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ハーフエルフの襲撃

 ――ザスッ!


 肉が裂ける音がした。


「グアァァァ!」


 その悲鳴でサンドラさんが矢で射貫かれたと解る前に、俺は田中に引き寄せられていた。


「待ち伏せされてたか?」


 田中のマントに包まれた俺に、そんな呟きが聞こえてきた。


「帝国兵ですか?」


 突然の襲撃にも関わらず、発した声に緊張や震えが含まれ無かったのは、自分でも意外だった。

 田中の腕の中、マントで遮られ視界はゼロ。それでも不安は無かった。

 間近で触れ合う田中の体はガッシリとして鉄の様に固い。それが安心感に繋がっているのは疑い様も無く、その事実が恐怖の代わりに嫉妬とも羞恥とも付かない複雑な感情を発露させた。


「違うみたいだな」


 マントの隙間から見上げた田中の顔は、探る様な怪訝な物で、緊張や絶望とは無縁に見えた。大軍に囲まれたとかでは無いと思って良さそうだ。


「オイ! どう言うつもりだお前ら!」


 田中が街道脇の林へと叫んだ、そう、大森林を抜けたって木が一本も無くなるって訳じゃない。街道沿いには林が有り、そこから矢を射かけられたのだ。

 完全に待ち伏せされた形だろう。


「無能どもよ! 我らが姫を放し、投降せよ!」


 線の細い声を精一杯張り上げた。そんな印象の罵声は震えていて、明らかにこう言う荒事に慣れていない者を思わせた。


「無能とはご挨拶だな」

森に住む者(ビジャ)があなた方を卑下する時に使う蔑称です、人が我々を森に棲む者(ザバ)と呼ぶのと同じような物と思って下さい」

「それにしても、無能たぁ品が良い物言いとは言えねーな」

「全くです」


 努めて冷静に答えたが、まさか無能が一番穏当な言い方とは言いづらい。這いつくばる者なんて、もはや意味が解らないって思われてしまうだろう。


「で? どうするよ」

「どうやら思い違いが有るようです、おおかた私があなた方に攫われた。そんな風に思っているのでしょう」

「おいおい、ホントに一人で黙って来たのかよ、せめて話は通して欲しかったモンだがな」

「その筈だったのですが、残念ながら馬車での移動中に魔獣に襲われてしまいまして……」

「オイ! 聞いてねーぞ!」


「ごちゃごちゃ言ってないで姫を放せ!」


 エルフの男は怒声を張ると同時に矢を放った。


 ――ザスッ


 景気が良い音と共に、田中の足元に深々と突き刺さるが、外した訳では無いだろう。

 これは警告だ。


「オイ、斬って良いのか?」


 斬って良いのかって? やれるのか? 何人居るのかも解らないじゃないか!

 いや、やれるとしても困る。俺が人間に攫われたなんて話になったら、人間との協力なんて夢のまた夢、むしろ却って遠ざかってしまう。


「分かりました、私が話を付けましょう」

「そうか……頼りにしてるぜ」


 そう言うと田中はマント越しに俺の頭をクシャっと撫でた。


 ……ちょっと嬉しいのが悔しい。

 俺が包まれてるマントは田中の匂いがして臭い、でもそれが余り不快でない所か安心する匂いだと思ってしまうのは何たる事か。

 俺の精神は相当に乙女になってると思って良さそうだ。


「弓を下げなさい! 私は彼らに捕まっている訳ではありません!」


 田中のマントから抜け出し、俺は襲撃者の前に姿を晒した。

 林の隙間から弓を構えるのは六人、いずれもエルフだ。


 ……いや、耳がエルフ程長くない、俺と同じぐらいで……ハーフエルフか?


「姫様!」

「本物か?」

「ああ、話に聞いていた特徴とも一致する」


 お互いに顔を窺う六人だが、その表情からして俺の顔を知らない様だ。

 ハーフエルフには大森林中央部の魔力は辛い。だから俺の顔も知らないハズ。精々写し絵を見た事が有るぐらいだろうか?


