戦闘配備
【田中視点】
全力で駆けて行く姫様を追いかけ、俺達は村へ帰った。
あきれた事に人間とエルフの会議、いや最早ただの口論はいまだ続いていた。
しかしそこへ、思い詰めた顔の姫様から語られた事実は想像以上に重かった。
「はんっ、いい気味だな!」
しかし、ソノアール村の住民にとっては関係ない話だ、この反応も当然っちゃー当然か?
その様子を見ても、姫様は焦る事無く淡々と村長に語り掛ける。
「こうなってはこの村を放棄するしか無いでしょう、ソノアール村の人々の希望通りと言う訳です」
「何を勝手に! この村を出てどこへ行こうと言うんじゃ」
「ですが、千単位の
「うーむ、じゃがこの村の者は皆、混じり者、行くあてなどないのじゃ」
「ほんの一時で良いのです、そうすれば文句を言う人間も居なくなっているでしょう」
姫さまは顔を赤くして抵抗するエルフの村長を宥め、一方で冷笑を浮かべソノアール村一同に一瞥をくれた。
……そうか、俺にも言いたい事は解った、姫様らしいな、エゲツないぜ。
「どういう事だ? オイ」
事情が解らない大弓の冒険者、ラザルードが苛立った様に机を叩く。
教えてやらねぇと解らないか、姫様じゃねぇがコレは確かに楽しいな。
俺は姫様の後ろから乗り出すと、机にドンっと手を突きながら、ニヤリと笑って見回した。
「つまり、この村に餌が無いと解った魔獣が、次に何処を襲うかって話だろ?」
俺の言葉に村長宅は静まり返る。
「まさか? 来るのかソノアールまで? 森の外だぞ」
「外って言ってもここから精々二日かそこらの距離だろ? 子供だって歩ける距離だぜ、実際歩いてたんだろ?」
俺はソノアールへ通っていた少年を顎で指す。
「今までそんな事、一度も無かっただろうが!」
怒鳴るラザルードに、姫様が鈴を転がす様な声で笑う。
「
「何が言いたい?」
「本来こういったイレギュラーを解決していたのが我々なのです。それが今は居ない。これは歴史上かつて無かった事、何が起こるかなど誰にも解る筈が無いでしょう?」
笑顔で答える姫様の横顔に、恐怖と……そして崇拝にも似た感情を抱いてしまう。
こう言う時の姫様はむしろ楽しそうにさえ見えるのだ、本当にこれが十二歳なのかとどうしても考えてしまう。
自分の命すら盤上の駒にしてゲームを楽しむ様な、ある種達観した一流の戦士や軍師の様な風格を纏っている。初めはただ、それこそ破れかぶれなだけかと思っていたが、自分の命すら天秤に賭けてドライな損得勘定をしているのは間違い無いのだ。
それでいて、子供の様に泣くのだから堪らない、この娘の父親をやるのは骨が折れそうだ。
俺が姫様に見とれている間も、姫とラザルードの話は続いている。いや既にラザルードも、他の村の住人も腰が引けていた、それどころじゃ無くなったのだ。
「クソッ! じゃあ俺達は引き上げるぜ、村に警戒を呼び掛けないと行けないからな」
「警戒? 千を超えようと言う魔獣にどんな警戒をするのです?」
「はっ! 精々足掻いて見せるさ」
「その足掻き、この村で見せては貰えませんか?」
「意味が解らねぇなぁ?」
「この村で我々と、あなた方で共同戦線を張るのです」
「チッ、だぁれが手前ぇらを守るために戦うってんだよ!」
叫ぶや否や、ラザルードは思い切り机を蹴り上げた、ゴガァンと響く鈍い音と荒っぽい罵声に、この村のエルフの若者はビビりまくって顔を青くして震え上がっちまってる。
しかし、罵声を浴びた当の姫様はどうだ?
