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エミリの覚醒

「——ハッ」


 エミリががばりと起き上がると、まだ夜中だった。


「お目覚めですか? お茶を淹れましょう」

「いや、ちょっ、えっ、あたし寝てた!?」

「どうぞ楽になさってくださいませ」

「いやいやいや! できないって! なんであたし、あんたにお世話されてるの!?」

「お茶です。目が覚めますよ」

「あ、ありがとう……じゃなくて!」


 差し出された木製のコップにはスッとするハーブの香りのお茶が注がれていた。

 口にすると確かに清涼感でさっぱりする。


「……あのね、なんで寝ちゃったのかあたしにもわからないけど——」

「お疲れだったのでしょう」

「——二度とあんなことしないで」

「!」


 強めの口調で言ったせいか、ニナは目を見開き、それから唇を震わせると、


「も、申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました」


 深々と頭を下げる。


「そ、そうじゃないのよ! 謝って欲しいんじゃないの!」

「ですが……」

「あんたはあたしに依頼をして、あたしはあんたの依頼を受けた。だったらあんたは依頼主としていて欲しいの。……でなきゃ、ほんとにみじめになるじゃん」

「——わたしは、右も左もわからないメイドです。ですから、エミリさんがいてくださってほんとうに心強いです」

「そう言ってくれるのはうれしいけど、それならあたしよりもっと優れたベテランだっているじゃない」

「…………」


 返事しにくいこと言っちゃった——ほろ苦い後悔を、エミリはハーブティーで喉の奥に流し込む。


「……最初から話しておけばよかったね。あたしがどうしてギルドでもめてたのか。『永久ルーキー』なんて呼ばれてるワケを」


 そうして話すことにした——「冒険者」や「魔法」をほとんど知らないニナに、ちゃんと、自分のことを。




 ニナにとっては知らないことばかりだった。

 魔法は見たことがあった。マークウッド伯爵邸で働いていると、来客の中に「高名」と呼ばれる魔導士がいることも多かったからだ。

 だけれど、初めての野営で見る魔法はとてもすばらしく思えた。

 いかにも「旅をしている」という感じで。

 だからこそ自分ばかり楽しんでいることに気づかされ、さらにはエミリの事情をすべて聞いて——苦しくなった。

 はしゃいでしまった自分を見てエミリはどう思っていただろうか。

 エミリがこれまでどれほどツライ思いをしてきたのか……それを思うとさらに苦しくなったのだ。


「——というわけで、明日はちゃんとクレーの泉までは案内するけど、フルムンの街に戻ってからは、もし必要があっても次はあたしじゃなくてちゃんとした冒険者に依頼をしなよ?」


 この人はなんて優しいのだろうとニナは思う。

「素質がある」と言われたのにそれを「使えない」体質であるという運命。

 だというのに彼女はめげずに冒険者ギルドに通った。


(そんななか、わたしのようなメイドの依頼を受けてくださって……。だけでなく、話されたくなかったでしょうに、ご自身のことまで話してくださり、さらにはわたしを気遣って……)


 エミリの優しさは、自分が作ったスープやハーブティーよりも温かいとニナは思った。


「わたし、次もエミリさんに依頼をします」

「……あのね、同情で言うのなら——」

「同情ではありません! わたしは、エミリさんがいいんです! とっても強くて、とっても責任感があって、とっても優しいエミリさんがいいんです!」

「あんた……」


 ぽかん、と口を開けたエミリだったが、


「……あたしより、頑固ね」


 ふっ、と小さく苦笑した。


「あたしがいいのか」

「はい、エミリさんがいいんです」

「あたしじゃなきゃダメなのか」

「はい、エミリさんじゃなきゃいやです」

「それじゃあしょうがないね」

「!」


 許可する、という意味に気づいたニナは、


「はい! しょうがないんです!」


 と大きな声で返事をした。

 ふたりの間にあった心の距離は、そのときに消えたのだろう。

 依頼主とか、冒険者とか、そんな肩書きは消えてふたりは一気に近くなった。


「ニナは、フルムンに戻ったらどうするの? ていうかメイド服でなにしてるの?」

「お屋敷をクビになってしまって……」


 今度はニナが自分の事情を話す番だった。

 するとエミリは、あたかも自分のことであるかのようにニナのために怒ってくれた。

 それがニナにはうれしかった。

 お屋敷にいた、メイド仲間のモナに話せばきっとエミリのように怒ってくれたに違いないと思うと、モナにお別れを告げられなかった寂しさもあった。

 けれど、エミリと出会えたのはお屋敷を出たからこそでもあった。


「そんなわけで、今は観光の旅をしているんです」

「近いうちにフルムンを離れるってこと?」

「はい……」


 せっかく出会ったエミリだったけれど、ここでお別れになるのかと思うとニナはしゅんとしてしまう。


「それならあたしもついていこうかな」

「——えっ?」

「別にフルムンの街に思い入れはないし。それに、旅慣れた先輩がいれば心強いでしょ……どう?」

「う、うれしいです!」


 お別れになると思っていたところへ、エミリがついてきてくれるという。

 ニナは腰を浮かせて喜んだ。


「だけど、乗合馬車ならいいけど、今回みたいにちょっと人里離れた場所に行きたいならあたしだけじゃ戦力的に厳しいと思う。ていうかあたしとあんたじゃ戦力はそんなに変わらないから」

