王都ヴェストリア
太陽が傾き、周囲の景色がオレンジ色に変わってもティアナールは眠ったままだった。
小さな声で何度か呼びかけてみたが、反応はない。
「まだ、ダメか…………」
彼方は頭をかいて、ふっと息を吐く。
――僕と違って、何日も牢屋にいたんだから、しょうがないか。
彼方は腕を組んで思案する。
――ティアナールさんの体調のこともあるし、夜にならないうちに移動したほうがいいだろうな。そろそろ、カードが使えるようになっているはずだし。
意識を集中させると、彼方の周囲に三百枚のカードが浮かび上がった。カードの色は灰色ではなくなっていて、使用できることがわかった。
――えーと…………移動に使えそうなカードは…………。
彼方はカードに書かれた内容をチェックして、一枚の召喚カードを選択する。
◇◇◇
【召喚カード:クリスタルドラゴン】
【レア度:★★★★★★★★(8) 属性:土 攻撃力:6000 防御力:7000 体力:8000 魔力:5000 能力:水晶の鱗を飛ばして、広範囲の敵にダメージを与える。召喚時間:4時間。再使用時間:7日】
【フレーバーテキスト:ダメだ。剣も槍も魔法も効かない。どうやったら、このドラゴンを倒せるんだ?(魔法戦士レイアス)】
◇◇◇
彼方の前に巨大なドラゴンが姿を現した。頭部だけで人の背丈ほどあり、全身がキラキラと輝く水晶の鱗に覆われていた。目はルビーのように赤く、頭部に二本の角がある。
クリスタルドラゴンは長い首を動かして、彼方を覗き込む。
「我がマスターよ。命令は何だ?」
頭に直接響くような声が聞こえた。
「僕とティアナールさんを王都まで運んでもらいたいんだ」
「運ぶ? それだけか?」
「うん。君はドラゴンだし、大きな翼があるから飛べると思って」
「それは、もちろんできるが…………」
クリスタルドラゴンは僅かに目を細める。
「本当にそれだけで我を呼び出したのか?」
「ダメだった?」
「…………いや。問題は…………ない」
「じゃあ、頼むよ。二人だから、ちょっと重いかもしれないけど」
「バカなことを。お前たちなど、我にとっては小石のようなもの」
そう言うと、クリスタルドラゴンは前脚の指を絡ませて、しゃがみ込んだ。
「この手の上に乗っていいの?」
彼方の質問に、クリスタルドラゴンは長い首を縦に動かす。
「じゃあ…………」
彼方は眠っているティアナールを抱きかかえて、クリスタルドラゴンの手の上に乗った。
「では…………飛ぶぞ」
クリスタルドラゴンの両翼が開き、ふわりと巨体が浮かび上がった。
「それで、王都はどこにある?」
「あの山の向こう側かな」
「わかった」
クリスタルドラゴンは両翼二十メートル以上の羽を動かして、上昇を始めた。
彼方の顔に風が当たり、オレンジ色に染まったガリアの森が瞳に映る。
「うわ…………」
思わず、彼方の口から声が漏れた。
森は広く、多くの緑の木々に覆われていた。そのすき間から夕陽を反射している川が見える。
――こんなに広い森を歩いて抜けるのは大変だったろうな。空を飛べるクリーチャーがいて助かった。
遠くに見えていた山が大きくなり、岩肌が目立つようになってきた。山頂の近くには雪のようなものが積もっている。
山を越えると、また、景色が森に変わった。その森を飛び続けると、西洋風の城が見えた。城は石の塀に囲まれていて、その外側に町並みが広がっている。
――あそこが王都ヴェストリアみたいだな。見た目は中世風の都市って感じか。あ、でも、町の中には中東風の建物もある。なんかごちゃまぜな感じだ。
「クリスタルドラゴン、あの町の近くで下ろしてもらえるかな。あ、少し目立たない場所がいいな。住んでる人たちを驚かせたくないし」
「了解した」
クリスタルドラゴンはゆっくりと下降を始める。そして町から少し離れた広い草原の上に降り立った。
「ありがとう、助かったよ」
彼方はティアナールを抱き上げたまま、クリスタルドラゴンに礼を言った。
「じゃあ、召喚時間はまだ残っているけど、カードに戻っていいから」
「…………そうか。次は戦いの場に呼び出してくれ」
そう言うと、クリスタルドラゴンはカードの形に変化して、一瞬で消えた。
「さて…………と、とりあえず、ティアナールさんを白龍騎士団の人に届けるか」
彼方は視線を王都に向けた。
◇
暗くなった草原を二キロ程進むと、町の入り口が見えた。入り口には鎧を着た数人の兵士が立っている。
