裏路地の料理店
ミケは幅が一メートル程の入り組んだ路地を歩き続けた。
周囲の景色が薄暗くなり、ところどころにある街灯が建物の輪郭を浮かび上がらせている。
彼方はレンガの壁に触れた。
――少し形はいびつだけど、建物はしっかりしてるし、洒落た洋風のデザインの屋敷もある。文化はそれなりに高い感じだな。
視線を上げると、夜空に黄白色の月がぽっかりと浮かんでいた。地球で見る月よりも大きく、クレーターの形がはっきりとわかる。
――月が大きいのか、それとも近いのか、どっちなんだろう?
そんなことを考えていると、ミケがY字路の真ん中にある三角形の建物を指差した。
その建物は二階建てで、一階が店になっているようだ。扉の前には見たことのないぐにゃぐにゃの文字が書かれた看板がある。
看板の文字に視線を集中させると、その文字に重なるように日本語が見えてきた。
「『裏路地の三角亭』か」
――声と同じで文字も読めるようになった。これは有り難いな。
「彼方っ、こっちにゃ」
ミケは慣れた様子で分厚い木の扉を開いた。
彼方もその後に続く。
店内は十二畳程の広さがあり、二つの丸テーブルがあった。右側にはカウンターがあり、その奥に細長い厨房があった。
客はおらず、牛乳を煮立てたような香りが漂っている。
「マスターっ! いるかにゃ?」
ミケの声に反応して、厨房の奥から黒猫が現れた。黒猫は背丈が百五十センチぐらいで、白いエプロンをつけていた。
――この黒猫は…………普通の猫じゃない。顔も体も大きいし、ぬいぐるみみたいな外見だ。ミケは猫の耳としっぽ以外は人間っぽいけど、こっちは毛がふさふさしてるな。同じ種族…………とは違うのか。
――迷宮で戦ったモンスターと違って、目や表情に穏やかさを感じるな。手や足の爪も短いか。
黒猫は二足歩行で厨房から出てきた。そして、金色の瞳で彼方を睨みつける。
「何だ、こいつは?」
「ミケの親友にゃ」
ミケが彼方の腰をポンと叩く。
――いつの間にか、親友になってるな。
思わず、彼方は苦笑する。
「今日は二人でご飯を食べにきたのにゃ。銀貨一枚分でお願いするにゃ」
「二人で銀貨一枚か?」
「そうにゃ。あと、お水も欲しいにゃ」
「…………わかった。座って待ってろ」
黒猫は面倒くさそうに息を吐いて、厨房に戻っていく。
「彼方、こっちにゃ」
ミケはカウンターの前のイスに腰を下ろす。
彼方はその隣のイスに座った。
厨房では、黒猫が慣れた様子で肉を焼いている。香ばしい匂いが店内に充満した。
――何の肉かわからないけど、匂いは美味しそうだな。味付けは胡椒と茶色いタレか。
「お前、異界人か?」
彼方に背を向けたまま、黒猫が質問した。
「あ、はい。変な地震に巻き込まれて…………」
「…………なるほど。お前も運が悪いな」
「運が悪いって、この世界は危険なんですか?」
「ああ。盗賊やモンスターに殺される奴らはそれなりにいる。特に転移してきたばかりの何も知らない異界人はな」
「あなたは…………人間じゃないですよね?」
「俺は獣人のポタンだ」
黒猫――ポタンはふさふさの左手でフライパンを振りながら答える。
「この国には獣人と人間とエルフがいる。そして、そのハーフがな。お前の隣にいるミケは獣人と人間のハーフだ」
「あ、そうなんですね」
彼方はちらりとミケを見る。
――だから、ミケは外見が人間に近いのか。
「ほらよ、できたぞ」
ポタンは木の皿に盛られた肉とパンを僕とミケの前に置いた。
肉の上には緑色の粉のようなものが振りかけられている。
「これ、何の肉なんですか?」
「チャモ鳥の肉だ。安く手に入るわりに味は悪くない。さっさと食え」
「あ、はい。いただきます」
彼方は金属製のフォークを使って、肉を口に運ぶ。
――味は…………悪くない。香りのいい鶏肉って感じだ。パンは少し硬めでぱさぱさしてるか。でも、それがしっかりと味付けされた肉と合う気がする。
料理を食べ終えると、ポタンが出してくれた木のコップに入った水を一口飲む。
「あれ? 冷たい」
「ああ。蒼冷石で冷やしてあるからな」
そう言って、ポタンは金属製の大きな箱を開けた。
そこには青い石が敷き詰められていて、その上に肉や魚、水筒が並べられている。
「この青い石は食材や水を冷やすことができる。異界にはないのか?」
「ええ。それで、ちょっと驚いて」
彼方はコップに入った水をじっと見つめる。
――電気はなさそうだけど、それに代わるものがこの世界にはあるみたいだ。この店の照明も光る石を使っているみたいだし。
「相変わらず、マスターの料理は美味しいにゃ」
フォークについたソースを舐めながら、ミケは言った。
「これが二人分で銀貨一枚は破格なのにゃ」
「たまには、高いものを注文しろ」
ポタンの牙がカチリと音を立てた。
「お前はいつも安い料理しか頼まないし、酒も飲まないからな」
「安心するにゃ。明日は仕事がある気がするのにゃ。そしたら、黒毛牛のステーキも食べられるにゃ」
ミケは根拠のない言葉を口にした。
「そうにゃ! 彼方もミケと同じ冒険者になるといいにゃ」
「冒険者?」
「うむにゃ。冒険者ギルドに入ると、お仕事ができてお金が手に入るのにゃ」
「冒険者ギルドか。そういう組織があるんだね」
彼方は口元に手を寄せて考え込む。
――元の世界に戻る方法を考えるにしても、生きるためにはお金が必要だ。この食事で一文無しになったことだし、働いて稼ぐしかないな。
「じゃあ、紹介してもらえるかな?」
「了解にゃ。ミケにどーんとまかせておくにゃ!」
頼られたのが嬉しいのか、ミケは笑顔で自分の胸を叩いた。