死地での報酬
王都からほど近い狩猟小屋、そこに俺達は居た。
以前ブーブー鳥を調理した場所もそんな場所だったが、今回はキャンプ場化されたそれとは異なる。なにせ離宮からの隠し通路が通じる場所なのだ。
万が一の時のため、王族のみに教えられる隠し通路。そんなありがちな存在が本当にあるんだと、教えてもらった瞬間に凄く嬉しかったのを覚えている。……だけど同時に少し怖かった、ココを使うとしたら俺になるんじゃないかと。
ああ畜生、そういう予感だけは当たるんだよな。
俺は完全に人間に制圧された離宮を抜けだした。エルフ達はこんな日が来るなんて夢にも思っていなかった、だから王宮にはこんな隠し通路は無いと父が言っていた。
ただ、万が一を越えて、億が一での確率で、何かが起こってしまった時に、隠し通路で家族だけでも逃げて欲しい。そんな歴代の王の気持ちが作らせたと言われる通路、それを這いつくばるように脱出した。
セレナは寝かせてある。太ももに受けた銃弾で出血が酷い、でも傷よりも問題はこの狩猟小屋をも覆う霧の存在だ、セレナは魔力を遮る霧の中では弱る一方。一体何処へ逃げれば良い?
考えを巡らせながらも戸棚を漁る。保存が効く食べ物が並ぶ、乾パンみたいな保存食、ナッツ、乾いた豆、ご丁寧に自分の横顔が焼き印されたチーズが有った。それらを纏めて皮袋に突っ込む、水筒袋も一緒だ、森には小川が多い、汲む場所は少なくない。
問題は魔力の分布、北はエルフの古代都市が有った場所。思い起こすは成人の儀の時の事、今にして思えばあそこはココより魔力が濃いのではないだろうか? あの時のセレナは元気一杯だった、セレナの回復には一番良いかも知れない。
しかし、まだ冬も開けたばかりで寒い。吹雪でも有れば怪我をしたセレナには命に係わる。さらに言えば魔力が濃いのだから魔獣が多い。しかも時期が悪い、今から北に向かうと丁度冬が開けたばかりで冬眠明けの魔獣が餌を求めて徘徊する時期と重なる。
魔獣も冬眠する個体は多く、冬は魔獣が減る。それでも襲われる俺の不運は図抜けて居ると言えた、それだけに今、北に向かうのは自殺行為に思われた。
次に、東、コレは西から来た帝国、正式名称は確か、セルギス帝国……とは真逆の方向で、東側には帝国のライバルとも言える、ビルダール王国が有るのも大きい。
ビルダール王国を刺激したくない、そんな思惑が有れば帝国だって東には来られない筈だ。
……ただし問題点も有る。森の東側は森林と言うより人を寄せ付けぬ樹海だ。妹を抱えて移動するのは難しいだろう。
そして深い谷や切り立った山脈に遮られ、そのままビルダール王国まで抜けるのは不可能に近い。
最後は南だ、南に広がる森にはエルフの村も多く気候だって暖かい。手入れがされている分だけ魔獣も少ない。
こう来れば迷わず南に行きたいところだが、帝国の奴らだって俺らを追っかけるなら南に目を付ける。それに王都を強襲した後、戦端を南に広げる可能性は高い。その時に奴らは当然あの霧をばら撒くだろう。
結局俺は一旦東へ行く事を選んだ、東ならば奴らが追ってくる可能性は極めて低い。
そうと決まればまずは革の水筒をもって近くの小川で水を汲みに出かける。小高い丘になっている狩猟小屋からは王都と王宮の一部が見渡せた。
「火は付いてない……か」
苦し紛れに脱出の直前、台所の油をばら撒いて魔法で火をつけてみたが大した成果は上がらなかったらしい。期待はしないつもりでいたが想像以上に落胆している自分が居た。
水を汲み狩猟小屋に帰る。常備された消毒薬と傷薬を用意して
火縄銃で撃たれたセレナの太ももにはまだ弾丸が残っている、本当はもっと体力が回復してから、せめて霧が無い所で取り出したかったが、まずは早く逃げださなくてはならない。
「セレナ、ごめんね」
意識のないセレナの口になんだかよくわからない革を突っ込む、一応消毒したから大丈夫の筈。それからセレナのドレスを捲り上げて患部を露わにする。
セレナが撃たれたのは太ももの内側、見てみれば大分肉が抉られて、赤黒くなった血に濡れているのが解る。
「我慢してね」
患部に消毒薬を振りかける。
「ンッ! ンンンッ」
「大丈夫? セレナ痛くない? 痛いよね? ごめんね」
「おえ……ひゃん?」
「そうよ、ユマお姉ちゃん、セレナをおんぶして王宮を脱出してきたの」
