エピローグ 1/3
あれから——俺が正式にアドフロストを買収してから1年と少しが経った。
ああ、社名は変えて、「アドバーニング」になった。
「フロスト(霜)」の反対で「バーニング(燃焼)」とは短絡的ではあるけれど、わかりやすいので意外とみんな気に入っている。
予想に反してアドバーニングの赤字幅は
ていうか、会社を経営するってこんなに金かかるの?
あと新規事業に関する「広告宣伝費」が高すぎる……広告代理店は死ぬべき(盛大なブーメラン)。
美和ちゃんを契約者第1号とするマイナーWootuberのプロデュース事業は思いのほかうまく行っている。
これまでどおり美和ちゃんにはWootuberの仕事をしてもらいながら、彼女をより売り出すためのコンサル業務をアドバーニングが手がけている。
そもそも美和ちゃんは芸能事務所に所属しているので、うちの実入りは少ないものの、それでも美和ちゃんが「所属している」という事実がデカい。
それだけで多くのマイナーがうちに関心を寄せ、日々契約希望者からの連絡があり、すでに15件の新規契約者もいる。
「ね〜、月っち。ウチらダンジョンから戻ってきたばっかりなのに、これからメディアの取材対応とかスケジュールがキツ過ぎない?」
「言わんでよ。俺もそれに付き合ってるんだから立場同じじゃないか。美味い飯食わせるから」
「焼肉? いっちゃう、焼肉?」
「おいおい瑠璃ちゃん。また肉かよ。これで3週連続だぞ」
「美味い飯食わせるって言ったじゃん!」
「瑠璃、そんなにワガママばかり——」
「肉は良き」
「羽菜まで……」
俺たち——俺と、瑠璃ちゃん、鮎美ちゃん、羽菜ちゃんは、船橋ダンジョンを全力でダッシュしていた。
アドバーニング新規事業、契約者第2号「ルピナス」のメンバーたちだ。
42歳になったオジサンにとってはめちゃくちゃキツイのだが、それでもマイナーとして潜り続け、オフの日もフィットネスクラブでトレーニングを続けたおかげでなんとかついていけている。
「月っち、伏せて!」
「!?」
横から飛び出してきた野犬。
1頭くらいはたいしたことないのだが、船橋ダンジョンではこいつらは群れる。
たまにポメラニアンみたいなのも混じっているのが微笑ましい……と思っていると、口が耳まで割けるほどに凶暴なヤツである。
俺が伏せた上を野犬が飛んでいき、瑠璃ちゃんがアッパーカットで吹っ飛ばした。
野犬は天井にぶつかるや爆発四散し、そのまま灰になって消える。
続いて現れる野犬たちも鮎美ちゃんと羽菜ちゃんが、槍とナイフで仕留める。
「あとちょいで第1層だってのに、ここで襲ってくるんだもんな〜。月っち、運悪すぎない?」
「わかった。わかったから俺の上に座らんで」
伏せた勢いで前のめりに転んだ俺の背中に、瑠璃ちゃんの尻が載っていた。
役得?
魔結晶入りのリュックも背負っているんだから、ただひたすら重いだけなんだ……。
その日は徹夜でダンジョンに潜り、移転したばかりのアドバーニング本社に備え付けのシャワールームで汚れと汗を流してから執務開始だ。
「ルピナス」は若い女の子3人組、さらには美和ちゃんと違って「顔出し」もOKなのでメディアからの取材も多い。
「……私も顔出すかな? でもなあ、ダンジョンで絡まれんのマジ勘弁なんだよね」
社長室で報告書のチェックやメールの返信、予算承認などなど……とにかく会社の仕事に俺が振り回されていると、応接セットにくつろいでスマホをいじりながら美和ちゃんがぼやいた。
今のところ、収益配分において分配割合の低い美和ちゃんよりも、「ルピナス」のほうがアドバーニングにとって利益が大きい。
「ルピナス」の年収で見たら3人集まったって美和ちゃんにはまったくかなわないのだが。
「まあ、『ルピナス』はNEPTも目を付けてたのが大きいよな」
俺はメールの送信ボタンを押しながら言った。
世間体を気にするNEPTは広告塔になれる人材を探していた。
そこで、「ルピナス」だ。明るく、若くて、健康的。
ただ彼女たちはどこか危なっかしいし、いつマイナーを辞めてしまうかもわからない。
そんなとき、アドバーニングが「ルピナス」と契約し、彼女たちはマイナーで食っていくことになった——NEPTから、定期的に広報に関する出演依頼が舞い込んだのはすぐのことだ。
ちなみに先端研究所の研究員もよくインタビューを見に来るのだが、もはやそれは高濃度魔結晶の調査ではなく単に彼女たちのファンになってしまったらしい。NEPTには変わった人材が多い。
「う〜ん……深層に潜る意味もあんまりなくなったから、顔出ししていいかマネージャーに聞いてみるよ」
「え? 本気?」
「うん。だって、
言い方よ。
まあ、表だって「魔結晶」って言っちゃって、裏庭ダンジョンがバレても困るしな。
ちなみに一度、伊勢原署の若い刑事——前野刑事がうちに再訪してきてめっちゃびびった。しかもその日は美和ちゃんがダンジョンで魔結晶トリップをきめている日だったので、なおさらだった。
明らかに、俺を疑ってたね。
でも——禍転じて福となす、とでも言うべきか。
前野刑事は美和ちゃんのファンだったのだ。そして俺がアドバーニングで社長になり、美和ちゃんとともに経営をしていると——割とウソにならない程度に適当につじつまを合わせると——納得してくれた。
俺が、マイナー事業を始めるために自分でマイナーを経験しなければならないと感じ、マイナー登録をしたこと。
その行動を意気に感じた美和ちゃんがサポートすることを決めたこと。
まあ、そんな感じだ。
美和ちゃんが色紙にサインしてあげればそれだけでもうバッチリよ。前野刑事、声を聞いた瞬間「美和ちゃんですか……!?」って震えたほどの美和ちゃん好きだからな。しょうがない。みんな知らない彼女の素顔を知っているって、ファンにとってはめちゃくちゃうれしいことだろうし。
「そりゃまあ、ウチに来ればいつでもニオイは嗅げるだろうけども」
社内のシステムで予算承認ボタンをクリックして、ふと思い出す。
「そういや、美和ちゃん。俺第5層に行ったときに思ったんだけど……あんなとこ、どうやってソロで抜けるの? ソロで行くのめっちゃ不利じゃん」