ゼスリード平原騒乱6
北の空から現れた
――ヒヒーン
間近で発せられた甲高い
馬は大きい。それは当たり前の事だが、前世では実感する事など全く無かった。
だが後ろ脚のみで立ち上がった巨体は、空を見上げていた俺の目線を遮る程。
――怖い。
思った瞬間に横に跳んだ、恐怖に足が竦むなんて真似は許されない。
現にさっきまで俺が居た場所を馬が踏みしめ、その巨体がもたらす音と振動がすぐ横を駆け抜けて行く。
下手に避けたせいで却って当たってしまうなんて心配は無用。『偶然』は俺が居る場所を確実に狙うのだから。
間一髪のピンチを脱した俺だが、喜ぶ気にはなれなかった。飛び込んだ草の中、舌打ちが漏れる。
駆けて行く馬が羨ましい、流石は動物、危険に対する反応が早い。
呆けている暇など無かった、遮る物の無い平原で
ゼスリード平原を囲む急峻な斜面と森の中、逃げ込むとしたらそこしか無かった。
だが空を行く
だったら『餌』のど真ん中で紛れるしか無い。
「『我、望む、足運ぶ先に風の祝福を』」
再び魔法を使って駆ける。ただし今度注視すべきは空、そして向かうは衛兵と帝国兵が向かい合うど真ん中。
ズーラーを追う時の様に大きなステップは踏めない。頭上に気を払いつつ、ステップを刻む。
その視界の端に、逃げて行った馬が映る。すでに平原の端に近い、死地と化した平原から脱出一番乗りだ。羨ましくて仕方が無い。
と、その馬が森を目前に突然、何かに『踏みつぶされた』
――ビィィィィィィィ
ヒヒーン
低い笛の様な鳴き声、そして悲痛な馬の嘶きは遠くに有って、尚ハッキリと耳に届いた。
笛みたいなこの鳴き声を俺は忘れない。
突如として平原に現れたのは、鷲の上半身と獅子の下半身を持つ、お伽噺の中にだけ居るハズの幻想生物!
グリフォンだ! 村で戦ったあのグリフォン。射貫いた翼も完治している様で、空を飛ぶ他の
……最悪だ、アイツ、逃げる奴から狙ってやがる! ゼスリード平原からネズミ一匹逃がす気が無いらしい。
最悪の中の最悪、その中をどう動くか? 一瞬の判断を迫られた俺は、魔法を慎重に制御してスピードを保ったまま、いよいよ帝国兵と衛兵が睨み合うど真ん中に躍り出る。
声を掛けて来た田中さえ振り切って、衛兵達に囲まれた一台の馬車の下へと滑り込んだ。
そう、ギデムッド商会の馬車、その真下。
俺の『偶然』は周りを容赦なく巻き込んで行く。だったら帝国兵のど真ん中で踊ってやりたい所だが、こうなっては流石に蛮勇が過ぎるだろう。
だったらこの馬車の下、帝国の兵器と思われる荷物を少しでも巻き添えにしたい。なによりこの平原で隠れられる場所などココしかない。
潜った側から、ガゴンと鈍い音がして、馬車の片輪が持ち上がった。
早速
だが、おかしい。軽すぎる。
そんな風に眉を顰める俺の隣、真っ黒な何かが転がり込んで来た。
「ここまで姫サマの計算の内って訳か?」
田中だ、軽口を飛ばしてくるが、こんな事態を想定出来る奴なんざ居るハズねーだろ!
「当然!(そんな筈ないでしょう)」
俺の叫びは、再びの
「余りに(馬車が)軽い、荷物は?(どうなりました?)」
苛立ち混じり、言葉足らずに叫ぶ。しかし、問題無く田中には通じる、そんな事すら微妙に悔しい。
「あそこだ」
田中の指差す先は帝国兵のただ中、マルムークの傍だった。巨大な木箱が鎮座し、アイクと言う商人もそこに居た。
アレを運び出したのは見たが、荷物はアレだけだったのか?
馬車の
帝国の兵器、ココで俺に取って一番嫌なモノを想像すれば、中身は一つしか無い。
大砲でも投石機でも無い……俺が知っているのはエルフの国を滅ぼした霧だ。
帝国が万が一を考えて、俺を確保する為に運び出したとするならば筋は通る。
よく見れば、マルムークがアイクを恫喝し、木箱を指差し、必死に何かを訴えているのが見えた。
何を話しているか聞きたいが遠すぎる。狂乱の中、人と
俺が歯噛みしていると、焦った様子で田中が俺に聞いて来た。
「なんだ、あの中身? 何が入っていやがる!? まさか? 前から言っていた帝国の新兵器ってアレか?」
田中には何も言ってなかった、しかしそれでも自ら結論に行きついた、つまり?
「聞こえるのですか? この距離で?」
「まぁなんとかな」
とんでもない地獄耳、それこそ地獄と化したゼスリード平原、
「マルムークがアレを使えと命じ、アイクって商人がそれに抵抗してるな」
田中が言うには、「今使わないでいつ使うつもりだ! このままじゃ全員鳥の餌だぞ!」そう叫ぶマルムークと、「こんな所で使う為に、危険を冒して充填していた訳じゃない」と激しく抵抗するアイクで言い争っているらしい。
充填? 何の事だ? そもそも、兵器は俺に使う為に用意した物じゃない? 俺は何かを勘違いしていたのか?