セレナはボーッとした様子で天井を見つめていた、『全てが夢だったら』そんな事を思っているのだろう。でも全部現実なんだ、みんな、みんな死んだんだ。
でも、俺にはセレナが居る。セレナにも俺が居ると思ってほしい、セレナだけは守りたいんだ。
「我慢してね、体の中の悪いの抜き取っちゃうから
『我、望む、この手に引き寄せられる、肉に埋まりし鉄塊よ』」
「ンンンッ! ウゥゥ、ンゥ!」
「ごめんね! 我慢してね!」
魔法は何とか発動した、体に埋まった鉄を引き寄せるだけ、ただそれだけの魔法が辛い。思った以上に魔法が制御出来ないし、体の魔力を振り絞らないと発動しない。そう言えば魔剣で切るのにも魔力を使ってしまった、兄の魔剣はそれだけ魔力を食うのか。我を忘れて使ってしまった、体が怠く感じ始めたのはそれが原因か、でも妹は、セレナはもっと辛い、血がまた流れてくる、そこに消毒液を掛ける。
「ンンンッンンンンン!!」
「ごめんね! ごめんね!」
謝りながら、血濡れになった包帯代わりにしたカーテンを外し、代わりにベッドの敷布を切り取ってキツく巻き付ける。
「…………」
「セレナ! セレナ!」
マズい、また気を失ってしまった。でも、弾丸が入ったまま移動する訳には行かなかった。俺は間違ってない! 間違ってないよな? クソッ! これはゲームじゃ無いんだ選択肢みたいに考えるな。どっちかが正解で、どっちかが間違いなんて保証も無いし、考えたら新しい選択肢だって有るかも知れない。
俺は今まで、生き死にに関わるような選択を迫られた事は一度も無かった。
だが漠然と、そう言う状況になれば、俺は正しい選択が出来ると信じていた。
だが、当然に世の中『正しい選択』など無いのだ。なのに強烈なストレスの所為か、不思議と却ってゲーム感覚に『正しい選択肢』を選ぶような思考に囚われる。失敗したら二度とやり直しがきかないと言うのに。
……でも、拙速は巧遅に勝ると言う。ゲーム感覚でも良いからやるべき事をドライに取捨選択し、素早く行動するのは間違っていないのでは?
そうだ、今だって安全じゃない、次の瞬間に奴らが扉を蹴破って姿を現してもおかしくないんだ。
「セレナ、ごめん……」
物言わぬセレナを背負い、保存食を纏めた袋を担いで扉を開ける、思った以上に重い。でも諦めない、諦めたくない。背中越しに脂汗に濡れるセレナの湿度と温もりを感じる。
ああっ! セレナは、セレナだけは! 俺は絶対に守りたいんだ!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ギリギリギリ
口の中で正体不明の革布が悲鳴を上げる。銃弾を抜くときにセレナに噛ませていた革だが、今は俺の口の中に有る。
樹海とも言える難所を女の子でしかない俺が、セレナをおんぶして歩くには、自分の体を限界まで追い込むしか無かったからだ。
歯がボロボロになるかも知れないぐらいに食いしばる。こんな所を皆に見られたら必死で止められるんだろうな……と思ってしまう。なぜって、歯は回復魔法でも治らないからだ。
ああ、そうだ、この世界には回復魔法がある。自然治癒力を瞬間的に高めるだけだが、怪我には有効だ、今はそれが希望だった。
回復魔法で腕が生えてくるって事は無い。それでも千切れただけなら腕を縫い合わせた上で、回復魔法を掛けてやればくっついたりする。他人の腕をくっ付けるのも禁忌とされるが不可能じゃないらしい。
ただこの世界は血液型なんて概念も無いので、なんか知らないけど上手くいった、上手くいかなかった。死んでしまった、呪われていたんだ。みたいな雑な感想文が記録として残っている。
少なくとも銃弾で太ももの肉が抉られた程度のセレナの傷ならば、回復魔法が使えれば治せると言う事だ。俺がギリギリ使えるぐらいの高度な魔法である。霧の影響が全く無い場所まで脱出しなければならない。
俺の歯なんて総入れ歯だって良い。まずはセレナを治す。
東の森は正に樹海だった。木の根は入り組んで段差だらけ、疲労の余り足が全く上がらず、両手が埋まっている俺は、段差の度に這いつくばる様に乗り越えるから服はもう泥だらけだ。狩猟小屋に猟師用の服が合って助かった。サイズまでピッタリと用意してくれたらしい、億が一の備えが役に立ったと言う事か。
