絶望の幕開け
「まずは、そこの球体の説明からするかのぉ。それは卵じゃ」
鏡の中のバーゼルは視線を球体に向けて、言葉を続ける。
「もちろん、ただの卵ではない。究極のモンスターを生み出す卵じゃ」
「究極のモンスター…………」
アルクが掠れた声を出す。
「どっ、どうしてそんなものを?」
「それは、わしとイリュートがカーリュス教の信者だからじゃよ」
その言葉に、冒険者たちがざわめいた。
彼方は強張った顔をしているレーネの耳元に唇を寄せた。
「カーリュス教って何?」
「太古の邪神カーリュスを崇める宗教だよ。欲望のためなら、人を殺してもいいって考えで、四つの大国全てが禁止してるの」
「そんな宗教があるんだ…………」
「おいっ! バーゼルっ!」
ザックが鏡に向かって叫んだ。
「その卵と俺たちに何の関係があるんだ?」
「お前たちは生贄じゃよ」
「い、生贄?」
「そうじゃ。その卵には、千年以上生きたドラゴンの骨、ブラックオーガの心臓、クラーケンの目玉にケルベロスのしっぽ、そして数々の秘薬が入っておる。これだけの素材を集めるのに、どれ程苦労したことか…………」
バーゼルは小刻みに体を震わせる。
「そして、あるお方のおかげで、邪神ザルドゥ様の血も手に入った」
「ザルドゥの血だと?」
「そうだ」
突然、上空から暗い声が聞こえてきた。
冒険者たちの視線が、全員上を向く。
球体の横には、紫色のローブを着た老人が浮かんでいた。
その老人は骸骨に皮膚が張り付いたような顔をしていて、唇はなく歯が剥き出しの状態だった。あばら骨が浮き出た胸元には、能面のような小さな顔が別にある。
「我はネフュータス。邪神ザルドウの四天王だった者だ」
「ネフュータス…………」
ザックの顔が蒼白になった。
「安心するがよい。我は手を出さぬ。一瞬で殺しては意味がないからな」
老人――ネフュータスは剥き出しの歯をカチカチと鳴らした。
「お前たちには、極限まで恐怖と絶望を感じながら、時間をかけて死んでもらう。それがこの秘術には重要な要素だからな」
「恐怖と絶望…………」
「光栄に思うがよい。お前たちの魂と血と肉は、究極の生命体の一部となるのだ」
「たっ、助けて!」
女の冒険者が胸元で両手を合わせた。
「私、死にたくないの。何でもするから助けてください」
「ならば、自らの首をキリオトセ」
ネフュータスの胸元にある小さな顔が甲高い声で喋った。
「そうすれば、お前の感じる絶望と恐怖は極上のものになるダロウ」
「そんな…………」
その時、冒険者の一人がネフュータスに向かって短剣を投げた。短剣は空気を切り裂き、深々とネフュータスの左胸に突き刺さる。
しかし、ネフュータスは何のダメージも受けていないようだった。
枯れ木のような細い手で短剣を引き抜き、表情を変えることなく剥き出しの歯を動かす。
「あとはお前にまかせる。儀式が終了したら、知らせるがいい」
「わかりました。ネフュータス様」
イリュートが深々と頭を下げる。
ネフュータスの右手にはめられていた青い宝石のついた指輪が輝く。
数秒後、ネフュータスの姿がぱっと消えた。
「さて…………と」
イリュートが冒険者たちを見回す。
「これで状況は理解いただけましたか?」
「ふざけるなっ!」
ザックがロングソードの刃先をイリュートに向けた。
「俺達をここから出せ!」
「それは無理です。こちらの魔法陣から上の魔法陣への転移は不可能ですから」
「それなら、出口を教えろ!」
「そんなことをしたら、私がネフュータス様に殺されてしまいますよ」
イリュートは肩をすくめる。
「まあ、運が悪かったと諦めてください」
「お前、状況がわかってるのか?」
十数人の冒険者たちが、イリュートを取り囲む。
「お前がBランクだったとしても、こっちは百人いるんだ。百人相手に戦うつもりかよ」
「たしかにDランク以下とはいえ、百人は厳しいですね」
「拷問してでも、出口を教えてもらうぞ」
「無駄よ」
女魔道師らしき冒険者がイリュートに近づき、杖を振った。
その杖がイリュートの体をすり抜ける。
「光属性の呪文で作った幻影よ。本物じゃない」
「あらら、バレちゃいましたね」
イリュートは目を細くして笑う。
「まあ、出口を教えることはできませんが、少しヒントを差し上げましょう。このダンジョンを出るには特別な扉を通るしかないんです」
「特別って?」
「その扉は十人通すと消えてしまうんですよ。この意味がわかります?」
教え子に説明する教師のような口調でイリュートは言った。
「運よく出口を見つけても、助かるのは、私を含めて十人だけってことですよ」
その言葉に、冒険者たちの顔が強張った。
「まあ、頑張ってください。希望があるからこそ、恐怖と絶望も強くなりますから」
イリュートの幻影が消え、それと同時にバーゼルが映っていた鏡も消えた。
――面倒なことになったな。
彼方は赤黒い球体に視線を向ける。
――カードの力で卵を壊すことはできるかもしれないけど、問題は出口探しのほうだ。もし、イリュートの言ってることが事実なら、逃げられるのは十人だけってことか。
彼方の瞳に動揺している冒険者たちの姿が映る。
「何かの間違いならいいんだけど…………」
「どうしたの? 彼方」
レーネが彼方に体を寄せた。
「…………いや。ちょっと気になることがあって」
「気になることって?」
「今は話すようなことじゃないよ。みんなを混乱させることになるかもしれないから」
彼方は唇を強く結んで、脈打つ球体を見上げた。