<< 前へ次へ >>  更新
57/273

ゲイル広場

 門の責任者であるヤッガランさんの案内で、俺達は城塞都市スフィールへ足を踏み入れようとしていた。


 ファンタジーを象徴する存在と憧れていた城壁の中は薄暗く、重苦しい圧迫感がある場所だった。昼間から灯されたランプの光は頼り無く、何度となく魔法で明るくしてしまいたい衝動に駆られたものだ。しかし、変に威圧するのも本意ではなく、我慢していた。


 それだけに、アーチを抜け広場に出た時はその開放感に胸がすく思いがして、身の安全も忘れて駆け出してしまったほど。

 門を出たそこはいきなりの大広場で、放射状に三本の大通りが広がっている。城塞都市と言うと整理された街並みを想像していたが、様々な屋台がひしめいて話以上に雑然とした異国情緒溢れる光景だった。


 俺はご機嫌に広場に踏み出し、キョロキョロとあたりを観察する。まず感じるのは匂い、屋台で焼かれる肉やスパイスの香りはエルフの街では無かったものだ。

 人々が着る物も大きく違う、砂漠の民の様なターバンや、蛮族の様に毛皮を纏った者などまで居る。俺のショールで隠した頭なんかも目立つ心配は全く無さそうだ。


 人種のるつぼ、文明の集積地と言われるだけの事はある光景だ。何を見ても新鮮でどうにも浮かれてしまう。この独特な香り、焼かれている肉は何の肉だ?

 田中に尋ねようと振り返ると、少し離れて呆れたように苦笑する田中とヤッガランさんが目に入り、俺は途端に真顔に戻る。


 いや、年相応の無邪気さアピールだからね? 変に警戒されるよりは侮って貰った方が良いじゃない? 慌てて駆け戻るのも恥ずかしいので、広場の中央で待つことにしよう。


 広場の中央にはむさいおっさんの銅像が、むさいポーズを決めている。確か戦争で活躍しこの地を帝国から守り切ったゲイルとか言う人物で、剣を掲げた格好で突っ立っていた。

 なるほど絶好の待ち合わせポイントと駆け寄って、大きな像を見上げ――痛ッ!!


 ――その時、最早お馴染みとなった例の頭痛が、俺の脳髄に突き刺さった。


「うっ!」


 記憶が混線し自分の境界がぼやけていく。

 急に(うずくま)ってしまった俺に、田中とヤッガランさんが慌てて駆け寄る。


「いったいどうした? オイ!」

「彼女は何か持病でも?」

「いや、聞いてねぇ」


 頭上で飛び交う二人の会話すら、ノイズの中に歪んで聞こえる。

 色々な知識が流れ込んでは消えていく、それは濁流の様で、自分が高橋敬一だと強く思っていないと自我ごと流れて消えてしまいそうになる。

 寄りかかったレンガの感触、背中をさする田中の手、そんな感触を道しるべに、ゆっくりと元の自分へと帰還した。


「どっか悪いのか? 魔力が足りねぇって奴か?」

「だいっ……丈夫です」


 何とか立ち上がり脂汗が浮かぶ顔を上げると、あんなに輝いて見えたゲイル広場の様子が、なんともつまらない物に変わってしまっていた。

 エキゾチックな衣装を魅力的に見せていたのは謎と言う名のベールだし、串焼きを美味しそうに見せていたのは未知と言う名のスパイスだった。

 それらは既に日常の一部に変わってしまい、どんな服かも、どんな味がするかも、俺はもう知っている。

 色あせた広場を見て、俺はふぅっとため息をひとつ。


「心配いりません、偏頭痛がしただけです」

「前も有ったよな? 成人の儀の時だ。あの時も同じように蹲ってよぉ……」

「大丈夫ですから! ヤッガランさん、スフィール城までお願いします」

「え、……ええ」


 ヤッガランさんは戸惑っているが、俺は別に体調が悪いわけでは無い。変に目立ってしまっているのでさっさと移動するべきだろう。


「承知いたしました、我々が通って来たのが北門で、スフィール城は西側ですから、早いのは右手の道なのですが、今回は案内を兼ねて中央通りを進み、中央広場を右に曲がるルートで行こうと思います」

「お任せいたします」


 そうして案内のまま中央通りを歩くが、俺の『記憶』の中の街並みとは色々と違って来ている。でも、建物の形状など大きく違う事は無い。この記憶の持ち主はそう遠くない過去の人物だろう。


