ゴブリン
数十分、森の中を歩くと、石造りの寺院のような建物が見えた。
屋根の部分はなく、半壊した壁には、草のつると葉が張りつき、その周囲を羽のある小さな虫が飛び回っていた。
既に周囲は暗くなっていて、東の空に浮かんだ巨大な月が遺跡の柱を照らしている。
彼方は足音を忍ばせて、柱の陰に移動する。
すると、地下に続く階段の前で、二匹のゴブリンが見張りをしていた。
ゴブリンは毛皮を腰に巻いていて、首にはモンスターの爪で作った首飾りをしていた。
薄い緑色の肌が月明かりを浴びて、青く見える。
ゴブリンたちが手にしている剣を見て、彼方の眉間にしわが刻まれる。
――ロングソードと曲刀か。殺した相手から奪ったんだろうな。どっちも右手に持っているってことは右利きってことか。少し右腕のほうが太いし。と、痩せたゴブリンは左足を引きずってる。ケガしてるみたいだな。
彼方は腰に挟んでいた月鉱石の短剣を見つめる。
――あの二匹だけなら、僕だけでも倒せるはずだ。でも、近くに他のゴブリンがいたら危険だな。ちゃんと見張りをおいてるんだから、しっかりと組織化してると考えるべきだ。
彼方は意識を集中させる。
周囲に三百枚のカードが現れた。
――敵は百匹以上のゴブリンで、場所は遺跡の地下なら、このへんのクリーチャーが使えそうだな。
彼方の指が一枚のカードに触れる。
◇◇◇
【召喚カード:無邪気な殺人鬼 亜里沙】
【レア度:★★★★★(5) 属性:闇 攻撃力:2000 防御力:400 体力:800 魔力:0 能力:無属性のサバイバルナイフと体術を使う。召喚時間:10時間。再使用時間:7日】
【フレーバーテキスト:人を殺すのが、どうしていけないの? 楽しいし、気持ちいいじゃん】
◇◇◇
彼方の前に、十七歳前後のブレザー服姿の少女が現れた。髪はセミロングで、ぱっちりとした左目の下には小さなほくろがあった。桜色の唇は薄く、両端が僅かに吊り上がっている。その右手には黒光りするサバイバルナイフが握られていた。
少女――亜里沙は短いチェック柄のスカートをなびかせて、彼方に歩み寄った。
「やっと、召喚してくれたんだね。彼方くん」
亜里沙はにこにこと笑いながら、彼方の左胸を人差し指で突く。
「で、誰を殺すの?」
「ゴブリンだよ」
彼方は抑揚のない声で答えた。
「この遺跡の地下には、ゴブリンが百匹以上いるんだ」
「それは嬉しい情報だね。全部殺していいんでしょ?」
「…………うん。話の通じる相手じゃないみたいだから」
彼方がそう言うと、亜里沙は唇を半開きにして、ピンク色の舌を生き物のように動かした。その頬は赤くなっていて、黒い瞳が潤んでいる。
ゴブリンを殺すことを想像して、興奮しているようだ。
「亜里沙、君は地下に入ったら、僕と別れて目立つように暴れて欲しい」
「私はおとりってこと?」
「うん。その間に僕がレーネ…………シーフの女の子を助ける作戦」
「ふーん。でも、それじゃあ…………」
突然、亜里沙が持っていたサバイバルナイフで彼方に斬りかかった。
その攻撃に彼方は反応しなかった。
微動だにせずに、真っ直ぐに亜里沙を見つめている。
サバイバルナイフの先端が首筋に当たる寸前、亜里沙は攻撃を止めた。
「もしかして、私が攻撃を止めることに気づいてた?」
「うん」と彼方は答える。
「僕が死んだら、カードのクリーチャーである君も消滅するんだろ? それに君の目に殺意は感じられなかったし、真っ直ぐに立った姿勢からも途中で攻撃を止めようとしてるのがわかったよ」
「へーっ、そんなことまでわかるんだ?」
「まだ、ちょっとしか話してないけど、君の性格からもね。こんなイタズラが好きなタイプに見えたよ」
「…………ふーん」
亜里沙はじっと彼方の目を見つめる。
「彼方くんって、私の予想よりも頭がいいね。しかも、戦闘能力も高そう」
「この世界は危険だからね。手に入れたカードの力は強力だけど、それだけじゃ、生き残れない」
「用心深い性格なんだ」
「そうでもないよ。この世界に来てから、いくつもミスをしてるし。カードの能力も喋っちゃったしな」
そう言って、彼方は苦笑する。
「まあ、どうせ戦闘になったらばれる能力ではあるけど」
「あははっ! たしかにそうだね」
亜里沙は笑い声をあげて、彼方に体を寄せる。
「彼方くんが、私のマスターでよかった。相性の悪いマスターだと、殺したくなっちゃうから」
潤んだ瞳で彼方を見つめながら、亜里沙は彼方の頬に唇を寄せた。
◇
月鉱石の短剣を握り締め、彼方は一気にゴブリンに駆け寄った。
「ガッ…………」
ゴブリンが彼方に気づいた瞬間、月鉱石の短剣がゴブリンのノドを切り裂いた。
ゴブリンはノドを押さえて、前のめりに倒れる。その後頭部に、彼方は躊躇なく、月鉱石の短剣を突き刺した。
ゴブリンを殺した瞬間、彼方の顔が悲しげに歪む。
視線を上げると、残り一匹のゴブリンを亜里沙が倒していた。
ゴブリンの左胸に刺さったサバイバルナイフを引き抜いて、亜里沙は不満げな顔をする。
「即死を狙うって、面白みがないよね」
「見張りなんだから、時間をかけるわけにはいかないよ」
「それはわかるけどさ。殺す時は時間かけたほうが楽しいし」
「言っとくけど、シーフの女の子を殺したらダメだからね」
「はーい」
教室で先生に返事をするかのように、亜里沙は血のついたサバイバルナイフを持った手を上げた。
――カードの設定が殺人鬼だから、しょうがないのかもしれないけど、この性格は直りそうにないな。この子を使う時は、ちゃんと指示を徹底させたほうがよさそうだ。
彼方は亜里沙の肩に触れた。
「これからが本番だよ。さっき話した作戦通りにやるから」
「わかってるって。ちゃんとおとり役を務めて、あ・げ・る」
亜里沙は彼方を誘惑するかのように、甘い声を出した。