初めての買い物
次の日の朝、彼方は王都の近くの草原で目を覚ました。
隣にはミケが体を丸くして眠っている。茶色のしっぽがぱたぱたと揺れ、彼方のズボンに当たっていた。
「野宿も慣れてきたな」
彼方は着ているシャツに触れる。
――時々、洗っているけど、このシャツも汚れてきてるな。白だから目立つし、とりあえず、今日は服を揃えるか。
ポケットから、リル金貨一枚を取り出す。
それは、昨夜、レーネから救出の礼としてもらったものだった。
――リル金貨は銀貨十枚だから、約一万円か。あとは服の相場がどのぐらいかだな。
「ねぇ、ミケ」
彼方は眠っているミケの肩に触れる。
「うにゃ。ミケはまだ食べられるにゃ」
ミケはまぶたを閉じたまま、寝言を言った。
――まだ、起きそうにないな。まあ、自分だけでも問題ないか。
彼方は近くにあった毛布をミケの体にかけて、立ち上がった。
東の空から上る太陽が彼方の体を照らす。
――この辺りの気候は日本の五月ぐらいかな。四季があるのなら、冬場は野宿はきついし、そのへんの情報も確認しておかないと。
彼方は寝癖を整えながら、町の入り口に向かった。
◇
その通りには、多くの店が並んでいた。
武器や防具を売る店、肉や魚を売る店、野菜や果物を売る店。小物や家具を売る店もあった。通りから少し離れた場所には、屋台が並んでいて、そこでは食べ物を売っている。
周囲から威勢のいい声が聞こえてきた。
「ポク芋、ポク芋のバター焼きはいかがですか? バターをたっぷり塗ってあげるよ」
「チャモ鳥の焼き鳥ありまーす。一本銅貨二枚だよ」
「ラグの実のパイが焼きたてだよ。銅貨三枚、いや、今なら二枚でいいよ」
甘酸っぱい匂いがして、彼方の足が止まる。
――この世界にも、甘いお菓子があるみたいだな。銅貨二枚ってことは、二百円か。
彼方のノドが大きく動く。
――久しぶりに甘い物が食べたいな。このぐらいなら…………あ、いや。ダメだ。まずは服を買わないと。
彼方は首をぶんぶんと左右に振って、近くにある服屋に向かった。
その店の前には多くの服が並んでいて、その下には靴も揃えて置いてあった。
――そうだ。靴も上履きだし、買ったほうがいいよな。
そんなことを考えていると、店の奥から褐色の肌をした十五歳ぐらいの少女が姿を見せた。少女は赤毛の髪を後ろで結んでいて、色鮮やかな服を着ていた。
少女は彼方を見て、にっこりと笑った。
「いらっしゃい。服を買いに来たんだよね?」
「あ、う、うん」
「変な服着てるし、異界人?」
少女の質問に彼方はうなずく。
「最近、この世界に飛ばされたんだ。それで目立たない服が欲しくてね」
「ふーん。で、予算は?」
「リル金貨一枚は持ってるけど、全部使うわけにはいかないから、銀貨七枚ぐらいかな」
「冒険者だよね?」
「うん。だから、綺麗な服よりも丈夫で動きやすいほうがいいな」
「じゃあ、このへんの古着かな」
少女は青紫色の上着と灰色のズボンを彼方の体に合わせた。
「…………うん。サイズはこれでよさそう。靴はどうする?」
「予算内で収まるのなら」
「じゃあ、これかな」
少女は彼方に黒い革のブーツを差し出す。
「これなら、動きやすいと思うよ。これで銀貨六枚と銅貨五枚ね。あ、その服を下取りに出すのなら、銀貨四枚でいいよ」
「このシャツ破けてるけど?」
「異界の服を好む客もいるからね。縫えばなんとかなりそうだし」
「じゃあ、それでお願いしようかな」
彼方は少女に、リル金貨を手渡した。
◇
店の奥で服を着替えて、彼方は通りに出た。
視線を落として、着替えた服を確認する。
――古着らしいけど、悪くないな。たしかに動きやすいし、布も丈夫そうだ。それに、これなら目立たないし。
「そうだ。下取りで安く服が手に入ったし、ラグの実のパイを買おう!」
彼方はぐっと両手を握り締める。
――この世界の甘い物を食べておくのも勉強に…………って、それは言い訳か。僕が甘い物を食べたいだけだな。
苦笑しながら、彼方は屋台に向かう。
「やっと、見つけたぞ」
突然、背後から男の声が聞こえた。
振り返ると、そこにはティアナールの弟のアルベールが立っていた。
アルベールはカチャカチャと鎧の音を立てて、彼方に近づく。
「お前、俺のことを覚えているか?」
「あ、はい。アルベールさんですよね?」
「…………そうか。それならよかった」
アルベールは真っ直ぐに背筋を伸ばした後、彼方に向かって頭を下げた。
「お前を蹴ったことを謝罪する。どうやら、お前は姉上を救ってくれたようだ」
「ティアナールさんの意識が戻ったんですか?」
「ああ。少し記憶が曖昧なところがあるが…………」
「記憶が曖昧?」
「そうだ。お前と同じでザルドゥを…………まあ、そのことはいい」
アルベールは彼方の肩を強い力で掴んだ。
「とにかく、俺といっしょに来い!」
「え? 来いってどこにですか?」
「白龍騎士団の兵舎だ」
そう言って、アルベールは城のある方向を指差した。