震え上がるどころか、なんでもないとばかりに蹴り上げられた机を元の位置に叩きつけた。
呆気にとられる一同を無視して机に膝をついて乗り上がるや、身を乗り出して覗き込む。
「解りませんか? 我々が、誰一人逃げずにピルテ村で食い止めればソノアール村は助かる。我々が『餌』となればソノアール村にはより大きくなった魔獣が襲う。もう、我々とアナタ達の村は一連託生なのです」
ラザルードとは額を突き合せんかと言う距離。華奢な少女とは思えぬ迫力に、他のソノアールの人間なんかは腰が引けちまってる。
だが、ラザルードの奴も荒事の専門家、少女一人にビビったりはしなかった。
「それで俺らに何の得があるってんだよ? 取引になってねぇんだよ」
「元々誰にも得など無いのです、誰が『餌』の役をやるかと言う話、戦って死ぬか、逃げて死ぬかです」
「だから、とっとと村に帰って戦う準備をするんじゃねぇか!」
「それこそ何の準備です?
「
「それが、浅慮だと言うのです。この時期の幼体は群れで人を狩る事も珍しくない。知りませんか?」
「知らねぇな! そうだとしても信用出来ねぇ」
ラザルードが拗ねた様にどっかりと椅子に座ってしまう、正直俺だって
「ワシらも反対じゃ、戦うにしてもコイツらとなぞ! 獅子身中の虫となりかねん」
ラザルードや人間達だけじゃなく、村長をはじめエルフ達も共同作戦には懐疑的な意見を述べる。
俺としては一番建設的な案に思えるんだが……どうにも一度拗れちまうと上手く行かない物らしい。こりゃあ俺が何とかするしか無いかと思った時だ。
「ゴミ共が、めんどくせぇ」
小さな声だ、神に授かったこの体、この聴覚を持ってしてもギリギリ聞き取れただけ、他の者には到底聞こえなかっただろうが、俺は確かに聞いた。
声の主は姫様だ、姫様は言ってる事は乱暴だったが、口調は常に品が良かった筈だ。
聞き間違いかと思ったが違う。机の上で俯いた顔は髪に隠れ窺い知れないが、その声、間違い無い筈だ。
「仕方ねぇやるか」
今度こそ確かに聞いた、極めて小さい声だが姫様らしくない言葉遣い。だが本当に驚くべきはそこからだった。
「どうしても、どうしても一緒に戦う訳には行かないんですか?」
泣いていた、顔を上げた姫様は泣いていたのだ。
「私は一生忘れません、平和な王都エンディアンに人間が踏み込んで来た日の事を!」
……お前は誰だ?
そう声を上げなかったのは奇跡に近い。違う、コレは、コイツはユマ姫じゃない。
誰だ? 誰なんだ? 見た目は何一つ変わっていない、だが違う、決定的にその
「この村にも、そしてソノアールにだって同じ事が起きます!
その涙には演技めいた嘘臭さは無い、勿論この村に着いた時に見せてくれた様な純粋な少女のそれでもない。
帝都の海千山千の娼婦だって、ココまで自然に泣けはしなかった。
「なんだってんだ」
ラザルードも呆然と呟くしかない。
「一緒に、一緒に戦えば立ち向かえるかも知れないのです、もう私は、逃げてばかりは嫌なのです!」
「んな事言ってもよぉ」
「ザッカさん! ザッカさんはどうですか? この村で皆で戦うのと、人間だけで戦うのではどちらが勝機が有ると思いますか」
姫様はザッカと呼んだ冴えない役場の男に微笑みかける。ここに至って俺はコイツが姫様じゃないと言う確信を持った。
……笑顔だ、その笑顔は嘘くさくも冷たくも、張り付いた仮面の様なそれでもない。大輪の花がその場で瞬時に花開いた様な華やかな笑顔だった。
恐怖を抱いた俺の心すらそっくり包んじまうような、そんな笑顔だ、女に慣れてない冴えない男が抵抗できる訳がない。
「そ、それはたスかに、ココで戦った方が……」
「ですよね! サンドラさんも一緒に戦ってくれますよね?」
「勿論だ! どうせ戦うなら姫様とがええ」
「オイ! おめぇら何言ってやがる!」
「何が問題なのです? 報酬ですか? 倒した魔獣の魔石をお渡しすると言うのはどうです?」
たちまち赤くなったザッカを陥落し、サンドラと呼ばれた農民で補強する。そこにラザルードが止めに入るが、今度は怒れるラザルードに知的な微笑みを浮かべ、姫様は諭すようにゆっくりと語り掛ける。