「そう……でしょうか」

「そうだよ。『第1位階』の魔法なんてそんなもんだよ。だから、旅先で冒険者を雇うことになるだろうね」

「…………」

「……ニナ? どうしたの?」

「あの——エミリさん。少し思いついたことがあります」


 そのときニナには、10年に及ぶメイド経歴の中で思い出したことがあった。


「わたし、メイドとして高名な魔導士の方とお話ししたことがあったんです。その……エミリさんにひとつ試してみたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「試してみたい……こと?」




 変な子だとは思っていた。

 話の流れから行けば、きっと「第5位階」の魔法を使える素質があるにもかかわらず、「第1位階」の魔法しか使えない自分のためになにかしてくれようというのだろう。


(気持ちはうれしいけど……)


 高価な薬剤や高名な魔導士の指導も試したがどれもうまくいかなかったのだ。

 それを、いくら料理が上手いとは言え、一介のメイドがどうこうできるものではない。

 ダメで元々なんていう気さえ起きない。

 ただ、ニナが満足するまで付き合ってやろうというくらいの気持ちはあった。

 これから旅をともにする仲間だから。

 それだけだった。


「まず、手を出してください。腕もまくってもらっていいですか?」

「ん。こう?」

「うわぁ……エミリさんの腕、真っ白でお肌もキレイですね」

「ちょ、ちょっと、そんなところ見ないでよ」


 ふと見るとニナの手は小さく、あちこちに小さな傷が山ほどあった。腕を触れられると指先は硬い。


(働いてる人の手……)


 ニナはメイドとして、日々ちゃんと働いてきたのだろうことがエミリに伝わってくる。


「揉みますね〜」


 そんなエミリの思いとは裏腹に、ニナの小さな手が動く——と思うと、


「んっ!? あ、あっ、なにこの感覚、すごっ、えっ!?」


 ニナの指は根本から溶けたかのように滑らかに動き出すとエミリの腕を手首からもみほぐしつつ上っていく。


「あっ、まずっ、あ、あっ、これ、なんか、変な感覚……!」

「この調子ですよ〜」


 ニナは変わらない調子だがすさまじい早業で肘から上へと迫る。

 二の腕を十分にほぐすと、指先はエミリの背中へと移る。


「ひうんっ!?」


 さっきの頭皮マッサージと同じ感覚だ。

 弱い電流のような刺激が背中を走っていく。

 リラックスして眠くなるのではなく、身体がぽかぽかと温まる。


(ウ、ウソ……これって、魔力が呼び覚まされてる!?)


 体内に「ある」とわかっている魔力。

 だけれどそれは、今までエミリが使えることはなかった。

 まるで永遠に開かないダムのようなものだった。

 それを——ニナは解きほぐしていく。

 肉体だけではなく、体内に満ちている魔力までもほぐしていくのだ。


「あ、あ、あ、あああああああ〜〜〜〜〜〜!!」


 思わず声が出てしまった。

 見えた。

 ダムが決壊し、魔力の奔流が飛び出していく。

 それは身体の隅々に行き渡る。


「あ、は、はぁっ、は、はっ、はぁっ……」

「終わりました……お水をいかがですか?」


 差し出された水筒を受け取ると、ごっごっごっとラッパ飲みするエミリ。


「ぷはあぁっ!」


 飲みきると、立ち上がった。


「『炎の精よ我が手に集まりて踊れ』」


 手のひらに現れたのは炎だ——だけれどそれは、薪の火付けに使ったときよりもはるかに大きい、バレーボールほどのサイズになっていた。


「……『炎の精よ踊れ、我が手より前方に集まり踊れ』」


 手をかざすと、10メートルほど先の地面にゆらりとした陽炎のようなものが現れる——直後、ゴゥッ! と炎の柱が立った。


「う、うわあ、すごいです!」

「…………」

「今のなんていう魔法ですか!? エミリさん——わぁっ!?」


 振り返ったエミリは、両腕でニナに抱きついたのだった。


「……第2位階」

「え?」

「第2位階の魔法が、使えたの……!」


 どうあがいてもできなかった第1位階より上の魔法。

 それが、いともたやすくできてしまった。

 その驚きが、喜びが、胸に押し寄せてきて、


「うわぁぁぁああああああああ————あぁぁぁ——————」


 エミリは声を放って泣いていた。

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