ミケのクッキング
彼方とミケはレーネと別れて、南に向かった。
木々の葉の色が濃くなり、どこからか水の流れる音が聞こえてくる。どうやら、近くに川があるようだ。
「彼方っ! ちょっと待ってるにゃ」
ミケはそう言って、茂みの中に入っていく。
「どうかしたの?」
「前にこの近くにチャモ鳥の巣があったのにゃ」
茂みの奥からミケの声が聞こえてくる。
数分後、頭に葉っぱがついたミケが戻ってきた。その手には、二つの茶色い卵が握られていた。
「やったにゃ! 卵見つけたにゃー」
ミケは紫色の瞳を輝かせて、彼方に駆け寄った。
「これを食べるにゃ。ミケが焼き卵を作るにゃ」
「そうだね。お腹も空いたし、まずは食事をしようか」
「うむにゃ。お腹が空いては冒険はできぬ、にゃ」
ミケはことわざらしき言葉を口にした。
◇
近くに河原で、ミケは食事の支度を始めた。
石を積み上げ、簡易のかまどを作り、薪を集めて火をおこした。大きなリュックから金網を取り出し、その上でチャモ鳥の卵を焼き始める。
五分後、卵の殻にひびが入り、その部分から水分が蒸発する音がした。
「できるまで、もう少し時間がかかるのにゃ。卵をころころしないといけないのにゃ」
「じゃあ、僕は確認したいことがあるから…………」
彼方はミケから離れて、絨毯のように丸い石が並んだ川辺に向かう。
緩やかに流れる川を前にして、意識を集中させる。
彼方の周りに三百枚のカードが浮かび上がった。
――今のうちに、カードの効果と位置を暗記しておくか。ゲームの効果と違ってるものも多いし、完璧に暗記して、戦闘の時に素早く選択できるようにしておかないとな。
彼方は視線を一枚のカードに合わせる。そこには、巨大な二本の角を生やした三ツ目のモンスターが描かれていた。
◇◇◇
【召喚カード:邪神 ヴァルネーデ】
【レア度:★★★★★★★★★★(10) 属性:闇 攻撃力:9000 防御力:9000 体力:9000 魔力:9000 能力:邪神ヴァルネーデを殺すことはできない。魔法攻撃無効、物理攻撃無効、状態異常無効。このカードを使用した場合、新たなカードを3日間使用することはできない。召喚時間:1時間。再使用時間:30日】
【フレーバーテキスト:ダメだ。何をやっても倒せない。奴は正真正銘の化け物だ(アクア王国の王子リト)】
◇◇◇
――このカードは能力からも相当強そうだけど、三日間も他のカードが使えなくなるのか。とはいえ、自分が危険だと思ったら、躊躇なく使っていかないと。
スマートフォンの画面をフリックするように、彼方は右手の指を動かす。
背後にあったカードが正面に移動した。
――やっぱり、★が多いカードは召喚時間が短かったり、再使用時間が長かったりするな。戦況をしっかりと判断して、少ない★のカードを上手く使っていくのが理想だな。
彼方は真剣な表情でカードをチェックしていく。
全てのカードの内容を暗記すると、彼方は僅かに首を縦に動かした。
――これでカードのほうは問題ない。後はこの世界の情報をどんどん集めて、知識を増やしていくことだ。そうすれば、危険度の低いものはカードなしでも対処できる。
――そして、これからのことを考えるのなら、ベストよりベターな選択をしたほうがいいか。いつも最善の行動を取ってれば、敵意を持つ相手に僕の限界を知られることになる。それは避けたほうがいい。
「彼方っ! ご飯ができたにゃ」
ミケが大きな葉に包んだ卵を彼方に渡した。卵は綺麗に剥いてあり、上部に黒い胡椒がかかっている。 どうやら、ミケは調味料も持ち歩いているようだ。
