精霊と人と特大のやらかし
エミリは今日一日、悶々として過ごしていた。
ニナの居場所で思いついたところはまず冒険者ギルド、次に薬師ギルドだった——昨日は、売れなかった薬草の話をしていたから。
だけれどどちらも空振りだった。
むしろ、
——昨日はお互い行き違いがあったようだ。売る気があるならこちらもそれなりの金額で買ってやらんこともない。
とか、
——冒険者ギルドではなく薬師ギルドに登録し、卸しませんか? 冒険者ギルドが提案した2倍を出しますよ……2倍ですよ? いいでしょう!
とか絡まれてイライラが増すだけだった。
取引をする気はない、と答えると、彼らは激昂して、「そんなことを言ってこの王都でやっていけると思っているのか」とか「他のギルドに手を回してもいいんだぞ」とか言ってくるのがまったく同じだった。
打ち合わせでもしているんじゃないかと思ってしまうくらい同じセリフだった。
それから街中をあてどもなくニナを探して歩き、もしかしたらメイドの仕事を探しにいったのかもしれない——と気がついてお昼過ぎに紹介所に向かったところ、確かにニナは来たという。
でも、依頼内容の詳細を部外者には教えられないと言われれば、それもその通りだ。
——しばらくしてまたここに来たらいいですよ。
なんて、受付の女性が遠い目で言っていたのが不思議だった。
どうやらニナはすでに
そわそわしながら夕刻まで紹介所の近くで待ったが、待てど暮らせどニナは帰って来ない。
もしや宿に戻っているのでは——と思って帰り、宿の女将に夕食をどうぞと勧められてそれを食べ終わった。
で、部屋に戻って「ニナはどこに行ったのよ……」とぶつぶつ言いながらぐるぐると室内を歩き回っていたときだった。
「ただいま帰りました〜」
ドアが開いて、そこに現れたのは小さなメイドさんだった。
「ちょっ、ニナ! 一体今日はどこに——」
「お邪魔するよ」
ニナの後ろから長身の女性——ニナと比べるとなおさらその背の高さが際立つ——アストリッドが現れた。
エミリが、見知らぬ女性の出現に目を瞬かせていると、
「エミリさん、こちら発明家のアストリッド様。アストリッド様、こちら旅の仲間のエミリさんです」
ちょっと荷物を片づけてきますね、と言ってニナが続きの部屋に入ると、
「……君がエミリくんかい? 夜分に、突然お邪魔して申し訳ない。だけど君に少し話したいことがあるんだ」
声を潜めてアストリッドは言った。
「単刀直入に聞く。……何者だい、あの子は?『メイドなら当然』と言うが、明らかに当然ではないことを易々とこなすし、果ては……とんでもない機密情報を知っていて、今日初めて会ったばかりの私に披露したんだ。非常に危ういと思う」
「…………」
エミリは天を仰いで目元を手で覆った。
特大の
△
『精霊力からの転換魔力による魔術執行における前段階研究と、その実践方法』
フレヤ王国の特許庁に提出すると、アストリッドは晴れ晴れした顔つきで自宅への道のりを急いだ。
——アストリッド様、実は精霊さんは「ヒト種族が嫌い」ということをご存じでしょうか?
少し思いついたことがあります、と言って話し出したニナの言葉を一言一句思い出せる。
忘れようにも忘れられない内容だ。
——精霊さんはあるがままの自然を愛します。自然を壊すヒト種族が嫌いなのです。まして、整頓された町並み、管理された緑しかないようなフレヤ王国はなおさらです。
そんなことは初耳だった。
だけれど、思い当たるフシはある。
ヒト種族の中にも「精霊が見える」と言う者がいて、それらの文献もアストリッドは調査していた。
すると、そのうちの半分ほどは大自然の中で暮らしていた経験か、あるいは遭難などを経て身ひとつで過酷な自然を生き抜いてきた経験を持っていた。
逆に言うと残りの半分は「ウソ」だったのかもしれない。
「精霊が見える」とウソを吐いて、人を騙し、お金を巻き上げている者もいた。
——そんなフレヤ王国ですが、このおうちは別です。敷地は他の建物から離れ、アストリッド様が手を入れられなかったことでお庭は荒れた部分もございますが、自然の力は回復しているように見受けられます。
ケガの功名だとニナは言う。
——ただ、ですね。屋内にあった……「捨ててもよい人工物」がよくありませんでした。精霊さんがこのお屋敷に近寄らなかった理由はそれです。
ストレートに「ゴミ」と言えばいいのだが、そこは気を遣って「捨ててもよい人工物」なんて言い回しをするのがおかしかった。
——でもそれらは取り除きました。この建物やお部屋の作業台は木材を生かしたもの。アストリッド様が大事に大事に使われ、変に人の手が加わっていないところも好条件ではないかとわたしは思います。
ただ買い換える余裕がなかっただけ、と言いかけた。
違う——祖父母の代から使っていた作業台や魔術道具をアストリッドは愛していた。
——今、精霊さんの力を借りる魔術をやってみてください。窓を開けて、外からの空気を取り込んで……もしできなくとも、今度は王都を出て森の中でやってみませんか?