「姫様、食うか?」


 ぼんやりと街を眺める俺に、モグモグと咀嚼しながら串焼きを差し出したのは田中だ。


「ウサギの香草焼きですか……頂きます」

「へぇ? 知ってたか。固いから気をつけろよ、こうやって引き抜くんだ」

「わかっています!」


 そうだ、もうわかり過ぎる程にわかっている。何度食べたかの方が、よっぽど分からないぐらい。食べたのは俺では無いのだが。

 広場で正体不明の肉だと思ったこの串焼きだが、なんの事はない、ウサギみたいな生き物に、生姜と紫蘇の中間みたいな味の葉っぱをまぶして独特の甘いタレで焼き上げたこの街の名物。


「なんだ、ずいぶんと手馴れてるな」

「……どぉもっ」


 肉を頬張りながら答えつつ、街の観察を続ける。靴屋、帽子屋、桶屋、木工店。どれも記憶の中と大きく変わっては居ない、もちろん売り子のお姉さんや親父さんは違う人物だったが。

 今まで回収した記憶はどれも何百年も昔の物だった。

 しかし、今回は百年どころか数十年しか経過していないだろう。そしてこの記憶の持ち主は、特別強くも悲劇的でも無い、ごく普通の少年のもの。

 ……ひょっとすると、平々凡々な高橋敬一に転生する直前のテストケースであったのかもしれない。


 そのテストはどうやら上手く行かなかった様だが……


 思考に沈む俺をヤッガランさんの声が引き上げた。


「ここが中央広場、スフィール大広場が正式名称ですね」


 そうこうする内、中央広場までたどり着いていた。門の前のゲイル広場も大きかったがその倍以上ある。東西南北に大きな通りが伸び、小さい小道にいたってはそこら中から繋がっている。広場の真ん中では噴水が綺麗に水のアーチを作っていた。


「噴水ですか……」

「ええ、この街の名物です」


 噴水があると言う事は、水理計算や工学技術が高い水準にある証明に他ならない。エルフの都にもあったが、大きく劣る訳でも無い。

 人間の文明もそこまで馬鹿にしたモノでは無いらしい。


「それに、芸術品まで色々と置いてあるのですね」

「ええ、貴族街も近い場所なので。あいにく私にはサッパリですが」


 ヤッガランさんが苦笑するのも無理は無い。美しい女神像や屈強な戦士像だけでなく、理解しがたい現代アートみたいなオブジェまであって、文明レベルは高そうだ。

 黒い地球儀みたいなオブジェなど中々に目を引く。解説してくれと言われてもお手上げだが。

 しかし、キョロキョロと見回せば、もっと俺の目を引く場所があった。


「この広場を右に曲がれば貴族街、その最奥にあるのがスフィール城です」


 大通りを指し示すヤッガランさんの声も耳に入らない。俺の目はその真逆、左手にある一軒の宿屋に釘付けだった。

 いや、今でも宿屋なのだろうか? 三日月のマークの看板が記憶の中と変わらず掛かっているのだが……


「何見てるんだ?」

「あの三日月の看板のお店なのですが」

「あん? スーニカの宿屋か? 変なとこに目を付けるな、悪く無い宿だぜ? なんなら今日泊まるか?」

「……そうですね、それが良いでしょう」


 名前も変わっていない、スーニカの宿屋。それは俺の生家だ。

 いや、違う、記憶の中の少年の生家だ。有る筈が無い郷愁を刺激され胸が痛むのは参照権のデメリットと言えるだろうか?


「どうかしたのですか?」


 ヤッガランさんが不思議そうに話しかけて来る、そうだ今の俺には聞くべき事が有る。


「いえ、なんでも有りません、それより私は人間の事をもっと知りたいと考えています、この街に大きな図書館はあるでしょうか?」

「ああ、それでしたらスフィールには大きな図書館が有りますよ。丁度通り道ですから案内は出来ますが……入館料は結構高いですよ?」

「そうですか……」

「図書館に行かずとも、簡単な事でしたら私でもお答え出来ると思いますが?」

「これはご親切に……しかし忙しいヤッガラン殿を拘束してしまうのも憚られます、やはり入館料を払っても一度は図書館に行きたいと思います」

「そうですか、勉強家なのですね」

「ええ私、力は全く有りませんから……知識ぐらいは無いと、これからどうなる事かと不安で不安で」

「そうですか、何か助けになれれば宜しいのですが」


 社交辞令の応酬だが、記憶通りに図書館は有る様だ。そして記憶通りに入館料は高めの様だが……まぁ何とかなるだろう。


 俺達は貴族街を歩いて、大きな図書館の前を通過。


「大きいですね」

「ええ、ココがこの街の領主グプロス様の住むスフィール城です」


 ついにこの辺り一帯を治める、グプロスの居る、スフィール城に辿り着いたのだった。

<< 前へ次へ >>目次  更新