「姫様、そいつから離れてこっちに来てください!」

「無礼な! 話が有ると言うのならそちらから歩み寄るのが道理であろう!」


 威厳たっぷりに声を上げる。すると困った様子で、再び互いに目を見合わせる。いやもう本当に困ったのはこっちだと言いたい。


 エルフの男たちは警戒を解かずに弓を構えながらも、ゆっくりと近づいて来る。当座命の危機は無いと思って良さそうだ。

 そもそもサンドラのおいちゃんは無事なのか? 死んで無いだろうな? 死んでいたら……テイラーさん泣くだろうなぁ……。


 サンドラのおいちゃんに近づくと、おいちゃんは右肩に矢を受け蹲っていた、しかし命に別状は無さそうで、俺はホッと息をつく。


「うぐっ、ウゥゥ」

「ゆっくりと息を吐くか、何か噛んでいて下さい『我、望む、汝に眠る命の輝きと生の息吹よ、大いなる流れとなりて傷付く体を癒し給え』」


 呪文を唱え力任せに矢を引きぬ……いや俺の力じゃいたずらに痛めつけるだけになりかねない、ここは田中に抜いて貰おう。

 目で田中に訴えかけると、田中はむんずと矢羽を掴むと一気に引き抜いた。


「グゥゥーー」


 サンドラさんは呻くがそれは仕方が無い、しかしこれでは魔法の効きは悪いのだ。サンドラさんの背中に俺は体を密着させた。


 スゥ、ハー スゥーハー スゥーーハァーー


 俺はゆっくりと魔法を発動させながら、おいちゃんの耳元で、おいちゃんの呼吸に合わせて浅い息継ぎを繰り返す。

 その息継ぎを少しずつゆっくりとしたものに変えて行くと、おいちゃんの呼吸も釣られてゆっくりとしたものに変わって来る。

 十分に落ち着いた所を見計らい、一気に患部に魔力を流す。


「おおっ!」

「回復魔法!」

「魔道具無しでこの回復、噂通りだ! 間違いない! ユマ姫だ」


 一気に塞がったおいちゃんの傷を見て、色めき立つエルフ達。

 確かに回復魔法、特に他人の傷を治す他者回復は高度な魔法だ。ハーフエルフの魔力値は80無いのが普通と聞くしハードルが高い魔法だろう。


「ハーフエルフにして、並のエルフを上回る魔力、噂は本当じゃったか」


 唸る様に呟くのは六人の中で一番年長のエルフのお爺さん。

 そう、俺の魔力値はハーフエルフとしては図抜けて居る、襲撃を受ける前、成人の儀の時既に200超えで、それが今や400超え。

 いや流石に人間の領域まで来て、薄い魔力のお陰で300後半まで下がっているが、それでも圧倒的な魔力値だろう。


 いや、むしろ魔力の無い場所でここまでの魔力を持つ人間が他に居るのか? この領域では世界有数のレベルに達しているのでは無いだろうか?


 その原因、思い当たるのは二つ。まずは俺が参照権で魂の記憶に触れたパルメスだ。

 思えば湖で赤棘毒蛙(マネギデスタル)を見て、気絶して王都に運び込まれた後から、俺の魔力値はガンガン伸びて行った。

 俺が薬草取りの少年、シルフの記憶に触れた際、森の歩き方を自然にマスターした様に、将来の大魔法使いとして嘱望されながら、僅か三歳でこの世を去ったパルメスの記憶も魔力値に影響を与えたに違いない。


 魔力に大切だと言われる呼吸が変わった? はたまた魂の記憶に触れると体質までも影響を受けるのか? それとも神が言っていた因果律の回収か?