「ありがとう、ミケ」
「当然にゃ。ミケはこのパーティーのリーダーだからにゃ」
ミケは自慢げに胸を張る。
「リーダーはパーティーの仲間を守らないといけないのにゃ」
「…………そっか。ミケは頼りになるリーダーだね」
彼方は頬を緩めて、ミケの耳を撫でた。
◇
太陽が西に傾き、周囲の景色がオレンジ色に変わっていく。
彼方は魚を狙っていたミケに声をかけた。
「ミケ、そろそろ王都に戻ったほうがいいかもしれない」
「うう…………そうだにゃ」
ミケが悲しそうな顔をして、川からあがる。
「もう少しで、お魚が捕れそうだったのにゃ」
「まあ、チャモ鳥を一羽捕まえたし、それを売ればお金になるんだよね?」
「銀貨一枚と銅貨五枚ぐらいにはなると思うにゃ」
「じゃあ、そうしよう。裏路地の三角亭に行けば、夕食にはありつけそうだし」
「うむにゃ。昨日より、少しいいものが食べられるかもしれないにゃ」
「それは楽しみだね」
その時、彼方の背後の木の陰から、ザックとムルが現れた。
二人は腕や足をケガしていて、その血が服を赤く染めていた。
ザックは彼方とミケを見て、こぶしを木の幹に叩きつけた。
「くそっ! Fランクの奴らじゃねぇか! こいつらじゃ役に立たねぇ」
「どうしたんですか?」
彼方はザックに駆け寄る。
「ゴブリンにやられたんだ」
ザックが吐き捨てるように言った。
「あいつら、俺の予想以上に強い。特にリーダーのゴブリンは背丈が二メートル近くもあるんだ。俺たちはなんとか逃げることができたが…………」
「あ…………」
彼方はレーネがいないことに気づいた。
「まさか、レーネは殺され…………」
「…………いや」
ザックの隣にいたムルが首を左右に動かした。
「捕まっただけで女は殺されることはない」
「女は?」
「ああ。あいつらは他の種族の女に子供を産ませることができるからな。そうやって、どんどん数を増やしていくんだ」
ムルの言葉に彼方の顔が蒼白になる。
「それなら、早く助けないと」
「だから、助っ人を捜してたんだ!」
ザックは叫ぶように言った。
「それなのに、やっと見つけた冒険者がFランクの二人じゃ意味がねぇよ!」
「王都に戻ろう」
ムルがザックの肩を掴んだ。
「時間はかかるがそれしかない。行くぞ、ザック」
「待ってください!」
彼方がザックに声をかけた。
「ゴブリンたちがどこにいるか、わかってるんですか?」
「ここから西にある遺跡の地下だよ。そこに奴らのアジトがあるんだ」
ザックは傷ついた腕を押さえながら、言葉を続ける。
「お前たちも、さっさと逃げろ。ここにもゴブリンが来るかもしれない」
ザックとムルはふらつく足取りで、王都のある北東に向かって去っていった。
◇
「ミケ…………」
彼方は帰り支度をしているミケに声をかけた。
「ミケは王都に戻っててくれるかな」
「にゃっ? 彼方はどうするのにゃ?」
「僕は、西にある遺跡に行ってみるよ」
ミケの目が大きく開く。
「それは危険にゃ。ゴブリンはいっぱいいると強いのにゃ」
「わかってる。だから、ちょっと様子を見るだけだよ。それに僕だけなら、すぐに逃げられるからね」
「それなら、ミケも行くにゃ。ミケはリーダーにゃ」
「ううん。ミケは荷物が多いだろ? それにチャモ鳥を肉屋に売ってきてもらわないと」
そう言って、彼方はミケに笑いかける。
「大丈夫。無茶をする気はないから。それに…………」
「それに、何にゃ?」
「たとえゴブリンが百匹以上いても、魔神ザルドゥよりは弱いと思うから」
夕陽を反射した彼方の瞳が炎のように揺らめいた。