月狼族の真価
鉱山の入口に着くと、ざあざあと水音が聞こえた。
入口脇に通っている水路には多くの水が流れている。
「すごい水の量ですね。湧き水なんでしょうか?」
「…………」
「ティエンさん?」
「これは湧き水ではないのです。鉱山から排出している水……」
「こんなに水が出るんですか。すごいですねえ」
「ううん。こんなに多くない」
「え?」
ティエンは近くにいた鉱山労働者を捕まえる。
彼はすぐにそれがティエンだと気がついたようだったが、あまりの変貌振りに驚いている。
「排水量が多すぎるのです。どうしてですか」
「あ、ああ……昨晩、山の奥は大雨だったみたいだぞ。鉱山内も水が出てる」
そのときティエンは、昨日のことを思い出した。
ふだんはない場所で嗅いだ、水のニオイ。
「……水は危険なのです。ちゃんと問題がないか確認しましたか」
「いや……今日の採掘のノルマが多いんだよ。現場監督が焦ってる。だから余計なことをしてる時間はないと思う」
「でも!」
すると男はゴツゴツの手をティエンの頭に載せた。
「俺たちだってプロだ。ヤバイときはヤバイってことくらいわかる。今日は見学連れてるんだろ? あんまり奥には行くなよ」
「…………」
男はそのまま奥へと入っていく。
「——お? ティエンちゃんか? なんだいなんだい、元気そうじゃねえか」
「——そうそう、子どもはそうやって元気じゃなきゃなあ」
「——病気かと思ってたが、違うんだな。心配してたぜ」
通りがかった鉱山労働者たちが口々に声を掛けてくれる。
「…………」
彼らがこれほど自分を気にかけてくれていたとはティエンは知らなかった。
今までも声を掛けてもらっていたのだろう。
ただ、自分が自分に手一杯で気づけなかっただけで。
彼らの言葉のひとつひとつはぶっきらぼうだったり、乱暴だったりしたが、中身は温かかった。
そんな彼らが、いつもよりもはるかに出水の多い鉱山へと入っていく。
(大丈夫なのかな……)
ティエンは考える——今の健康な自分がいればきっとノルマの役に立てるはずだ。
それに、そもそももっと前から自分が動けてちゃんと採掘していれば、今日のノルマだっていつもどおりだったかもしれない。
「ティエンさん、どうしました? 今日は見学、止めたほうがいいですか?」
「…………」
ティエンはすぐ近くにあった、線路から外れたトロッコに近づいていった。
大人が5人は楽に乗れそうなその鋼鉄のトロッコをつかむと、
「むっ」
ティエンの細い身体のどこにそんな力があるのか、持ち上げ、線路へと戻した。
「……見学に、行くのです。でも早めに切り上げよう」
そして自分も採掘に加わってノルマ達成に協力しようとティエンは思うのだった。
鉱山内に入ってもティエンは多くの作業者に声を掛けられた。
男だけでなく女も多い。
ヒト種族だけでなくドワーフや
この街では金になる仕事とはいえ、生活に余裕ができれば鉱山労働なんてみんな止めてしまう。
今働いている人たちは、借金があったり、大金が必要だったり、いろんな事情があってここにいる。
彼らには余裕がなくて当然なのだ。
仕事が終わって酒を飲むくらいしか楽しみがないなかで、彼らはそれでもティエンを気にかけていてくれた。
「この縦穴はとんでもなく大きいですね……」
ニナはあちこちを興味深そうに見て回っている。
「こんな細いところにも入っていくんですか? あ、なるほど……鉱脈がないかの確認ですか」
見学者は珍しくはないが、ニナのような少女が来るのはさすがに珍しいのだろう。さらにはメイド服である。
ヘルメットをつけてちょこまかと動き回るメイドさんを、労働者たちが微笑ましそうに見ている。
「うわあ、すごい機械ですね」
巨大な魔導採掘機を見つけてニナが感心したが、横ではアストリッドが「ふーん」という顔で眺めていた。
「お前……昨日と違ってだいぶ元気そうだな」
やってきたのは、ガタイのいい赤髪の労働者だった。
昨日、ティエンに休むことを促してくれた人だ。
「あ、あの、もうチィは大丈夫なのです」
「そうか。それはよかった——第4区には行くなよ。なんか知らねえが今日の現場監督は虫の居所が悪いらしい。怒鳴り散らしてる」
「えっ」
ティエンは驚いた。
現場監督が怒り狂っていることに、ではない。
第4区は元々出水が多くて水の管理がうまくいっていない場所であること。
それに、この赤髪の男が行こうとしている方角こそが第4区だからだ。
「今日は水が……」
「わかってる。なるたけ早めに切り上げるさ。それじゃあな」
「…………」
男は去っていった。
それから1時間ほど中を回ると、一通りのところは見ることができた。
最後は入口付近の壁面で「採掘体験」だ。
エミリがツルハシをつかんだが、持ち上げることができなかった。
「ちょっ!? これ重いんだけど! 持ち上がらない!」
「やれやれ、君は非力だねえ」
代わりにアストリッドがツルハシをつかむ。
「…………」
しばらくじっと見つめて。
「私はやっぱり、考えることのほうが得意だからね」
「ちょっとアストリッド。できないならできないって言いなさいよ……」
「わたしも! わたしもやってみたいです!」
「いやいやニナ。君のその小さい身体では——」
アストリッドは言ったが、ニナはツルハシを手にすると、
「むんっ!」
持ち上げた。
「えぇっ!?」
「すごいね、ニナ。どこにそんな力がある?」
「お、重いです……けど」
ニナが壁面にツルハシを振り下ろす。
ギィンッ、と火花が散って一部が崩れた。
「ふう……これくらいしかできません」
するとティエンが拍手した。
「ニナはすごい。このツルハシは特別製で、鉱山労働者の中でも力自慢にしか扱えないヤツなのです」
だがティエンはニナが下ろしたツルハシを片手でつかんで肩に担いだ。
「ティエンさんはやっぱりすごい!」
「えぇっ!? 片手!?」
「興味深いねえ」
「少し離れていて」
驚くニナたちが距離を置いたのを確認すると、
「————むっ!」
片手でツルハシを壁面に振り下ろした。
ズガンッ、という音とともにツルハシは壁面に深々と食い込んで止まった。
休憩なのか、たまたま通りがかった労働者たちが、手にしていた手ぬぐいや手袋を落としてぽかーんとしていた。
月狼族という種族の真価がここにあった。