ただセレナのサイズの服は無かった。有ったとしても丈夫だが重量も嵩む猟師服を着せる余裕が有ったとは思えないが。
「フゥーフゥーフゥー」
口に挟んだ革の隙間から荒い息が溢れる。
あれから二日だ。夜だって寝ていない、火だって使えない。追っ手に怯えて、寒く冷たい夜を、妹を抱きしめて過ごした。
運よく大型の魔獣には出会っていない。小型の魔獣が様子を窺って来たが剣を抜いて威嚇してやれば逃げて行った。これだけ入り組んだ森だと巨大な魔獣は行動出来ない筈。俺の狙いは当たった格好だ。
ただし、その分体力はガリガリと削られる。歯を力任せに噛み締め、動かない足をぶっ叩いて引き摺る様に歩いてきた。
ただし、それも限界に近づいてきた、無くなる体力を嘲笑うかのように森は険しさを増して行く。あわよくば王国まで抜けて、同盟を持ちかけるなどと言う夢は捨てた。
まずは東の狩猟小屋に辿り着き、治療と体力の回復を図る。これが今の目標だ。
狩猟小屋の位置なんてモノを細かく覚えている王族なんて他に居ないだろうが、俺は一度見たものは参照権で好きな時に調べ直せる。
エルフの狩猟小屋は大森林のそこかしこに存在する。なぜなら森で魔獣を狩る事はエルフの使命であり、重要な安全保障だ。
上手くすれば狩猟小屋経由で旅が出来る。王都近くと違い、全ての狩猟小屋に食料の備蓄がされているとは思えないが、一時凌ぎの治療は出来る筈だ。
それだけが唯一の希望と言えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……疲れがピークになると、足元しか見る事が出来なくなる。ましてやそれが足場の悪い深い森の真っ只中と来れば当たり前の事。ただその時、俺はふと前を向いた、そこには立派な薬草が大きな葉をつけて茂っていた。
それで思ったのだ。「やった! これでセレナを治せる!」 と。
そんな自分に、何の違和感も抱かなかった。ボーッとした頭で足を踏み出す、これでセレナが助かる、セレナが! セレナが!
「おね……えちゃん?」
背中のセレナが起きた。ここ数日は気を失ってる事が多いが、それももう大丈夫、背負ったセレナを振り返る。思った以上に顔色が悪い、脂汗も浮かんでいる。でもそれもココまでだ、この薬草で治せる!
前に向き直り薬草へ足を踏み出そうとしたが、疲労で思うように動かなかった。
……それに、救われた。
目の前には崖があった。むしろ、崖しかなかった。
俺が見ていた薬草などは消え失せて、遥か奈落へ続いていくような暗い森へ落ちていく段差が広がるばかり。
サァーーーと血の気が引いていく。
何だ? 何なんだ? 幻覚? なんで? 誰が俺を殺そうとした? コレが俺の魂の呪い、『偶然』なのか? こんなのは『偶然』じゃないだろ! 悪意の塊だ! これじゃ質の悪い怪談みたいじゃないか!
「ハーハーハー」
疲れではなく、緊張の余り荒い息を付く。今、俺は死のうとしていた? 自分で死のうとしていた?
妹が声を掛けてくれなかったら、この暗い崖に自ら身を投げていた、セレナがまた俺を救ってくれた! じゃあ誰が俺を殺そうとした? 誰だよ! 誰だ? 名前を言え、訳わからねー事ばかり起こりやがって! ちょっとは俺の前に姿を現せよ! 自己紹介の一つでもしてみろってんだよ!
「私の名前はシルフ」
?? 思いがけず返事があった。
誰だよ!? どこのどいつだ! 姿を見せろよ!
「おねいちゃん?」
崖の上で呆然とする俺に、セレナは不思議そうな声を掛ける。
「シルフって誰?」
……え? 何って? いや俺に聞かれても知らないよ? え?
まさか今、俺が喋ったのか? 俺がシルフだって言ったのか? 誰だよ? シルフって、誰なんだよ!
「う! ううぅ!」
「お姉ちゃん! だいじょぶ? おねーちゃん!」
頭が痛い、思わずしゃがみ込む。この時セレナの重さも有って後ろに足が行ってよかった、これで前に転んで崖に落ちたりしたら笑えなかった。
「だ、大丈夫、頭が急に痛くなっただけ」
「おねーちゃん……」
セレナは心配そうだ、でも俺はセレナの方が心配だ。俺の心配は要らない、なんせ俺はもう森の歩き方を知っているから。
「行こう、セレナ、上手くいけばこの先に狩猟小屋があるかもしれない」
「ほんと? 良かったー」
俺は軽くなった足取りで森を進み始めた。