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マークウッド伯爵邸の賓客

 クレセンテ王国の首都「三日月都」。

 ここ数年で急速に名を上げていたマークウッド伯爵邸は朝から騒然としていた。


「——ちょっとこれはアタシが最初に手にしたんだよッ!」

「——は? アンタがお茶なんて淹れられるわけないでしょうが」

「——ここは私に任せときな。年季が違うのよ年季が」


 客室付き(パーラー)メイドが10人ほど、厨房の横にある食料庫に集まり、剣呑な空気が漂っている。


「おいおい……なんだこりゃ」


 料理人のロイが呆れたようにつぶやくと、メイドのモナがやってきた。


「賓客が来るってロイさん聞いてない? あ、そっか、晩餐は召し上がらない方だから厨房は関係ないか」

「その賓客と、メイドが鬼のようなツラして茶器と茶葉を奪い合うのと、なんの関係があるんだ?」

「そりゃあ、お茶を淹れるときにお目に掛かれるから、あわよくばお近づきになろうって魂胆でしょ」

「…………」


 ただでさえ呆れていたロイだったが、ぽかんと口を開けて言葉まで出てこなくなった。


「……その仕事は今までニナがやってたんだけど、それを『独占してる』って、あのメイドたちは陰口たたいたりメイド長に言いつけたりしてたのよ。なんでニナがやってたのか、ニナしか(・・)できなかったのか、わからないのよ」

「まともに仕事することよりも自分がいい相手と結婚することしか考えていない連中だぞ。わかるわけがねえ」


 そこへ庭師のトムスがやってきて言う。


「ニナがいなくなって、メイドはだいぶ大変だと聞いたがどうなんだ?」

「まあ、アタシなんかは自分の仕事をこなせばいいだけだからいいけど……伯爵や奥様、お坊ちゃまやお嬢様付きの連中は毎日ブチ切れてるわ。アレがない、アレはどうなってる、アレが間違ってる……って大声が聞こえてくるもん」

