現地到着
天井が見えないほどに高い縦穴の広場。
鉱山第4区に到達したティエンたち3人は、言葉を失った。
「……まさかここまでとはね」
アストリッドがぽつりとつぶやく。
上部に「第4区」という看板を掲げた大型の坑道入口を、魔導ランプが照らし出している。
緩やかな下りになっているその道は、しかし崩落によって塞がれており——それだけでなく、膝の辺りまで水に浸かっていたのだ。
この先は下り坂——奥はさらに水が深いはずだ。
これでは現場監督がどんな状況なのか、想像もつかない。
「山の奥ではずっと雨が降っていたのです……チィはそれを知っていましたし、昨日は、嗅いだことのない水のニオイがしていました」
「嗅いだことのない、ニオイ?」
「……落ち着いて考えればそれが、水の事故が起きる前触れだったとわかったはずなのです」
ティエンが肩を落とす。
(そういうことか)
アストリッドは察する。
ティエンは現場監督を助けたいと言った。
それはもちろん、人として、彼女がまっとうだからということもある。
だけれど一方で、ティエンは責任を感じていたのだ——ほんとうなら事故は予測できたのに、と。
その思いが、彼女を焦らせ、ここに導いたことは否定できないだろう。
「不幸な事故だよ、これは」
だからアストリッドは言った。
「そして、私たちは事故を乗り越えるためにここに来た。手遅れになる前に」
「あ……」
「違うかい?」
「……ん。違わないのです」
「よし。それならできることをやろう——エミリ、どうだい?」
崩落現場の近くにいるエミリに声を掛けると、彼女は、
「向こう10メートル以上は埋まってるっぽいわね。がれきをどけるのはそう難しくないけど、問題は水だと思う」
「排水か……。水だけ動かすことは魔法でできるのかい?」
「できなくはないけど、かなり無理があるわね。残りの魔力も半分切ってるから」
「そんなにまだ残っているかい、魔力が?」
「ええ」
「ふむ……」
アストリッドは腕組みして考える。
「がれきの除去は可能。むしろドリルは必要なかったね。魔導ランプは水没すると壊れるタイプだから、中は暗闇の可能性が高い。がれきをどかした後に、必要最小限の水をどかして救助作業をする、か……」
「がれきさえどかしてくれれば、チィが見に行くのです」
「……ティエンくん。中は暗闇で、泳いで行かなければならないんだよ。水中になにが沈んでいるかもわからない」
「わかっているのです。でも第4区の地図は頭の中にあるし、チィならちょっとやそっとのがれきが残っていても、どかせられるのです。あと、空気のあるところに出られれば、暗闇であってもチィにはこの鼻があります」
「ううむ」
アストリッドは唸る。
ティエンの言っていることは正しい。
むしろアストリッドも、それ以外の方法はないと——ティエンが単独で捜しに行く——思っていたところだ。
だけれど暗闇を泳いで進むなど、これまでの道のりより危険レベルが格段に上がる。
ずずず……がらがらがら……。
「!」
どこかで崩落の音がした。
エミリが厳しい顔で暗い天井を見上げる。
「……迷っている時間はなさそうよ、アストリッド。ここだって安全地帯ってわけじゃない」
「わかっている。だけど」
「チィは行くのです。魔法でがれきの除去をお願いします」
ぺこり、とティエンはエミリに頭を下げた。
(どうしてそこまで……自分をいじめていたような相手のために……)
アストリッドはむしろ痛々しいような気持ちでそんなティエンを見つめていた。
「今ここで、一歩踏み出さなきゃずっと後悔するってわかってんのよ、この子は」
エミリはアストリッドに、苦笑いしてみせた。
「あたしたちだってその気持ち、わかるでしょ?」
「!」
エミリは「第5位階」の魔法が使える才能があったにもかかわらず、特殊な体質のせいで使えずに苦しんでいた。
「第5位階」の魔法を使えないままなんて絶対にイヤだと思っていた。
