ゴブリンのリーダー
「ググッ…………」
ゴブリンのリーダーは黄色くにごった目で、目の前にいる彼方を見下ろした。
彼方は後ずさりしながら、周囲の状況を確認する。
――こいつは間違いなく、他のゴブリンよりも強い。僕を見ながら、後ろにいるレーネの動きもチェックしてた。戦闘慣れしてるし、頭もよさそうだ。
彼方が呪文カードを使おうとした瞬間、ゴブリン――リーダーが動いた。巨大なナタを真横から振る。
彼方は素早い動きでしゃがみ込む。空気を斬る音がして、彼方の髪の毛が数本千切れた。
――速いな。それに重い攻撃だ。
彼方はナタを振り回すリーダーから距離を取る。
その瞬間を狙って、レーネが短剣を投げた。
「ガアアッ!」
ノドを狙った攻撃をリーダーは左手の甲で払いのける。
――今だっ!
彼方の周囲に三百枚のカードが浮かび上がる。
カードを選択しようとした彼方にリーダーが襲い掛かる。
彼方は短く舌打ちをして、ナタの攻撃を避けた。
――カードの能力に気づいているわけじゃなさそうだけど、危険を察知したってところか。さすがリーダーだな。
「カカカッ」
リーダーは笑いながら、攻撃を続ける。
彼方の右足が落ちていた人間の骨を踏み、上半身がバランスを崩した。
リーダーの目がぎらりと輝く。
振り上げたナタを彼方の頭部めがけて振り下ろす。
その攻撃を彼方は予想していたかのようにかわし、ナタを持つリーダーの親指を月鉱石の短剣で斬った。
太い親指とナタが足元に落ちた。
そのナタを逆の手で拾い上げようとしたリーダーの首筋に、彼方は月鉱石の短剣を突き刺した。
「ガアアアアアッ!」
リーダーは叫び声をあげながら、両手で彼方の体を掴もうとする。しかし、その動きは、さっきより遅くなっていた。
彼方は低い姿勢から、リーダーの背後に回り込む。
リーダーが振り向く動きに合わせて、彼方は月鉱石の短剣を高く振り上げる。
「グガアアアアッ!」
リーダーは両足を揃えて後方にジャンプする。
「そう動くと思ってたよ」
――これで、呪文カードを使う時間ができた。
彼方の周囲に三百枚のカードが浮かび上がる。
◇◇◇
【呪文カード:ウインドストーム】
【レア度:★★★(3) 属性:風 対象に風属性のダメージを与える。再使用時間:3日】
◇◇◇
彼方が左手を動かすと同時に、ヒュンヒュンと空気を裂く音がしてリーダーの体に無数の傷がついた。
「ガアアアアアアッ!」
リーダーは両手で頭部を隠し、体を丸めて呪文の攻撃に耐えようとした。
百…………二百と傷の数が増え、リーダーの足元に血だまりができる。
「ガ…………ゴ…………」
傷だらけになったリーダーの体がぐらりと傾き、そのまま倒れ込んだ。
彼方は、ふっと息を吐き出す。
レーネが驚いた顔で、彼方に歩み寄った。
「あなた、攻撃呪文を使えたの?」
「僕の魔力はゼロらしいけど、裏技的に使えるんだ」
「…………はぁ。まあ、無事、リーダーを倒せてよかったよ。あなたが骨を踏んで、バランス崩した時は死んだって思っちゃったけどね」
「あれはわざとだよ」
「え? わざと?」
レーネの質問に彼方はうなずく。
「リーダーの動きがなかなか速くて、隙がなかったからね。ちょっと罠を張ったんだ。僕が体勢を崩したと思ったら、攻撃が荒くなると思って」
「もしかして、呪文を使う前の攻撃も、わざと動きを目立つようにしたの?」
「うん。動作を大きくしたら、向こうから距離を取ってくれると思ってね。そうなったら、呪文が使いやすくなるから」
「…………あなた、異界で傭兵でもやってたの?」
「平和な国に生まれたから、そんな経験はないよ。でも、相手の考えてることや行動を読むのは得意なんだ。と、おしゃべりをしてる場合じゃないな。早く外に出よう」
彼方とレーネは階段に向かって走り出した。
◇
遺跡の地下から出ると、真上に浮かんだ巨大な月が周囲をぼんやりと照らしていた。
「私…………助かったんだね」
レーネがぼそりとつぶやく。
「まだ、油断はできないよ。少し離れておこう」
彼方たちは、遺跡から離れて、近くの茂みに移動した。
五分後、地下に続く階段から、亜里沙が姿を見せた。
亜里沙の制服はゴブリンの血で真っ赤に染まっていて、白い頬にも血がついていた。
亜里沙は左足を引きずるようにして、茂みの中にいた彼方に駆け寄る。
「おまたせ!」
「ケガしてるの?」
「うんっ! 自爆覚悟でゴブリンに抱きつかれちゃってね。その時に、他のゴブリンから足を狙われたんだ」
「大丈夫?」
「まあね。痛いけど、カードに戻ったら、体も服も元通りだし」
「そっか。とにかく、ありがとう。君のおかげで無事、レーネを助けられたよ」
「目的は達成できたってことだね」
亜里沙はちらりとレーネを見た後、彼方に向き直る。
「じゃあ、まだ召喚時間は残ってるし、誰か殺しに行こうよ。この世界には人間もいるみたいだしさ」
「…………いや、それはいいよ。というか、そんなこと許可しないから」
「えーっ? こんなに頑張ったのに?」
亜里沙は不満げに頬を膨らませる。
「それなら、小指。小指を切るだけならいいよね? ちっちゃな女の子捕まえてきてさ、小指を切るの」
「…………もう、カードに戻っていいよ」
彼方がそう願うと、亜里沙の体が半透明になった。
「あ、えっ? ウソッ! まだ時間あるのにー」
亜里沙が小さなカードに変化して、ふっと消えた。
――僕が強く願うと、クリーチャーはカードに戻るってことか。まあ、死者の王ガデスや殺人鬼の亜里沙みたいなカードは目的を果たしたら、さっさとカードに戻したほうがよさそうだ。
「ね、ねぇ」
レーネが彼方の肩に触れた。
「今の女の子をあなたが召喚したの?」
「…………まあね。性格に問題があるけど、強いのは間違いないよ」
「人間を召喚できるんだ?」
「一応ね。殺人鬼だけど」
レーネはまぶたをぱちぱちと動かす。
「あなた、何者なの?」
「そんなに驚くことかな? この世界には召喚師も魔術師も騎士だっているんだろ?」
「でも、魔術師や召喚師で、ここまで直接的な戦闘が上手い人は見たことないよ。なんというか、センスがあるの」
「センス?」
「うん。さっきの骨を踏んで相手を騙すテクニックも、わざと避けやすい攻撃をして、距離を取らせた後に呪文を使うやり方とか、完全に前衛の動きなのに、召喚術も呪文も使えるって、ありえないよ。というかさ」
レーネは腰に手を当てて、彼方に顔を近づける。
「これだけ強いのに、何でFランクなの? 登録したばっかりでもDランクにするべきじゃないの?」
「それは僕に言われてもわからないよ」
彼方は頭をかきながら苦笑する。
「僕のことを気にするよりも早く王都に戻ろう。ザックさんたちが心配してると思うよ」
「あっ、そうだね。あいつらも心配してると思うし」
仲間のことを思い出し、レーネの頬が僅かに緩んだ。