メイドさんもときには怒る
「ティエンさんは昨日、しっかりと食事をして、お風呂に入って、寝た。それだけです。彼女はもともと可愛くて、とても強い女の子です。それが今日は違って見えて……それを『得体の知れない』なんて言うのは、はっきり言って観察眼が足りていません」
「なっ!?」
「現場の責任者と言う方が、そこで働く部下のことをまったくわかっておられないのですか」
真正面から言われ、現場監督が怯むと、
「わたしたちは鉱山の見学に来ただけです。見学証の発行をお願いします」
「この……ガキが! 見学なんて許さんぞ!」
「鉱山管理規定の35条、『開かれた鉱山』の項目に、『基本労働に関する正当な訓練を受けた正規労働者の案内があれば、いつでも鉱山内を見学させてよい』とあります。本来ならば見学証も必要ありません」
「な、なにを言って……おい、お前もなんか言え」
「監督……この子の言うとおりなんすよ」
「はぁ!?」
「……見学証はこの事務所で勝手に発行してるだけなので、なくても大丈夫なんです。もちろん、求められたら出さなきゃいけません」
「ぐぐぐぐぐぐ」
「それに紹介もいただいています」
ニナが、この街まで乗せてきてくれた馬車の御者について話すと、事務員はあっと声を上げた。過去に世話になった人らしい。
事務員はいそいそと「見学」と書かれた腕章を3つ、カウンターに出した。
「それじゃ、行きましょう。ティエンさん」
ニナは腕章を受け取ると、ティエンの腕を引いて外へと出た。
「へぇー、そんなことがあったの」
話を聞いたエミリが言った。
強ばった顔で事務所から出てきたティエンとニナ。
なにかあったな? と思って話をさらに聞くと、元々ティエンはあの現場監督に目を付けられていたという。
「言うに事欠いて『幽霊犬』ですよ!? こんなに可愛らしいティエンさんなのに……!」
珍しくニナが、プリプリ怒っている。
「…………」
「それでティエンのほうは? どう思ったの? さっきから黙ってるけど」
エミリが水を向けると、
「……どうして、そんなにしてくれるのです?」
ティエンはニナにたずねた。
手にはアストリッドが買ってきた、井戸水の入った水筒がある。
数少ないティエンでも飲める飲み物だ。
水筒は全員分あった。
「どうして、と言われましても……すみません、差し出がましいことをしましたね」
「そういうことではないのです。『鉱山を見学したい』というそれだけで、ニナのやってくれたことはあまりにも大きすぎるのです」
「えっと、その……」
答えに困ってニナがエミリを見る。ふんふんとうなずいたエミリは言った。
「ニナは、『鉱山見学』以外の見返りを求めてないのよ」
「そんなの——」
おかしい、とティエンが言う前に、エミリは、
「びっくりするわよねー。あたしもこの子に会って間もないんだけど、驚いてばかりよ。でも本人からするとたいしたことないみたいな感じなのよ」
「一流の料理人しか気づかないようなことをして、たいしたことないなんてことは、ありえないのです」
「で、でも、メイドなら当然ですから」
「「「それはない」」のです」
と言ったのはエミリとアストリッドとティエンの3人だった。見事にハモった。
「え、えぇ……?」
「まあ、この子は天性の世話焼きなのよ。裏はないから安心して」
「裏があるとは思っていないのですけど……こんなにしてもらって、返せるものがないのです」
「いいじゃない、別に。返せなくったって」
エミリは水筒を口につけてゴクリと飲んだ。
「あたしも聞いたんだけど、あんたも修道院に寄付を続けてるんでしょ。もう、自分がお世話になった金額以上は入れてるって聞いたわ。それってなにか見返りが必要なの?」
「見返りなんて要らないのです」
「そういうことよ」
「でもチィは孤児院で育てられました。見ず知らずの他人にも同じことをするのですか?」
「……そこを言われるとあたしも理解に苦しむんだけどさ。ニナみたいな人もいるってだけ。あんまり悩んでもしょうがないじゃん? それより今日のガイド、ばっちりやってやろうって思ったほうが気が楽よー」
ニナは一般の基準で考えたらダメなのよ、と付け加えた。
えっ、とニナが本気でびっくりしたような顔でエミリを見るが、よしよしとエミリはニナの頭をなでた。
(見ず知らずの他人にも、優しくできる人がいる)
鉱山への道を歩きながらティエンは考えていた。
(その一方で、部下に怒鳴り散らす現場監督みたいな人もいる)
体調はすこぶるよい。ここ数年で、間違いなくいちばんいい。
(血のつながった子を捨てていった、親もいる……)
すっきりした頭には様々な思いがやってきては去っていく。
それらをうまくまとめることなんてできはしない。
ただティエンは——自分もニナのようになれないだろうか? なれるのではないだろうか? そうなれたほうがきっと毎日が楽しいんじゃないだろうか? という気持ちになっていた——。
(わたしがしていることって、そんなにおかしいのかな……)
ニナはニナで考えていた。
(ティエンさんも納得していたということは、エミリさんの言うことは正しい……わたしはひょっとして他人よりもずっと世話焼きで、ずっとお人好しということ?)
わからなかった。
ニナがこれまで教わってきたのは「他人に尽くすこと」。
それが当たり前で、それがなすべきことだった。
(メイドでいることが自分だと思っていたけれど、メイド服を脱いだらどうなるんだろう)
ふと、そんなことを思った。
観光をしたい、という軽い気持ちで旅に出て、気づけばエミリという頼れる魔導士の仲間ができ、アストリッドという信じられないほど頭のいい発明家も仲間になった。
今も、鉱山を見学したいという気持ちはある。
次の国にも行ってみたいという気持ちがある。
(でも、その先は?)
この旅の果てにはなにがあるのか——。
「…………」
「…………」
そんなふうに悩むニナの横顔を、エミリとアストリッドは見守っていた。