グリフォンを撃退せよ
「クソッ! どうにもならねぇのかよ」
焦りを含んだ田中の呟き、それはそうだ、目の前でサンドラさんが死のうとしている。だけど俺達はそれを指を咥えて見ている事しか出来ないのだ。
広場の真ん中で苦しむサンドラさんは上空から投げ落とされ、大怪我でのたうち回って苦しんでる。
だが、助けには行けない! ヤツが上空から俺達の出方を窺っているからだ。
その目には確かな知性。
もう田中の言う事を信じよう。コレは罠だ! 助けに行けばたちまち上空から襲い掛かって来るに違いない。
居るハズが無い空想上の幻想生物。なのにそれが目の前に居る!
グリフォンだ! グリフォンがこの広場を監視するように旋回している。障害物が無い広場のど真ん中、あの質量にぶちかまされたら命は無い。
「俺に任せときな」
膠着すると思われた状況で声を上げたのはラザルードさんだった。手にはソノアール村で見た、あの大弓が有る。
そうだ、ラザルードさんの本来の得物はこの大弓。
「今撃ち落としてやる」
引き絞られた弦はギリギリと低い音を立て、
フゥーーーー
息を吐きゆっくり狙いを付けていく。巨大な体を持つグリフォンだが飛ぶ相手に当てるのは並大抵ではない。ましてやラザルードさんは魔法を使えない、俺の様に魔法で狙いを補正したり出来ないので、弾道だって計算しなければならない。
――ビィィィイン
「クソッ!」
放たれた矢はグリフォンの尻尾をかすめて行く、やはり飛んでいる相手に当てるのは難しいのだ、めげずにラザルードさんは二矢目を番える。
フゥーーーー
――ビィィィイン
「やったか!」
今度こそ矢はグリフォンへと突き刺さる軌道を取った、……そして。
「嘘だろ! 弾きやがった」
グリフォンはその後ろ足で矢を蹴とばして見せた、完全に見切られている。
「なんて野郎だ、俺の弓が効かないだと!」
ラザルードさんは呆然と呟く、恐らく自分の弓に絶対的な自信があったのだろう。しかし相手は彼の経験に無い様な化け物だった。
となると、そんな化物との戦闘経験が有るのは田中だけだ。
「見切られてるな、それにまともに当たった所で効くかどうかは解んねぇぞ」
「んだと!」
「俺が妖獣殺しと言われてる事は知ってるだろ? かなり近距離でボウガンのボルトを命中させても大して効果が無かったんだよ」
「じゃあ、見本を見せやがれ! 妖獣殺しサマよぉ」
「俺がやったのだって、これほどの大きさじゃ無かった。それに俺を殺す事しか考えられないぐらいの脳足りんだったから、どうとでもやれたんだ、しかしアイツは……」
見上げると悠々と飛ぶグリフォンの姿が見える。いや、余裕なのか俺達が見つめる中、悠然と広場を見渡せる屋根の上に止まった。
狙って見せろと誘うような、その目には明らかに知性の色が有る。
「憎たらしい野郎だ、こっちを見下していやがる」
田中の声にも悔しさが滲むが彼には攻撃手段が無い。対して手段が有っても効果が出せないラザルードさんは怒りが抑えられない様だ。
「舐め腐りやがって、今度こそぶち抜いてやる!」
目を充血させ、顔まで赤くし怒り狂ってるがこれでは相手の思う壺だ。
「待って下さい、これが最後のチャンスかも知れません、ラザルードさんの矢に私の魔法を載せましょう」
「……んな事、出来んのか?」
俺の提案は一か八かの物、しかし今はそれに賭けるしかない。
「私に呼吸を合わせて下さい、それで魔力が載ります」
「呼吸を? それだけで良いのか?」
「はい、矢を番えて、準備が出来たら合図をします。それから矢を放って下さい」
ラザルードさんには膝立ちで弓を構えて貰い、俺がその背中に覆いかぶさるように圧し掛かる。
呼吸と心音を合わせて魔力を載せる。田中とだって出来たんだ、ラザルードさんとも出来る筈。
フゥーーーー
二人で大きな深呼吸。そしてギリリと強弓が引き絞られる音。
……だが。
「オイ! まだか!」
「まだ! まだです!」
しかし駄目! 魔力が載らない! 思えばサンドラさんも田中も俺を受け入れてくれていた、それに引き換え俺とラザルードさんにそこまでの信頼関係は無い。ましてや今のラザルードさんは興奮し、怒り狂っている。
今も、狙いを付けるグリフォンが屋根の上、その後ろ足で頭を搔いているのが見える。完全にこちらを挑発しているのだ、これで冷静になどなれる訳は無い。
「いつまでだ! いつまでこうしてりゃー良い!」
ラザルードさんの怒号。そりゃそうだ、こんな強弓、引き続けるだけで力が要る。
……どうする? どうするんだ? 海千の冒険者の心を一瞬で開く方法なんて俺には無い。
いや、俺には前世の記憶が、人を誑かして生きて来たプリルラさんの記憶がある。
俺の精神が削られる思いで気が進まないが、会議を纏めた時に続いて彼女の力を借りるしか無いだろう。
プリルラ先生! やっちゃって下さい!
参照権でプリルラの意識を掘り返していく。俺の中にしたたかな少女プリルラの記憶がゆっくりと染み込んで行く。
……
…………
………………いや、マジか? マジなのか?
「オイ! もう良いか! 放つぞ!」
いきり立つラザルードさんの顔は真っ赤で、その首にまで血管が浮いている。だがあろう事か、俺はその首に腕を回した。
「何考えてやがる! 馬鹿かてめ……」
そして罵声を吐き出すその唇に人差し指を押し当てる。
「そんなに怒らないの、ほら深呼吸して」
「あ?」
「ほら深呼吸、ぐずぐずしないの!」
「あ、ああ」
ラザルードさんは呆けた顔で、それでもゆっくりと呼吸を繰り返す。
「良い子ね、そのままゆっくりと私と呼吸を合わせて」
「お、おう」
「良いわ、その調子、そして呼吸だけじゃ無くて。気持ちと心も、ゆっくりと寄り添わせるの」
「心を?」
訳が解らないと言った顔で振り向くラザルードさんを無視して、ギュッとその首を抱きしめる。
「気持ちと心を重ね合わせるの、とっても気持ちが良いのよ」
「…………」
そして、魔力が同調していく。
「そう、その調子。偉いわ」
俺は優しくラザルードさんに微笑みかける、慈愛を感じさせる笑顔って奴だ。
……厳つい冒険者のオッサンの心をどうやって開くのか?
プリルラ先生の選択は、まさかまさかのお姉さんキャラである。
歳で言うと一回りどころか二回りは違うラザルードさんに、堂々たるやお姉さんキャラである。
プリルラ先生だって『偶然』の魂持ちだったから、僅か14で死んでいる。それでいてお姉さんキャラどころか、お母さんキャラまで手持ちに有るのだから闇を感じざるを得ない。
今の俺、間違いなく出てるな。
――バブみって奴がよ!
「『我、望む、放たれたる矢に風の祝福を』」
ありったけの魔力をこの一撃に込める、魔力が通じあった今ならラザルードさんが矢を放つタイミングだって解るのだ。
ギリギリと弦が絞られる音、ラザルードさんと俺の呼吸、それらの音が全て同じタイミングで鳴り止んだ!
――今だ!
――ギュォォォォォォォン!!
聞いた事も無い弦と矢羽の風切り音を轟かせ、その渾身の一矢は屋根の上のグリフォンを貫いた。