「一つ一つは大した価値が無くとも千を超えるかの魔石ですよ? 十分な報酬になるのでは?」
「んなゴミみてぇな魔石に価値なんざねぇよ!」
「そうなのですか? ではどういった魔石なら価値が有るのです?」
「
「そうですか、別に構いませんよ。村を守れるなら安い物です」
「へぇ」
ポンポンと話を進めて行く、場を完全に掌握してると言えた。
「何を勝手に言っておる! 村の宝とするべきものでは無いか!」
そこに五月蠅い村長が茶々を入れるが、その捌き方にも澱みは無い。
「村長の息子さん、そう、あなたです。一時的にでも村を脱出するとしてどの程度の被害が有ると思われますか?」
「それは……備蓄した食料を運ぶのだけでも骨だし、なにより小規模ながら種を撒いたばかりの畑も有るんだ。全滅したと有れば次の冬は越せないよ」
それを聞いて姫様は、両手で頬を包み大袈裟にショックを表す。
「まぁ! それではここで村を守った方が結果的に得かも知れませんね」
「いや、危険は無いだろうか?」
村長の息子の手を取って励ます様に語り掛ける。
「逃げた所で被害を受けないとは言い切れませんよ? 隠れる家も無く蹂躙されるかも」
「……あ、いやそうか」
「でも、皆で戦えば、きっと被害は抑えられます!」
「何を言っておる! ワシらだけで村を守れば良いじゃろうが!」
茶々を入れて来る村長に、外野で見ている俺さえ苦々しく思うのに。姫様はその笑顔を絶やさない。
「大丈夫ですよ! 力を合わせれば、村長さんが大切にしているこの村を、絶対に守れます!」
「本当じゃろうな……」
村長が折れた、俺が驚いたのはそこに何の理屈も無い事だ。
村長の言う事も一理あるだけに、偏屈な村長をどうやって言いくるめるのかと思っていたが、やったのは励ましただけ。
子供向け番組で主人公が理屈も無く語る希望みたいな、スッカスカな中身のない励ましでその場の全員を煙に巻いて行く。
……なんだコレは? こんなんで纏まる話ならもっと早く纏まるべきだったんじゃないか?
そんな風に思えてしまうが、いや、きっと違う。
支配したのだ、この場の全てを、この少女が!
「それでは、魔石の件、タナカも構いませんね?」
「……あ、ああ」
もう俺も頷くしか無いのだ。周りはただ振り回されるだけ。
そうと決まれば後は魔獣の対策だけ、
水を張った堀なら多少効果は有るが其れだって飛び越せる、そもそもそんな物を作るだけの時間も力も無いとの事。
だから、非戦闘員は村長宅に避難し厳重に戸締りをして引き籠る。
戦闘要員に必要なのは防具だ、
「って言われても流石にコレは惜しいな」
防具として細かく切り裂いたのは
しっかりとなめして、職人の手で加工すれば素晴らしい防具が出来る物を……と思わずにいられない。
そもそも、処理をしなければ防具に出来ないと頑張ったのだが、姫様はなめし液に皮を漬けると、魔法で一気に処理をしてしまった。便利なもんだ、言葉も無い。
後は火だ、たいまつは大量に用意し、広場にはキャンプファイヤーよろしく巨大な篝火を用意した。
噛まれた際は火で炙ってやれば口を離すと、まさかそんな習性まで知っているとは恐れ入る。
魔獣が好きなのか? と思わず尋ねれば。
「そんな女の子が居ると思っているのですか?」
と冷たく言い放たれた。だが、おかしい、どう考えたってその知識量は十二の少女が持っていて良い物では無い。
何にせよ装備も準備も整った、ここまでやって何にもなかったら良い笑い話になるのだが、なぜだかそんな可能性は微塵も期待しちゃいなかった。
それこそ不思議だ、みんながその少女の言う事が本当だと信じ込んでいる、まるで見て来た様に語る一つ一つの言葉、その説得力が凄まじいのだ。
それは準備を始めて僅か二日後の事だった、タイミングを考えれば逃げたって間に合ったかどうかは疑わしい。
「来やがったか」
「オイオイ俺の目がおかしくなったのか?」
「正常だよ、俺の目にも映ってる」
「無駄口は止めてください、総員戦闘準備!」
森を茶色に染める程の