メイドさんはオオカミ耳の少女に出会う
隣の国、ウォルテル公国は山が多い。
ニナたちの旅も当然山を多く越えることになるが、そのすべてが珍しいのかニナは目を輝かせていた。
「うわぁ……神秘的な森です。トゥイ——あの方もこういうところにお住まいだったんでしょうか……」
なんてことを乗合馬車でぼそっと言ったりする。
一応「トゥイリード」まで言わずに「あの方」で済ませたのは、ここに至るまでエミリとアストリッドがニナを説得したからだった。
ニナが思っている以上にトゥイリードは偉い人物なので、外で軽々しく口にしてはいけない。
できれば他の重要人物についても聞き出したかったふたりだったけれど、説得されたニナが、悲しそうな顔をしたのでそれ以上は追及できなかった。
——トゥイリード様はすばらしいお客様でしたのに、その御方のお名前を口にしてはいけないなんて……。
考えてみれば、ニナのようなメイドがトゥイリードのような偉人と知り合いであると考える者はほとんどいないはずだし、ニナがさらわれたり危害を加えられる恐れはないはずだ。
問題は、ニナが持っている知識、というだけで。
(結局のところ、そばにいて見ていてあげるしかないのよね……)
エミリはそっとため息を吐いた。
「お、おい! 野犬の群れだ! 魔導士の嬢ちゃん、頼むぜ!」
「はいはい」
御者に声を掛けられ、エミリは杖を持って馬車から降りた。
こうして魔法を使って野犬を追い払うことを条件に、馬車の料金をタダにしてもらっている。
野営しなければいけないときにはニナが腕を振るって料理を用意するので、それでお金をもらうことまである。
さらには馬車に故障があればアストリッドが修理し、魔術を施して補強までするので、報酬はさらに増える。
「『旅の永久機関』よねー。あたしたち、旅に出るために出会ったんじゃないかって思うわよ」
サクッ、と風の魔法で野犬を追い散らしたエミリが乗合馬車に戻ってくると、
「お疲れ様です! 次の休憩では、美味しいお茶を淹れますね!」
「エミリくん、さすがだね。あの魔法の発動の美しさを魔術にどうにかして落とし込みたいな」
ニナとアストリッドが笑顔で出迎えてくれ、他の乗客たちも大喜びでエミリの戦い振りを褒めてくれる。
「……こ、これくらい魔導士なら当然よ」
ニナの口癖が移った。
鉄鉱山を見学できる——そんな、「誰が喜ぶの?」と思わずエミリが口走ってしまった「誘い文句」に反応したのはニナだった。
「見てみたいです!」
ウォルテル公国は鉱山を多く抱えており、「イズミ鉱山」だけは唯一見学可能だという。
とはいえ、観光するには温泉や神秘の滝、植物園に博物館と様々なものをそろえている公国で、「鉄鉱山を見よう」なんていうもの好きはあまりいないようで、鉱山街に向かう馬車の乗客はニナたちだけだった。
「いいのかい、エミリくん? 君は鉄鉱山に興味なんてないんだろう。公都で待っていてくれてもよかったんだが」
「興味はないけどニナを放っておけないじゃない。アストリッドだけに任せて、公都に戻ってきたときにはふたりだった連れが3人に増えていた……なんてことが起きたらと思うと、ついていくしかないし」
「あははは。そう言われると、私も邪魔だってことかい? エミリくんはニナくんの独占欲が強い」
「そっ、そんなんじゃないわよ! バカね! ニナのことを知る人が増えれば増えるほど、ニナが危険になるからよ」
あまり大声を出すとニナに聞こえてしまうので、最後は小声で。
ニナは馬車の御者台に座って、御者の話に耳を傾けている。どうやら鉄鉱山の話を聞き込んでいるらしい。
公都から数日掛けて到着したイズミ鉱山は「風光明媚」の正反対にあるようなところだった。
赤茶けた山肌が露出し、緑はほとんどない。
鉱山街は大きく、活気があったけれど、鉱山で働き、鉱山に食わせてもらっている人たちが住んでいて、なにか見所があるかと言えばもちろんそんなものはない。
「おう、メイドのお嬢ちゃん! 俺が見学のことは言っておいてやるからよ! 明日以降、いつでも行けるぜ!」
「ありがとうございます」
「いいってことよ! あばよ!」
馬車の御者はそう笑うと去って行った。
鉱山の見学の道筋までつけていたようだ。
