女魔道師モーラ
亜里砂と別れたレーネ、ザック、ムル、ミケ、そして、ウサギ耳の獣人、ピュートは左右に無数の扉がある細い通路を歩いていた。
レーネはチョークで印をつけていた扉を開く。
背後にいたミケが扉の先にある小部屋を見て、口を開く。
「にゃっ! この部屋は前に通ったことがあるにゃ」
「うん。拠点に戻るからね」
「拠点って、みんながいるところかにゃ?」
「そう。蜘蛛のモンスターのことをアルクに伝えておきたいし、三人死んで五人のパーティーになったから」
レーネは薄い唇を強く結ぶ。
――この状況でイリュートに襲われたら、危険だ。ミケとピュートはそれなりに頑張ってるけど、Fランクに過度の期待はできないし。せめて、別行動してる他のパーティーと合流できたら……。
レーネは険しい表情で小部屋の奥に移動して、別の扉をそっと開いた。
「あ…………」
レーネの瞳に倒れている八人の冒険者たちの姿が映った。冒険者たちは大量の血を流していて、その体に女王蜘蛛が覆い被さっていた。
グシャ……グシャ……グシャ……。
死体の肉を噛む不気味な音が聞こえてくる。
その周囲には半透明の蜘蛛たちがいて、千切れた肉片を食べていた。
レーネは音を立てないようにして、扉を閉めた。
「ヤバイな……」
「どうした? レーネ」
ザックがレーネに声をかけた。
「女王蜘蛛よ。八人やられてる」
「まだ、でかいのがいたのかよ?」
「さっきとは別の群れの女王様ってことでしょうね」
「やられたのは、俺たちといっしょに探索に出た奴らか?」
「うん。これで、探索組は私たちだけになったってこと」
「ちっ!」とザックは舌打ちをした。
「こうなったら、別の道を通って、アルクたちと合流するしかないな」
「…………ああ」
狼の顔をした獣人のムルがうなずく。
「急ごう! イヤな予感がする」
「イヤな予感か。ムルの予感は当たるからな」
ムルの首の後ろの毛が逆立っているのを見て、ザックの体が微かに震えた。
◇
レーネが扉を開けると、大部屋の奥に集まっているアルクたちの姿が見えた。
壁際には数人の冒険者が体を横たえている。どうやら、交代で休みを取っているようだ。
レーネたちの姿が気づいたアルクが早足で駆け寄ってきた。
「どうしたんだ? 三人いないようだが?」
「殺されたよ。半透明の蜘蛛にね」
「蜘蛛? 強いモンスターなのか?」
「小さいのはたいしたことない。でも、何百匹……もしかしたら、何千匹もいるかも」
レーネは集まってきた冒険者たちに蜘蛛と戦った話をした。
「…………探索に出たもう一つのパーティーは全滅よ。別の蜘蛛の群れにやられたみたい」
「全滅…………」
アルクの声が掠れる。
「おいっ、アルク!」
ザックが呆然としているアルクの肩を掴む。
「こうなったら、残った全員で行動したほうがいい」
「しかし、それでは効率が悪くなるぞ」
「人数を分けて、蜘蛛の集団に殺されるよりマシだろ。二十人いれば、女王蜘蛛とも互角以上に戦えるはずだしな」
「…………わかった。全員で行動しよう!」
アルクは話を聞いていた冒険者たちを見回す。
「みんなもそれでいいな?」
冒険者たちは険しい顔を浮かべながらも、アルクの提案に同意した。
その時、最下層に下りる階段から赤毛の女魔道師モーラが現れた。
「ねぇ、ちょっと来て! あの卵が変なの」
「どう変なんだ?」
アルクがモーラに質問した。
「鼓動が早くなってて、殻の部分が透けてるの」
「透けてる?」
「うん。中に変な影が見えてて…………」
「究極のモンスターが生まれるってことか?」
「そう…………かもしれない」
数人の冒険者たちが最下層に下りる階段に向かう。
「待てっ! 全員で行こう! そのほうが何かあった時にも対処しやすい」
アルクの指示に従って、冒険者たちは全員で最下層に下りる。
先頭を歩いていたアルクの足が階段の途中で止まった。
冒険者たちは口を半開きにして、植物のつるのようなもので支えられた球体を凝視する。
赤黒かった殻の部分が透けていて、中で黒いものが動いている。
ドクン……ドクン……ドクン……ドクン…………。
レーネが球体から視線をそらさずに、乾いた唇を動かした。
「今のうちに逃げたほうがいいかもしれない」
「多分、まだ大丈夫なはず」
背後にいたモーラが言った。
「究極のモンスターが生まれるためには、私たちが死ぬことが重要な要素になるって、ネフュータスが言ってたでしょ」
「私たちが生きてるから、まだ余裕があるってこと?」
「…………そうね。ここに二十人の冒険者がいるし、別行動してる連中もいる。百人の冒険者を雇ったんだから、それに近い生贄が必要なはずよ」
「どうにかならねぇのか?」
ザックが荒い声を出した。
「奴らが究極のモンスターって言ってたんだ。Sランクの冒険者でもいなけりゃ、どうにもならないぞ」
「大丈夫にゃ!」
ミケが明るい声で言った。
「彼方なら、究極のモンスターも倒してくれるにゃ」
「いや、それは無理だろ」
ザックが呆れた顔で首を左右に振る。
「あいつがそれなりに強いのはわかってるが、上位のモンスターと戦っても死ぬだけだ。いや、もしかしたら、もう、イリュートに殺され…………」
「バカなこと言わないのっ!」
レーネがザックの頭を軽く叩いた。
「彼方なら、イリュートに勝てないと思ったら、戦うことを避けるはずだし」
「それなら、いいんだが…………」
ザックは彼方の無事を祈って、右手の人差し指と中指を絡める。
「ねぇ、試してみたいことがあるんだけど」
モーラがアルクの肩に触れた。
「殻が薄くなった今なら、私の呪文が効くかもしれない」
「呪文で卵を壊そうって言うのか?」
「うん。やってみる価値はあると思う」
そう言って、モーラは階段を下りる。
「みんな、私の後ろに移動して。今から、全力の呪文を撃つから」
「わっ、わかった。みんなっ、モーラの後ろに集まってくれ」
アルクの言葉に従って、冒険者たちがモーラの背後に移動する。
モーラは杖の先端を球体に向ける。
「動かない物なら、詠唱が長くても問題ないから」
深く息を吸い込んで、モーラは呪文を唱える。
「気高き炎の精よ…………我に力を与えたまえ。ルーファルトゥ…………エスレイリル…………イフラートル…………」
モーラの持つ杖の先端が赤くなり、周囲の温度が上がった。
「…………ラーフェル…………ギルドゥ…………レーグエル!」
呪文の詠唱を終えたモーラの唇が裂けるように広がった。
「じゃあ、さようなら」
モーラは杖の先端を集まっていた冒険者たちに向ける。
オレンジ色の炎が、呆然としている冒険者たちの体を包んだ。