懸賞金は100万ゴールド
そのころ——お屋敷の厨房には3人の人影があった。
太い眉に意志の強そうな目、毛むくじゃらの太い腕を組んでいるのが料理人のロイだ。
トムスはごま塩頭を短く刈り込んだ老人だ。
「どうしてここにトムスさんもいるのよ?」
もうひとりは青く長い髪を後ろで縛ったメイドだった。
彼女はモナ。
ニナとモナという名前が似ているからと、ニナがこのお屋敷にやってきてからすぐに仲良くなった——出会ってから5年経って、モナは20歳、今年の夏に結婚することが決まっている。
「どうしてワシがいるのか、っておめえ。ニナちゃんがメイド長に呼び出されたって聞いたからろくでもねえことだろうと思ってよ」
「そのとおりよ」
怒りに唇を震わせながらモナは話した。
宝物室の壺が割れ、その濡れ衣を着せられてニナがクビになったこと。
他の使用人への別れの挨拶も禁じたのでつい先ほどモナも聞いたこと。
モナが話し終わると厨房はしんと静まり返ったが、
「…………」
「——ちょい待ち、ロイ、おめえ、なにする気だよ。包丁なんざつかんで立ち上がって」
立ち上がったロイの腕をトムスがつかんだ。
「知れたこと。あのメイド長の首をかっ切ってやる」
「バカ言ってんじゃねえ、なに考えてんだおめえ」
「いいわねそれ」
「おいおい、モナまでバカ言うな。とにかく落ち着け」
トムスは言うのだがロイは収まらない。
「どうせ自分で割ったんだろうに、その罪をニナになすりつけてるんだろうが! ああいう手合いは一度死ななきゃ治らねえんだよ!」
「だからと言って殺したところでどうにもならんし、ニナちゃんも悲しむ。そうしたところでニナが帰れるわけでもねえぞ。おめえが縛り首になって終わりだ」
「くっ……」
ロイは渋々包丁を置いた。
「……あたしは悔しいよ」
モナが涙をぽろぽろこぼす。
「どうしてニナがそんな目に遭わなきゃいけないんだよ……あの子がこのお屋敷でいちばん一所懸命、真面目に働いてたじゃん……」
「泣くな。泣きてえのはニナちゃんのほうだろ。というか、ニナちゃんは次はどこで働くんだ? そのお屋敷の庭師が足りてねぇならワシが立候補するんだが」
「あ? トムスさんよ、そんな抜け駆けは許されねえぞ」
「お前さんも料理人で手を挙げればいいだろ」
「……それもそうか」
「あー!」
するとモナが大きな声を上げたので、ロイとトムスは両手で耳を押さえた。
「あ、あ、あ、あの子! たぶん『紹介状』もらってない!」
「な、なんだと!?」
「——あのクソメイド長!」
「やっぱ殺したほうがいいんだ、アイツは」
くるりと背を向けて部屋を飛び出そうとしたモナの背中をトムスが右手でつかみ、再度包丁を手にしたロイの背中を左手でつかんだ。
ふたりが怒って出て行こうとしたのにはワケがある。
メイドは、相手の家に上がり込んで働く。
だからこそ身元や素性がはっきりしていて信頼できる者でなければならない。
それを裏付けするのが「紹介状」だ。
ふつう、メイドがそのお屋敷を退職するときには「紹介状」をもらう。
これを持っていけば次の仕事に困らない。ましてや伯爵邸の「紹介状」ならなおさらだ。
だが、メイド長はこれを書かなかった。
表向きは「壺を割ったからクビ」なので、そんな者を「紹介」したらおかしなことになってしまうからだ。
「止めないで、トムスさん!」
「アイツは殺す」
「だーかーらー! ここで暴れてもしようがねえんだよ! いい加減にしろ!」
トムスはふたりを止めながら心の中で愚痴る。
ああ——ニナちゃんがいなくなった途端、これだ。
このじゃじゃ馬と暴れ馬がまともに働けていたのもすべてニナちゃんのおかげだった——と。
実際、現場で動いているトムスには痛いほどニナのありがたみがわかっていた。
庭師や料理人、メイドという全然違う働き方の3人だが、結構関わることがある。
庭師は厨房の薪を用意するし、料理人は食事を作るし、メイドは庭で行われるお茶会の準備をする。
そういう細々した仕事の重なりで、「調整役」を務めていたのがニナだった。
彼女に話せばすべてが通るし、気持ちよく仕事ができた。
彼女の存在は地味。
それゆえに「仕事が上手くいくのは当たり前」だと思ってしまう者は多いだろう。
「ワシだってツライ。大体、どうするんだ、お屋敷の大量の仕事は……あの子がいたからこそなんとかなっておったんだぞ」
トムスが言うと、
「そ、そうなのよ……どうしよう」
モナが青い顔をする。
「あの子、すごく気難しい魔導士様のお相手とかしてたのよ」
「がんばれ、モナ」
「無理だって! 売り込まれる美術品の贋作を見抜いたりもしてたのよ!? そんなのできるわけないじゃん!?」
「…………」
「…………」
ロイとトムスが顔を見合わせる。
「……いったい、どうやってあの子はそういう知識やスキルを磨いたんだ……?」
「それもそうだが、それよりもニナがいなくなったらどうなるんだ。ワシらは所詮使用人だが、伯爵様に奥様はこれがどれだけマズいことなのか理解しておられるのか?」
「…………」
厨房に、重苦しい沈黙が垂れ込めた。
△
「ねえ、これどーする?」
「いや? 要らないでしょ」
「だよね〜。置いといても邪魔だから片づけよっか」
廊下に置かれていたニナのメモは、こうしてメイドによって持ち去られ、ゴミを燃やす焼却炉に放り込まれた。
「つ、つ、つ、壺を割っただとぉ!?」
帰宅したお屋敷の主、マークウッド伯爵は報告を聞いて思わず大声を上げた。
小太りな身体は背が低いせいでいっそう太って見えてしまう。
40代後半ながら頭髪が寂しくなっており、「壺が割れた」という動揺のせいで頭に載せたカツラがずれる。
執事長とメイド長のふたりは身を縮こまらせる。
ちなみに執事長もメイド長から聞いてほんとうの事情を知っている。
「ご、ご主人様、
「髪の話はするな! どういうことだ、説明しろ!」
あわててカツラを直した伯爵の前には、物の見事に割れた壺がある。
キレイに割れただけならば修復できたかもしれないけれど——破片を踏みでもしたのか、粉々になっている部分もあるし、雑に集められたのか破片同士がぶつかって傷もできている。
「そ、そのぅ、実は清掃中にメイドが割りまして……」
「そのメイドはどこだ!」
「ご、ご安心ください! クビにしましたから!」
「バカ者! ここに連れてこい! 私が直々に罰を与える!」
「えっ……」
メイド長は焦る。
無実の罪を着せてお屋敷から追い出すだけで、賠償を押しつけるまではしなかった。
それくらいの良心はあった、というより、ニナに抵抗されたら面倒だったのだ。
伯爵には「犯人はクビ! これで解決!」という形で納得してもらうつもりだった。
だけれど、伯爵はそれでは許さないという。
「メイドを捜せ! 懸賞金を掛けろ!」
ニナの懸賞金は「100万ゴールド」に決まった。