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メイドさんはまた思いつく

 昼過ぎに清掃業務を請け負ったニナが、家の中の掃除を終わらせ、外にも手を出したが時間切れになった——。

 言葉にすれば簡単なことなのだけれど、それをアストリッドがしっかりと理解し、納得し、信じられるようになるまでにはお茶を2杯飲み終えるほどの時間が必要だった。


「あの……確認したいのだけど」

「はいっ」

「今回の依頼は3千ゴールドだったのよね? 私、間違えて3千万ゴールドとか書いてないよね?」

「はい、3千ゴールドでした」

「……それなのにどうしてそこまでやってくれたの? こんなに美味しいお茶まで淹れてくれて」


 空になったカップを持ち上げて見せる。

 アストリッドが使っていたときにはくすんだ黄色だったのだが、今はぴかぴかの白で、「これがほんとうの色なんじゃい!」と自己主張でもしているかのようだ。


「お茶を喜んでくださってありがとうございます。ですが、メイドなら当然です」

「……私の知ってる『メイド』とあなたの知ってる『メイド』とは大きな違いがあるようね?」

「それはそうとアストリッド様。わたしは魔術発明のことが全然わからないので、奥の部屋は少ししか掃除ができていません。もしよければ明日、直接ご指示をいただきながら進めたいのですが……」

「い、いい。これ以上きれいになっても落ち着かないわ」

「そうはいきません。ほんとうに、仕事場のお部屋は少ししか掃除できていないので……」

「少ししか? ほんとに少し?」

「はい」


 掃除のし残しがある、と言われてなぜか安心してしまうアストリッドである。


「少ししか掃除してないんだよね?」

「はい。申し訳ありません」

「怒っているんじゃないんだよ。少しなんだよね?」

「は、はい、そうですが……」

「……ふーん。そこまで言うならちょっと確認してみようかな」


 イスから立ち上がった彼女が仕事場としている奥の一室へと入ると、


「ほらぁ! ピカピカじゃない! やっぱりピカピカじゃないか!」


 床は磨かれて輝きを放ち、作業テーブルもまた新品同様になっていた。


「いえ、こちらの器具が……」


 確かに、実験器具については片付いてはいるものの触媒がついているものはそのままだった。

 とはいえ、掃除のし残しなんていうのはそれくらいのもので、あとは新居のような清潔さだ。


「どうやったの!? どうやったらこんなことできるの!?」

「メイドなら当然です」

「絶対違うよね!?」


 ふだんは冷静沈着な発明家のアストリッドも、お酒が入っていることもあり、素直に驚きの声が出た。


「あの……実はわたし、発明家さんの仕事場を見せていただいたのは初めてで、どんなふうに器具をお使いなのか、気になっていまして……」

「ん? こんなものに興味があるのかい?」


 アストリッドが手にしたのは彫刻刀のようなものだが、魔力を持った石が嵌められてあり、切っ先は青色に光っていた。

 確かに、魔術系の仕事をしているか、発明家でもなければ見ることも使うこともないだろう。


「メイドなのに、存じ上げず、大変恐縮なのです……」


 どうやらニナが、業務終了のサインならば明日でもいいだろうに、この時間まで残っていたのは仕事場のことが気になったからのようだ。


「……あなたにも人間っぽい一面があるのね」

「あ、ありますよ。まだまだ未熟なメイドでございます」


 どう見ても「メイドお化け」なのだが、アストリッドは黙っていた。

 このまま眠って朝目が覚めると、「ゴミ溜め」のような我が家に戻っていた、となったほうがまだ信じられる。


「仕事を見せてあげたいのは山々だけれど……」

「——あっ、そ、そうですよね。秘密の多いお仕事ですものね。申し訳ありません、出過ぎたことを申しました」

「あ、ううん。違うのよ」

「?」


 仕事の仕方は秘密だから見せない、と断られたのかと思ったニナだが、どうやら違うらしい。


「……実は、私の仕事、というか、研究は他の発明家とちょっと違うの」

「と、おっしゃいますと……」

「今使われている発明、特に魔導列車に代表されるような大がかりなものも、街にある魔導街灯みたいなものも、すべて魔力を利用していることは知っている?」

「はい」

「その魔力は、ここにある魔石のようなものから抽出されている……それも知っている?」


 こくりとニナはうなずいた。

 この世界の魔術発明の動力はほとんどすべてが「魔石」で、これは電池のように使われ、使い捨てだ。


「でも、魔法の発動にはもっといろいろなものがあるのよ。たとえば召喚術。これは触媒を使って他世界の生命体を呼び寄せる。たとえば神秘魔法。これは人間の魔力を使ってケガを治したりする」