「相変わらずニナは抜け目ないわねぇ……」
「さて、と。とりあえず良さそうな宿を探すかい? とは言ってもあまり選択肢はなさそうだけれどね」
「うん。清潔だったらそれで十分だけどね。食事はなにか買ってきてもいいし……とか言ったらニナが『料理します』とか言い出しそうだけど。ねえ、ニナ?」
と話を振ってみると、すでにそこに小さなメイドはいなかった。
「…………」
天を仰いで額に手を当てるエミリの肩に、アストリッドが手を置いた。
「……君の苦労が、よくわかるよ」
「……ありがと。ニナを捜すわよ」
ふたりは動き出した。
△
「なにをトロトロ運んでおる! 子どもだからって許されんぞ、同じ金もらっているだろうが!」
鉱山の現場監督の声が響く。
大型の採掘現場では魔道具が利用されるが、小さい坑道ではいまだに鉱山夫が手を使って採掘し、背負子や手押し車で鉱石を運ぶ。
ひとり、ふらふらの少女がいた。
頭にはぼろぼろのレザーヘルメットをかぶり、サイズの合っていない作業服を着ている。
そこから伸びている手足は枯れ木のようだ。
衰弱した顔をしていたけれど、濡れ羽色の前髪の下にある、金色の目は死んでいなかった。
「…………ッ!」
彼女が背負うには明らかに大きすぎる背負子がぐらりと揺れ、少女は壁に手をつく。
「お、おい、大丈夫か」
「——コラァ! 他人の仕事に手ェ出してんじゃねえぞ!」
「くっ……」
他の鉱山夫は手助けしようとしたが、現場監督が監視の目を光らせている。
「……いい、これくらい自分でできる」
すると少女はそう言って、背負子を背負い直し、歩き出した。
時間を掛けて選鉱場に運ぶと、彼女が運んだ重量に応じた数字の木片を渡される。
外はすでに夕暮れだ。
今からもう一度坑道に戻っていたら次にここに来るのは夜更けになる。
「……帰る」
少女は木片を手に、歩き出した。
鉱山の入口にある管理局に入ると、屈強な男や女が列を作っている。彼らもまた木片を持っているが、そこに書かれている数字は彼女の数倍以上だ。
年齢も体格も違うのだから、当然と言えば当然だったが。
「はい、こちらが今日の給金です」
「…………」
受け取ったのは3枚の銀貨だ。たった3千ゴールド。
借りていたレザーヘルメットを返却箱に置くと彼女の頭にはひょこひょことふたつのイヌミミが現れる。
耳の先っぽだけが白かった。
彼女が管理局から出たところで、
「おい、幽霊犬!」
先ほど怒鳴っていた現場監督もちょうど戻ってきたところだった。
「お前、やる気がねえなら辞めちまえ! 他に働き手は山ほどいるんだよ!」
「…………」
少女は現場監督をじろりと見たが、ふいっと顔を背けると歩き出した。
「なんだ、あの態度は。辛気くせえったらありゃしねえ。まさに幽霊犬としか言いようがねえな——」
少女は言い返さない。
言われたことは正しかったし、それに、言い返すだけの力もなかったのだ。
——ぐるるるるるるる………………。
お腹が空きすぎて。
まるで獰猛な獣が唸るようにお腹が鳴った。
「!」
鉱山街に入ったところで、どこからともなく食事のニオイが漂ってきた。
「——鉱山帰りの旦那! 1杯どうっすか!」
「——今日は公都直送の美味いエールがあるぜ」
「——山を5つ越えて運ばれてきた潮銀雪魚が入荷! ほっぺたが落ちるよ!」
空腹の鉱山夫を誘う酒場の声。
「うっ……」
だけれど少女は苦しそうに鼻をつまむと、うつむき加減に通り過ぎていく。
数人にぶつかりそうになるが、するりと彼女は身体を傾けてかわした。
「お、幽霊犬だ」
「幽霊犬?」
「ほら、あれだよ——ありゃ、もういねぇ」
小さな少女が鉱山で働いているのはやはり珍しく、少女を指差す鉱山夫も多かった。
そしてそういうときには必ず、
「幽霊犬」
という単語もついてきた。
(犬じゃない……!)
少女は悔しさに顔をゆがませながらも、それ以上に苦しそうな顔で盛り場を通り過ぎ、中央広場の一角でようやく腰を下ろした。
「ふぅ……」
疲れ切った、という様子だった。
そんな彼女の前に、
「あの……大丈夫ですか? お水、飲みますか?」
水筒を差し出したのは、少女とさほど背丈の変わらない——メイドさんだった。