 細かい事は解らないし解りようが無い。ただ俺がパルメスの記憶をハッキリと意識した山小屋での出来事から、俺の魔力値は更に上がったのは間違いなかった。


 そしてもう一つは……、俺は肩に流れる自分の毛髪を、回復魔法を使っていない空いた左手で弄びながら考える。

 間違いなく俺の変異の影響だ。変異によって俺の髪色と片目はピンクに染まった。赤はともかくピンクなんてアニメじみた色、前世も今世も見た事が無い。


 俺の体は一体どうなっているんだろうかと考えないでは無いが、考えたってどうにもならない事は考えないに限る。


 ともかく、魔法によって俺の身分と、捕まっていた訳では無いと理解して貰えただろう、ここは押し切るしかあるまい。


「控えよ! 我をなんと心得る!」

「ハハッ! ユマ姫であらせられます!」


 良かった、ちゃんと控えてくれた。しゃがみ込んだエルフ達に言葉を投げかける。


「何のつもりで我らに矢を射かけたのか、返答次第では只では済まさない!」

「ハ、ハイ! 姫が人間の村に居ると聞き、姫の乗った馬車が大牙猪(ザルギルゴール)に襲われたとも聞いていたので、彷徨っていた所を攫われたものかと思い助けに参ったのですが……」

「誤解だ、私は自らの意思で人間の村へ足を運んだのだ、目指すはビルダール王国の王都である」


 馬車の生き残りが村に帰る事も出来ずに、ハーフエルフの村に辿り着いて居たのか。

 だったら俺が王都を目指してるって事まで言ってくれれば良いのに。


 いや、そんな事聞いたって、まさか姫が一人で王都を目指してるとは思わないか。あんな目に合って、まだ一緒に王都まで来る気だろうか?


「あなた方は王都までの旅に同行してくれるのですか?」

「い、いえ、まずは村長や村のみんなに相談したい、申し訳ありませんが村まで同行して頂けませんか?」

「距離は? 我々には時間が無いのです」

「ハーフエルフの村落でしたら、大森林の端ですから、ここからなら三日と掛かりません」


 ふむ、三日か、良く考えたらエルフに話が通って無いのはマズい。人間に頭がおかしい偽物と思われるのはともかく、エルフにそう思われちゃマズイし、誤解を解く機会も少ないだろう。

 なんせ人間の街にエルフは居ない、いてもハーフエルフが少数って所か、なにしろ魔力値で生活圏が分かれる世界だからな。

 ジッと田中を見ると、パタパタと手を振って言う。


「俺ぁ構わねぇぜ? ここまで来たら付き合ってやるよ。エルフの村ってのも見てみたいからな」


 ならば後はサンドラさんだ、傷は治っただろうが削れた健康値が心配だ、ソノアール村まで戻って事情を説明して貰おう。


「サンドラさん」

「うぅ、済まねぇ姫さま」

「落ち着いて聞いてください、私とタナカはこれから彼らの村に向かいます」

「うぅオラも」

「いえ、傷は治っても体力は落ちています、サンドラさんは村まで戻ってください」

「んでも!」

「村に事情を伝えてください、人間とビジャの戦闘になってしまっては困ります」

「……分かっただ」


 よろよろと立ち上がるおいちゃんに生気は無いが、ここは村まで僅か十数キロの場所だ、俺と一緒に居て『偶然』に曝されるより、よほど安全な行程となるだろう。


「では向かいましょう! 先導なさい!」

「ハッ!」


 六人のエルフが声を揃えるが、当然の様について来る田中に怪訝な視線が向けられた。


「ユマ様コイツは一体なんですか?」

「彼は私の護衛です、人間の都に行くのですから人間の護衛は必要でしょう?」

「いや……しかし」


 胡散臭い物を見る目でジロジロと田中を見定めようとするが、当の田中は気にする風も無い。堂々としたもんだ。


 ハーフエルフの六人は再び互いに顔を窺い、取り敢えず保留としたのか村へと歩き出した。


 計八人となった奇妙な一行と、俺は再び大森林へと足を踏み入れるのであった。

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