――あの兵士さんに声をかけてみるか。白龍騎士団じゃないのかもしれないけど、ティアナールさんは美人でエルフだから、知られているかもしれない。
彼方はティアナールを抱いたまま、ひげを生やした二十代の兵士に近づいた。
「すみません」
彼方が声をかけると、兵士は太い眉をぴくりと動かした。
「ああっ? どうした?」
「あなたは白龍騎士団の方ですか?」
「何を言ってる? 騎士団が街の門番などやるわけないだろう。俺たちは一般の兵士だ」
「そう…………ですか」
「んっ? お前、その女は…………」
「白龍騎士団のティアナールさんです。百人長って言ってました」
「ティアナール様だとっ!」
突然、兵士の表情が変わった。
隣にいた体格のいい兵士が彼方が抱いていたティアナールの顔を覗き込む。
「たしかにティアナール様だ。おいっ! 誰か白龍騎士団の兵士を呼んでこい!」
門の奥にいた兵士たちが慌ただしく動き出す。
ひげを生やした兵士が彼方から、ティアナールを奪い取った。
「ティアナール様っ、大丈夫ですか?」
ティアナールは兵士の声に反応しない。
「貴様っ!」
突然、兵士の一人が彼方に殴りかかった。
彼方は慌てて、その攻撃をかわす。
「ティアナール様に何をした?」
「いや、僕は何も…………」
「怪しい奴だ。服も変だぞ」
兵士は彼方の学生服を指差す。
――まずいな。僕がティアナールさんに危害を加えたと思ってるみたいだ。
いつの間にか、彼方は多くの兵士に取り囲まれていた。全員が彼方に鋭い視線を向けている。
その時、兵士をかき分けるようにして、金属製の鎧を身につけた少年が現れた。少年の髪は金色で耳が尖っている。
――この人もティアナールさんと同じエルフ?
少年は兵士が抱きかかえていたティアナールに駆け寄る。
「姉上っ!」
その言葉に、彼方の目が丸くなった。
――姉上? ってことは、この人はティアナールさんの弟ってことか。たしかに顔立ちも似てる気がする。
少年はティアナールの肩を揺さぶるが、彼女は目を覚まさない。
「これは、どういうことだ?」
「いや、あのガキが…………」
ひげを生やした兵士が彼方を指差して、少年と話し始めた。
少年の顔が怒りの表情に変化する。
「お前は何者だ?」
「あ、僕は彼方。氷室彼方です」
「彼方? 聞かぬ名だ。どこから来た?」
「日本の東京です」
「日本? 東京?」
「あ、えーと…………異界の国です」
「異界人か…………」
少年は唇を歪めて舌打ちをした。
「この国のことを知らぬのなら仕方ないが、姉上は白龍騎士団の百人長で、貴族でもある。お前のような不審者が触れていい存在ではないのだ。それなのに、鎧も服もぼろぼろじゃないか」
「それは、僕がやったわけじゃなくて…………」
「うるさいっ!」
少年は剣の刃先を彼方に向けた。
「どうして、お前が姉上といっしょにいた?」
「ティアナールさんはザルドゥに捕らえられていたんです」
「ザルドゥだと?」
「はい。僕も捕まってて、いっしょに迷宮から逃げてきたんです。ザルドゥを倒して」
「…………ザルドゥを倒した?」
少年の整った眉が吊り上がった。
「すぐにわかるウソをつくな。あの魔神を倒せるわけがない」
「でも、本当に…………」
「もういいっ!」
剣の先が彼方の頬に触れた。冷たい金属の感触に彼方の顔が強張る。
「姉上が生きていることに感謝するんだな。そうでなければ、お前は死んでいたぞ」
剣を鞘に戻して、少年は彼方の腹部を蹴った。
彼方はその場にぺたんとしりもちをつく。
少年は彼方を見下ろしながら、剣のイラストが刻まれた銀貨を彼方の前に放り投げた。
「お前はウソつきだが、ここまで姉上を運んだのは事実のようだ。その礼だけはしておく。リフトン家のアルベールがケチだと思われたくはないからな。おいっ!」
少年――アルベールは近くにいた兵士を呼んだ。
「こいつを町に入れてやれ」
「いいのですか?」
「ああ。妄想癖があるだけで害はなさそうだからな」
そう言うと、アルベールはティアナールを抱きかかえて去っていった。
彼方は呆然とした顔で、口をぱくぱくと動かす。
ひげを生やした兵士が落ちていた銀貨を拾い上げ、彼方に手渡した。
「運のいい奴だ。これで一食分の飯にはなる」
そう言って、彼方の肩を叩く。
「俺が真面目な兵士でよかったな。普通なら、銀貨は奪われてるぞ」
「…………あ、ありがとうございます」
「ほらっ、もう行け! 町の中で悪さするんじゃないぞ」
「…………はい」
彼方は兵士たちから離れて、夜の町を歩き出した。