地上へ
急な階段を登り終えると、目の前の視界が開けた。
そこは緑の木々が生い茂る森の中だった。木漏れ日が彼方の体を照らし、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「出られたのか…………」
彼方は地上の新鮮な空気を深く吸い込み、視線を動かす。
――木や草の種類は地球のと似てる気がする。この木は葉っぱの形と幹が屋久杉みたいだし、足元の草はヨモギっぽいな。でも…………。
数メートル先の木の幹を見ると、そこには見たことのない蝶がいた。蝶の羽は鮮やかな赤色で魔法陣のような模様が描かれている。
――こんな蝶は地球にはいなかった。やっぱり、ここは異世界ってことか。
隣にいるティアナールが彼方の肩を叩く。
「彼方、早くここから離れるぞ。地上にいるモンスターたちがダンジョンの入り口に集まってくるかもしれない」
「はい。行こう、魅夜」
彼方が側にいた魅夜に声をかけると、彼女は寂しげに首を左右に振った。
「彼方様、申し訳ありませんが、私はここまでです」
「あ…………召喚時間か」
「はい。もうすぐ召喚されて二日になりますので」
魅夜はスカートの裾を持ち上げ、丁寧におじぎをした。
「彼方様、今回は戦闘のための召喚でしたが、私はメイドですので、身の回りのお世話が本業になります。また、いつでも呼び出してください」
「うん。ありがとう。助かったよ」
「いえ。マスターに呼び出されて命令を受けることは、召喚カードである私たちにとって幸せなことなんです」
「あぁ、そうなんだ」
「それでは…………」
魅夜の姿がカードの形になり、ぱっと消えた。
――これで、残りはアイテムカードの剣だけか。それも具現化時間が二日だったから、もうすぐ消えるはずだ。
「本当にお前が召喚してたんだな」
ティアナールがふっと息を吐く。
「これほど長く魅夜を召喚してたとは…………」
「僕の能力は、この世界の召喚とは違うようですから」
「ああ。とんでもない能力だ。その力があれば…………あ、いや、今はそんな話をしている場合じゃないな。急ごう」
「そうですね」
彼方とティアナールは森の中を歩き出した。
自分の背丈よりも高い野草をかき分けながら、彼方は前を歩くティアナールに声をかけた。
「ティアナールさん、どこに向かってるんですか?」
「ヨム国の王都ヴェストリアだ。といっても、徒歩で七日以上はかかるが」
「そんなに…………」
「ガリアの森は広大だからな。昔はこの近くにも大きな村があったのだが、ザルドゥに滅ぼされたのだ」
「ガリアの森はヨム国の領土なんですか?」
「ああ。いい土地なんだが、ザルドゥのせいで、この辺りに人はいない。まあ、これからは状況も変わってくるだろうな」
ティアナールはモンスターから奪っていた鉄の剣で木の枝に巻きついていたつるを斬り、緩やかな斜面を登り出す。彼方も周囲を警戒しながら、彼女の後に続いた。
斜面を登りきると、彼方の瞳に広大な森が映った。森は多くの木々に覆われていて、その先には連なる山が見えた。
ティアナールが真ん中の山を指差す。
「あの東の山の向こう側に村や王都がある。道はないが太陽と星の位置で方向を間違うこともないだろう」
「僕も王都に行っていいんですか?」
「もちろんだ。一般人が王宮に入ることはできないが、町なら問題ない。旅人が利用することも多いし、異界人の子孫もいるぞ」
「子孫? 昔から異界人っていたんですね」
「ああ。強力な武器で活躍して歴史に名を残した異界人もいるし、異界の文化を広めた異界人も多い。もちろん、何も成さずに死んだ者もいるだろうな」
「そう…………ですか」
彼方は眉間に眉を寄せる。
――もし、僕たちの世界から、何の能力もなしにここに転移したら、すぐに死ぬ可能性が高いだろうな。しかも、僕みたいにモンスターのいる迷宮に転移したら、普通の人間の力じゃどうしようもないし。
視線をあげると、太陽が真上に浮かんでいた。
――太陽は僕たちの世界のものと同じように見える。そういや、こっちの一日も二十四時間なのかな?
「ティアナールさん、この世界じゃ、一日は何時間ですか?」
「…………二十四時間……だな」
ティアナールの声が途切れ途切れになった。
「ティアナールさん?」
ティアナールの体がぐらりと傾いた。
「わわっ!」
彼方は慌ててティアナールの体を抱き留める。
「ティアナールさん、どうしたんですか?」
「…………すまん。少し休ませて…………くれ。食事もできずに…………何日もまともに眠ってなか…………った…………」
ティアナールのまぶたが閉じ、口が半開きのまま、その動きを止めた。
彼方はゆっくりとティアナールを草むらの上におろした。ティアナールの顔は青白く、少し呼吸が荒い気がした。
――迷宮から抜け出せて、気が抜けたのかな。
彼方はティアナールの横に腰を下ろして、額に浮かんだ汗を拭った。
「そういや、僕も二日以上眠ってないし、食事もしてないか」
――疲れたし、甘い物が食べたいな。シュークリームとか、抹茶プリンとか。あ、和菓子もいいな。甘じょっぱい桜餅や水ようかんも食べたい。
「もう、食べられないのか…………」
その時、強い風が吹いて、周囲の木々がざわめいた。
視線をあげると、彼方の真上を巨大なワイバーンが飛行していた。ワイバーンは赤茶色の鱗に覆われていて、広げた両翼は八メートル以上ある。
「ギュアアアっ!」
甲高い鳴き声をあげて、ワイバーンは彼方たちから離れていく。地上にいた彼方たちに気づかなかったようだ。
彼方は溜めていた息を吐き出した。
――助かった。今の僕は新たなカードが使えなくなってるから、戦闘は絶対に避けないと。
隣で眠っているティアナールは起きる気配がない。
「まだまだ、安心ってわけにはいかないか」
彼方は強く奥歯を噛み締めた。