「……ふーん。お屋敷の外でも、伯爵の失敗が増えてるってウワサを聞いたが」


 言葉を取り戻したロイが言った。

 ロイは料理人の付き合いで、他のお屋敷や王族の厨房にも知り合いが多い。

 彼らが言うには、


 ——マークウッド伯爵のメッキが剥がれたとウワサになってる。


 というのだ。

 この数年で貴族社会で名前が挙がるようになった伯爵だが、最近は失態が多い。

 トンチンカンな政策提言をしたり、美術品の贋作をつかまされたり、社交界では夫人のドレスにほつれ(・・・)があったり。

 お屋敷の中だけでなく、外でもうまくいっていないらしい。


「まあ……伯爵の外での失敗も、ニナのせいってことはないだろうが」

「…………」

「…………」

「お、おい、モナもトムスのジイさんも、黙るんじゃねえよ」

「……いや、ニナならあり得るんじゃないかなって」


 3人はニナがどんな仕事をしていたのか、そのすべてを知らない。

「三日月都」の政治の変化に応じて、伯爵の執務机に関連した歴史書やレポートを用意していたのもニナだ。

 伯爵の壺好きは知られているので、美術品を売り込みに来る商人も多く、贋作があれば事前に追い払っていたのもニナだ。

 先日問題になったドレスの裾直しやほつれはもちろん、流行遅れのモチーフを密かに取り払っていたのもニナだ。

 執事長はお金の計算には強いのだけれど、政治や美術にはとんと疎く、ニナがなにをしているのかもわかっていなかった。

 メイド長は仕立屋を呼び出してこき使うのは上手だったけれど、時間がないときにどうやってバランスを取って直したらいいのか、ファッションの流行にはとんと疎かった。


「ま、まあ、伯爵は今回の賓客とやらをうまくもてなして、失地回復といきたいんだろ——」


 と、ロイが言ったときだ。


 ガッシャーン。


 ティーポットが床に落ちて割れた。


「——アンタのせいよ!」

「——はぁ!? 最後に触ってたのはアンタでしょ!」

「——その化粧似合ってないから止めなさいよ!」


 メイドたちは割れたポットを拾おうともせず、ケンカを続けている。


「モナ」

「なに」

「お前……いいときに辞めるよな」


 モナの結婚退職まであと2か月。


「アタシが辞めたあとにどうなったか、定期的に連絡してよね? 娯楽がない田舎の楽しみにするから」


 本気の顔でそう言うと、モナは自分の仕事をするために去っていった。




 その賓客を、満面の笑顔でマークウッド伯爵は迎え入れた。


「本日もようこそおいでくださいました。魔導士の頂点にして『五賢人』のおひとりである……」

「いや、もったいぶった挨拶は結構。ここには何度も来ておりますからな」


 その見た目は、ヒト種族の20代のそれと変わらない。

 だけれど彼はすでに300年以上を生きており、話し方はどこか老成している。

 長い金髪を後ろになでつけており、耳は長くとがっている——正統なエルフの特徴だ。

 瞳はグリーンで長いまつげが覆っている。

 白い肌には一点の染みもない。

 白と明るいグリーンの布地を使ったローブは魔導士の証であり、見る者が見ればその布が希少素材であることがわかる。魔力を蓄えて魔導士の動きをサポートし、さらには生半可な刃を通さない防刃仕様である。


「はい! それはもう。トゥイリード=ファル=ヴィルヘルムスコット様が今年も(・・・)、拙宅をご訪問くださったこと、誠にうれしく存じます」


 馬車から降りてきたのはエルフ、トゥイリードだ。

 国にとっても重要人物(VIP)である彼に、付き人のようについてきている貴族が何人もいたが、彼らは忌々しそうにマークウッド伯爵をにらんでいた。

 ここから先は、ついていけないからだ。

「伯爵のお屋敷だから」という理由ではなく——ついてこないで欲しい、くつろぎたい、というのがトゥイリード本人の希望だからだ。

 それほどまでにトゥイリードはマークウッド伯爵邸での滞在を喜んでいる。


「長旅で少々疲れておりましてね。まだ……あのテラスはありますかな?」

「もちろんでございます。トゥイリード様がお気に召したということもあり、庭も念入りに手入れをしております」

「それはよかった。今は金勺漣花(きんしゃくれんげ)が見ごろでしょうな……」


 楽しそうにトゥイリードはマークウッド伯爵とともに邸内に足を踏み入れる。

 案内されたテラスは、昨年来たときと同じ——いや、


(ふむ……? 趣味が悪くなったようですね)


 トゥイリードは棚に置かれた壺が、金ぴかのものであることに気がついた。

 美術的センスの欠片もない壺だ。


(これまではこんなことなかったのに……)


 ふとした懸念を覚えたが、それを振り払う。

 世界を飛び回るトゥイリードの、心が安らげる場所はそう多くない。

 その中のひとつがここだ。

 つまらないことに注意を割きたくない。


「おお、今年の庭も見事ですな」


 庭を見たトゥイリードは喜んだ。

 昨年同様、見事に手入れのされた庭が広がっており、ちょうどトゥイリードが望んだように金勺漣花の花が咲いていた。

 細い茎でどうやって支えているのかと思ってしまうほどに、咲き誇るいくつもの金色の花。

 だがそれだけでなく、この花を引き立てるように色とりどりの花があり、みずみずしい緑も豊かだ。


「そうでしょう! いや、しかし、トゥイリード様が金勺漣花をお望みであれば、もっと数を増やしてご用意すればよかったですな!」

「…………」


 あっはっはっは、とマークウッド伯爵は笑うが、トゥイリードは、


(やはり、当主は理解されていないようですな)


 と内心でため息を吐く。

 美しいものというのは、ただそれだけがあればいいのではなく、他のものとの調和の中に生まれるとトゥイリードは思っている。

 自然を愛するエルフであればなおさらのことだ。

「心安らげる場所」というものが、単に「よい庭があればいい」のではなく、もてなす者のホスピタリティであったり、淹れられたお茶であったり、多くの要素が必要であるように。


「では……伯爵、少しの間ひとりにしていただけますか?」

「はい、はい、もちろんでございます。——おい、トゥイリード様がお休みになる! お茶の準備を!」


 伯爵のいいところは余計に話しかけてこないことでもあるな、とトゥイリードは思いながらイスに座った。

 やはりこの庭はいい。

 エルフであるトゥイリードのために、緑を多く入れているのだろうともわかる。


(腕のいい庭師、それに腕のいい——)


 カラカラと音が鳴って、ティーセットの置かれたワゴンが入ってきた。


「トゥイリード様、お茶をお淹れしますわ」

「…………?」


 そこにいたのは見知らぬ顔のメイドだった。

いつもと違うメイドがきたようです。

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