アストリッドは精霊魔法を魔術に応用する研究をしていた。その道筋は整っていたのにどうしても成功しなかった。
成功するまでは死んでも死にきれないと思っていた。
(ティエンくんは、ほんとうに真っ直ぐな子なんだな)
今やらなければ後悔するとわかっている。
エミリの言葉は正しいのだろう。
(強い……意志を感じる)
それがどんな感情によって裏打ちされているのかアストリッドにはわからない。
だから、ここで彼女を止めることが危険を避ける上で最善だとわかっていても、彼女の背中を後押ししてやりたいという気持ちになりつつあった——
「……わかったよ。私の負けだ、ティエンくん。気をつけて……なんて言葉は意味がないと思うけれど、それでも十分に警戒して行っておいで」
「はい!」
「それじゃ魔法使うわよー」
エミリが第4区の入口で魔法を発動する。がれきを手前に引っ張りながら、坑道を補強するという、2つの魔法を並行する、実のところ極めて難易度が高いことを平然とした顔でやっている。
その間にアストリッドはティエンに聞く。
「第4区の広さはどれくらい?」
「大体、端まで歩いて600メートルくらいなのです」
「相当長いね……」
「でも、水が溜まっているなら、空気のあるところにいると思うのです。ここから50メートルほど先に、坑道が枝分かれする広場があって、そこの天井は高いのです」
「いるなら、そこか」
ティエンはうなずいた。
逆に言えば、そこにいなければ現場監督は絶望的だということだ。
「50メートル……いや、この水没具合だと30メートルくらいか。息継ぎなしでいけるのかい?」
「大丈夫なのです」
「暗闇で、水も濁っているから前は見えないよ」
「何度も歩いた道だから」
「わかった。それじゃ、ロープをつないでおこう」
「ロープ?」
「ドリルマシンに積んであったものがある。君の身体につないでおくんだ。泳ぐのに邪魔かもしれないけれど、帰りのことを考えたらあったほうがいい」
「あ……」
ティエンが30メートルの潜水ができるとしても、現場監督が同じように息が続いて潜水できるとは限らない。
いや、できないと考えておいたほうがいいだろう。
「帰りはこちらからロープを引っ張る。そうすればかなりスピードが上がるよ」
「わかった。お願いするのです」
「合図は2回、くん、くん、と引っ張って」
そこへエミリが、
「がれきどけたわよ!」
と言う。
先ほどと違って入口の横にがれきはどけられ、ぽっかりとした坑道が口を開けていた。
ずずず……。
また、地響きだ。
「急がなきゃ」
ティエンはヘルメット、上着にズボン、ブーツをぽいぽいと脱ぎ捨てた。
ランニングシャツのような上と、カボチャパンツという出で立ちは貧相で、女の子らしさは全然なかった。
ほんとうに、この細い身体のどこにあんな力があるのか——トロッコを持ち上げたりツルハシをぶん回した姿を思い出しながらアストリッドは思う。
アストリッドがティエンにロープを巻きつける。細い身体つきだった。
ロープの長さは、50メートルはないだろうが、距離30メートルならばなんとかなりそうだった。
「これでよし」
「行ってくるのです」
ティエンは身を翻すとためらいなく坑道に入り、水をかき分けて進む。
やがて腰まで沈むと平泳ぎになり、頭が天井にぶつかるところで大きく息を吸うと、水中に潜っていった。
「あの思い切りの良さはすごいわね……」
「ああ、ほんとうに——ってエミリくん!?」
その場に座り込んだエミリのところへアストリッドが駈け寄る。
「君……
「まあね……ティエンにはこっちを気にせず、救助のことだけ考えてて欲しかったから」
「なかなかの意地っ張りだ」
「知ってるくせに」
エミリに言われ、アストリッドはにやりとした。
「もうひとりの意地っ張りが、無事に出てくることを願おう」
「……そうね」
ロープがするすると、奥へ引っ張られていく——。