと言わんばかりにどかして行く。
「ぐぅぅ」
マルムークが悩むのが時間制限、この霧の効果時間だ。
一体いつまで霧は持つか彼は知らない。霧が晴れたら
「ブッガー!」
「っんだよ?」
「殺す気で行く! 残った全員で一斉に押し込むぞ!」
「そー来なくちゃーな!」
ブッガーは笑うが、マルムーク達は既に九人、一人は戦力外のベアードだ。
残った八人で切り立った崖のすぐ側を駆ける、恐怖心は有るがそれ以上に怒りが勝った。他の者にしたって元は腕自慢の冒険者や荒くれ者、たった一人に良い様にされたとなっちゃ面子が立たないと、その思いは一緒だった。
「全く命が幾つ有っても足りゃしねぇぜ!」
その様子を見て不敵に笑う田中だが、彼にも余裕がある訳では無い。
相手に捨て身のタックルでもされれば逃げ場は無く、奈落の底まで共に落ちるしかない。
命を賭けて崖上で死神と勝負する。狂気の戦いの幕が上がった。