「いよいよ使うみたいだぜ」
「マズいですね……」
本当にマズい、最悪だ。あの兵器の本質は霧。使用されたとしても霧が広がる前に逃げられる期待も有ったが、足を
見事『偶然』は俺を殺す為の舞台を作り上げたと言える。
激高したマルムークは、遂にはアイクを殴りつけた。崩れ落ちるアイクを取り押さえ、部下に木箱を剥がさせる。いよいよ俺の仇がその姿を現した。
「アレは? まさか!?」
それは金属の黒い地球儀に、蜘蛛の足が生えた様な気味の悪いオブジェ。
俺は既にそれを見ていた。エルフの国ででは無い、スフィールの、それも中央広場でだ!
まさか! と思いながらも参照権で確認する。間違いない! 近代芸術のオブジェだと、特に意識もしていなかった。
そして参照権で確認すれば、確かに今朝の広場には無いじゃないか! 朝に広場で違和感を覚えた正体はそれだった。
だけど帝国が誇る秘密兵器だぞ? そんな物を堂々広場に置くなんて正気じゃない。
もしエルフの国を脱出する際に、俺がアレを一目見ていたら? 参照権が無くとも絶対に忘れないし、広場で見かけた瞬間にぶち壊したに違いない。あんな場所に置くのは危険過ぎる。
いや? だからこそこのドサクサに慌てて運び出したのか? しかしだ、そもそも目立つ場所に置く意味が全く解らない。
何かある、何だ? 俺は何を忘れている?
アレは、魔力を掻き消す兵器だ。俺はそれに近いモノを……
「あっ! あああああああっ!」
「なんだ? どうした?」
そうか! 知っていた! 魔法を打ち消す兵器。それ自体は聞いたことも無かったが、同じ様に魔法を打ち消す物を幼い時分から知っていた。
俺はそれをずっと気にして育ってきた、とても身近な物だ。
「健康値!」
「なに?」
「あの兵器は恐らく、他人の健康値を吸収します!」
魔力の結晶たる魔石、同様に健康値も物質化出来るとすればどうだ? それを霧状に散布したらどうなる?
そう、魔力は打ち消される!
エルフの魔道具にすら、全く無い概念だ。有ったとしたら俺のために多少は使ってくれたに違いない。大森林の奥、濃すぎる魔力に常に苦しめられて居たのだから。
しかし、魔力は魔獣の体内や、空気中からかき集めて抽出したり、時には魔力溜まりでそのまま結晶として手に入る。
だったら健康値はどうするか? 健康値は生きている生命の魔力への抵抗力だ。集めようと思えば、生き物から集めるしか無いだろう。そんな事が可能だとすれば、それこそとんでもない事。
だが間違いない、それならば『充填』と言う意味が通じる。
思えばスフィールでずっと低かった健康値、最終日だけは期待通りの値が出た。あれは搬出するために、健康値の充填を止めたからだ。
更に更に、帝国で蔓延する流行り病、スフィールでも増えて来ていると田中は言っていた。それらの原因は何か?
知れた事、健康値を吸われた人間はどうなる? 30の人間が10吸われて20ならまだ良い。20の人間が吸われて10なら既に危険域。それ以下ならちょっとした事が致命傷になりかねない、俺はそれを身をもって知っている。
アレは俺に使う為に用意したんじゃない、ずっと前からスフィールの人々の健康値を吸い取っていたのだ、恐らくは混迷極める大森林の制圧に利用するため。
最初は自国で吸収していたのに違いない、だが限界が来た。病や怪我、普通なら何でもない事で死ぬ者が激増し、自国で賄う事が出来なくなった。
じゃあどうする? 他国でやれば良い! グプロス卿は知っているだろうか? 恐らくは知らない、馬鹿正直に健康値を吸い取りますなんて言う必要が無い。そんな概念すら無いのだ、こっそりと、いやそれこそ美術品として設置させて貰えばそれで良い。バレる要素など全く無いのだ。
金属の球体に蜘蛛の足が生えた様な気味の悪いシロモノ。広場の他の銅像と混じれば気にもならなかったが、よく見れば非常に禍々しい。
アレが俺の仇だと、参照権など要らないとばかりに目に焼き付ける。
いよいよ
馬車は長くは保たないだろう。
帝国兵だって無事ではない、軍馬でも無い馬達は次々と恐慌に陥り、真っ先に逃げ出し、そして真っ先に死んだに違いない。グリフォンの鳴き声と、馬の悲痛な嘶きは平原で断続的に聞こえていた。
他にも逃げる兵士から真っ先に襲われて行く。いよいよ寄り集まった中、アイクの部下の商人風の男達まで
それを見たアイクがいよいよ腹を決めたのか、一転して黒い球体の操作を始めた。
「来るぞ!」
田中が叫ぶまでも無い、金属の球体の上部から爆発的に霧が広がっていく様を見て。俺達は堪らず馬車の下から這い出した。
俺は破壊する! 家族を殺し、国を滅ぼしたあの兵器。絶対に許せない!
そんな俺の決意を嘲笑うように、俺の仇である球体のオブジェは、霧にその姿を消して行く。
だがココだ! チャンスが有るとすればこの瞬間しかあり得ない。
俺は覚悟を決めて、田中のズボンの裾を引っ張った。
「私を空高く放り投げて下さい、あの霧の噴射口を狙います!」
「冗談だろ!?」
田中の間抜け声を無視し、俺はその準備を開始した。