「他にも精霊魔法もありますね。確か精霊のお力を借りて魔法を行使するとか……」

「それなのよ。まさに、私が研究しているのは、精霊魔法なの」


 この世界に「いるらしい」が、「ふつうの人間には見ることも感じることもできない」存在、それが精霊だ。

 そして精霊と交信できるのは、森の住人であるエルフだけと言われている。

 魔法や魔力、魔術に関してはエルフの知識が抜きんでている。


「魔石を使った魔術は、どんなにがんばってもいつか魔石がなくなってしまうと思うの。でも、精霊は違うでしょう? 私は精霊を使った魔術ができるんじゃないかと考えてずっと研究を続けている……」

「すばらしい研究ですね!」


 未来を考えた研究だとわかってニナが思わず声を上げる。

 だけれど、彫刻刀のような道具を置いたアストリッドは小さく、さみしそうに笑った。


「……でも、ダメみたいだ」

「えっ、ど、どうしてですか?」

「私には才能がないということなんだろう。家の掃除を頼むのに3千ゴールドしか出せないような発明家なんだよ……もう、この家も手放さなければいけないだろう」


 アストリッドはその場にしゃがみ込んでしまった。


「君のように誰かの役に立てる仕事ができたらよかったのに……私はなにもなさぬまま、発明家としての人生を終えるのかもしれない。両親が、祖父母が住んでいたこの家も手放したら、私にはもうなにも残らない……」

「アストリッド様……」


 ニナも横に屈んでアストリッドの背に手を添えた。


「なにも残らないということはありませんよ……」

「どうして? 私の研究は失敗したんだ。理論は完璧。これまで調べた精霊魔法の発動に関するあらゆる条件もクリアしている。だけれど、魔術がうまくいかない……行き詰まってからもう1年になる。どう考えてもこれ以上のものを考えられない私は、発明家に向いていない。発明家でない私にはなにも残らない……」


 涙声になっている。

 酔いのせいか、今日の会合のせいか、この小さなメイドになら話してしまいたいと思ってしまったのか——アストリッドは思いがけず心の奥底を吐き出していた。


「なにも残らないなんて、ほんとうにありません。わたしはたった一日、いえ、半日、このおうちで過ごしただけですが、それでもわかりました……アストリッド様はとても優しい人です」

「……私が、『優しい』?」

「はい。家に無理が来ないように小さな補修が繰り返されていましたし、どの家具も丁寧にお使いのようでした。アンティークと呼んでもいいほどに古いものも多いのに、そのどれも現役で使えました」


 ゴミは少し(・・)、散らかっていましたけれど、とニナは苦笑する。


「わたしは掃除をしながら、アストリッド様がどんなお人柄なのか考えていました。きっとお優しくて、でもお仕事に一所懸命になるとあれこれがおろそかになってしまう不器用な方なんだろうと……。その考えは、間違っていなかったと思います」

「…………」


 ごし、とアストリッドは服の袖で目元を拭った。うっすら施していた化粧が袖についてしまった。


「私を『奇人』や『変人』と言った人は多かったけれど、『優しい』と言ってくれたのは君が初めてだよ……いや、他にもいた。私の父や母、それにお祖父ちゃんにお祖母ちゃんだ」


 立ち上がったアストリッドの目はまだ涙に濡れていたけれど、それでも気持ちは十分落ち着いたみたいだった。


「……ずっと考えていた。私はこの家から出るべきなんじゃないか、って。そうしないといつまでも独り立ちできないから。……メイドさん、おかげで決意がついたよ。私はこの家を——」

「ニナ、と申します」


 ニナは両手を前で重ねてしっかりと礼を取った。


「アストリッド様、ご決意のことですが……もし、このご自宅を手放すということでしたら、できればもう少しお待ちいただければと」

「? どういうことだい?」

「思い出は心に残っていても、それでも、物にも宿るとわたしは思うのです。そして一度物を手放してしまえば、取り戻すことはできません」

「だけど……」

「精霊の魔術……アストリッド様が完璧な理論だとお思いのものであれば、できればもう一度、今ここで試してみてはいただけませんでしょうか?」

「それは構わないけれど……なぜだい?」


 にこりと、ニナは微笑んだ。


「少し思いついたことがあります」

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