初めて聞く知識。
魔術を実行する環境を変えるだけで成功か失敗かが変わるなんて、今まで見たことも聞いたこともない。
いつもの冷静なアストリッドだったら、ニナの提案を受け入れることはなかったろう。
発明家として、素人の意見なんて聞かない。
なによりプライドが許さない。
だけれど、酔っ払っていたせいだろうか。
あるいは——なんだか背中を押されるような気がして、魔術式を取り出し、実験を開始した——。
「……あのときの風景を、私は一生忘れないだろうな」
開け放たれた窓から風が吹き込んできたとき——「いつもと違う」とアストリッドは感じた。
生ぬるいような、
そして、今までうんともすんとも言わなかった魔術式に、ちろり、と七色の光が走ったと思うと、次の瞬間には室内に光があふれた。
まぶしくも温かい光。
——なにこれ? 変なの!
ささやき声が聞こえた——あの後、何度か魔術式の追加テストをしてみたけれど、それからは聞こえなかったので、幻聴かも知れない。
でも、あれが精霊の声なのだとアストリッドは信じた。
——おめでとうございます! アストリッド様、その、これは……成功、ですよね?
自分の提案がどれほどのものなのかまったく理解できていないのだろう、ニナが「よくわからない」という顔で聞いてくる。
こちらは、あまりのことに腰を抜かし、床にへたり込んでいるというのに。
アストリッドは喜ぶよりも前に、こう言っていた。
——精霊に関する情報は、誰から聞いたの。
と。
ニナはきょとんとしてから、
——ええっと、以前お勤めしていたお屋敷にたまにいらっしゃるお客様がいて、その方です。
その人物の容姿を詳しく聞くに、アストリッドの脳裏にひとりの人物名が浮かんだ。
「……たぶん、ていうかほぼ確実に、あの御方……だろうね」
エルフであるのは間違いない。
けれど、その人が特別なのは——「エルフとヒト種族の架け橋」と呼ばれるように、秘密主義のエルフの森出身なのに、開明的なのだ。
「トゥイリード=ファル=ヴィルヘルムスコット様……」
魔導士の頂点と名高い「五賢人」のひとり。
フレヤ王国の国王よりも、世界的には地位の高い御方。
それに思い当たったとき、アストリッドは「ニナがヤバイ」と気がついた。
「?」という感じで小首をかしげているあたりが「ヤバイ」。
旅の同行者がいると聞いて、その人物がニナを利用している悪人かもしれないと思い、すぐにも会ってみようと決めた。
旅立たれると困るので、その日のうちに。
だけれど宿への道すがら、同行者「エミリ」について聞いてみて——アストリッドは理解した。
そして実際にエミリの顔を見て、すぐにその理解が正しかったのだと知った。
彼女もまた同じなのだ。
自分と同じく、ニナに救われたのだ。
「荷物は持ったし……よし、これでオーケーだね」
アストリッドは自宅に戻るや、昨日のうちにまとめておいた旅行鞄を手に取った。
残っていたお金を使って、2年間、家の状態をキープしてくれるよう案内所に頼んだ。
その2年間を使ってアストリッドはなにをするのか——。
「やあ、ニナ、エミリ」
アストリッドが向かったのはエミリとニナの泊まっている宿だった。
彼女たちが今日にも王都を出発すると聞いていたので、急いで特許出願をし、
「……本気? あたしたちについてくるって」
「そ、そのぅ、いいのでしょうか。アストリッド様……ご自宅もこちらにあるのに」
ふたりの旅についていく、と言ったときと同じ反応を今日もしている。
「ああ、自宅は残っているし、研究はどこででもできる。私は、君たちについていきたい気分なんだ」
アストリッドは、ニナについていこうと決めていた。
自分の研究を手助けしてくれたニナへの恩返しにお金を渡そうとしても、ニナはきっと受け取らない。
であれば旅についていき、その途中途中で返していったらいいと思った。
この小さなメイドさんを放っておけないという思いもある。
それに王都の発明家たちに仲間はいなかったし、なによりニナといっしょにいれば新たな発明の種が生まれそうな——そんな予感がしていた。
(「予感」なんて言葉、非科学的だけれどね)
アストリッドが苦笑するのを「?」とニナは小首をかしげていた。
「……ま、ニナがいいって言うならあたしもいいけどね。悪い人じゃなさそうだし」
「ありがとう。そしてよろしく、エミリ」
「ん」
アストリッドが差し出した手を、エミリが握りかえした。
そのときふたりの視線が交差する。
——ニナが
——わかっているさ。そのための同行でもあるんだ。
ふたりはその一瞬で意思の疎通ができていた。
「? エミリさんもアストリッド様も、なんだか仲良しな感じがしますね。いつの間に……!」
「ああ、そうだ、ニナ。私も旅の仲間だから、『様』は止めてくれないか? エミリと同じ『さん』でも呼び捨てでもいいから」
「あ、は、はい……えっと……アストリッドさん」
「うん。よろしくね」
「はい!」
アストリッドは次に、ニナと握手をかわした。
小さい手だ、と思った。
この小さい手で奇跡を起こすのだから——少なくともアストリッドにとって半日で家中の掃除と庭や屋外の掃除を終わらせたのは「奇跡」としか言いようがない——不思議だなと思った。
「さ、ふたりとも行きましょう。馬車の時間はすぐよ。——ニナ、用事あるって言ってたけどそれは?」
「あ、終わったので大丈夫です!」
「オッケー」
エミリに言われ、ニナに続いてアストリッドは歩き出す。
フレヤ王国の王都は広く、大きい。
だけれどずっとここで生きてきたアストリッドにとっては息苦しさもあった。
「旅だ」
そうつぶやくと、心が浮き立つのをアストリッドは感じた。