お金を稼ぐことは大変だ
ずるい? 思っていなかった言葉を耳にして、俺は戸惑う。
「わたし、月野さんに会社を辞めろって言われてすごく心が揺れたんです。でもそんなふうに月野さんを頼ったら……これから先も、困難から逃げる人間になるんじゃないかって思って。そんな人間、月野さんは嫌いだろうと思って」
「い、いや、嫌いになるわけないじゃないか」
「ほんとうは頼りたかったのに、自分で戦うって決めて……それでも上手くいかないことがいっぱいで、毎日仕事に押しつぶされそうになりながら休みもなく仕事して、もうダメかもって思ったときに……月野さんがアドフロストを買収したって聞いて。だから……ワケがわからなくなって、月野さんからなにを言われるのかがわからなくて、怖くて、だから連絡を取りたくなくなっちゃって……ごめんなさい。それにさっきも、ツンケンした言い方して、全然かわいくないですよね、わたし……」
疲れ切ったように、自分を嘲るように、彼女は笑った。
俺もやきもきした。今日の話をするのだってめっちゃ緊張してた。
だけど俺なんかよりもずっと、松本さんは苦しんでいたし、長く悩んでいたんだ。
どん、と美和ちゃんが俺を肘で突いてくる。
なんか言え、ということなのだろうけど、俺はなにを言ったらいいのかがわからない。
自分の気の利かなさがほとほとイヤになる。
「……でもちょっとホッとしました。前から月野さんは頭がいい人だなって思ってましたけど、買収のことも、ちゃんといろいろ考えててくれたんですね。わたしが月野さんちまで押しかけて愚痴を言っちゃったから買収してくれたんじゃ……なんて一瞬でも思っちゃったけど、違うってわかって——」
「松本さんがいたから」
俺は思わずそう言っていた。
「……だから、買収しようって思った」
「え」
松本さんの目が丸くなる。
そして、彼女の顔が徐々に真っ赤になっていく。
「え……?」
あ、あれ?
俺もしかして、なんか告白したみたいになった?
「あ、いや、あのね!? なんていうか直接的な理由はそうだけど、きっかけというか、そもそも買収の金額は6千万円だけどそれは別にいいというか! 最初は10億円だったくらいだし! だからたいしたことはないっていうか——」
「10億円、払おうとしてくれたんですか!?」
ヤバイ、ダメだ。これは逆効果だ。
俺の頭がぐるぐるする。
助けて、美和ちゃん!
「……月野さんはたぶん死ぬほど不器用だけど、たぶん松本さんが考えてることで合ってるよ。
ちょ、美和ちゃんなに言ってんの!?
「ッ!? し、失礼します!」
松本さんは逃げるように走り、会議室を飛び出していった——その後ろ姿は、耳まで真っ赤だった。
「ちょっ、え、あの、美和ちゃん、え?」
「や。目の前であんなん見せられた私の身にもなってよ?『お前のために10億払うつもりだった』とか言われたらどう考えても告白だし。ていうかむしろそれ以上じゃない。プロポーズの100倍重いと思うんだけど」
おごごごご。
反論できないのがキツイ。
頭を抱えてしゃがみ込む俺に、美和ちゃんは言う。
「それじゃ仕事の打ち合わせしようよ。で、さっさと終わらせてダンジョン行こ」
「結局それかよ!」
ダンジョン、とはもちろん裏庭ダンジョンだ。
ここ2週間ほどはうちに来ていなかった美和ちゃんはメッセージアプリで毎日のように「嗅ぎたい」「刺激が足りん」「次回は鼻に詰めちゃうかも」とか送ってきたのである。
ていうか毎回鼻に詰めてるだろ。
「お疲れ様、
小太りな弁護士が俺に上着を返しながらにこやかに言った。
「……あんな感じでいいですか」
「ばっちりだよ。ぶっつけ本番の割にはよく話せたね。それは経営者ではなくプレゼンター向きの才能だけどな」
「…………」
ぶっつけ本番にしたのはアンタだろ。何人残ってるかわからなかったから原稿をあらかじめ考えることもできなかった。
いや、まぁ、びびって人数聞けなかった俺も悪いですけども……。
「でも気をつけなよ、月野さん。社長になって従業員に手を出したら、
「……それ、体験談ですか?」
俺の質問には、似合わないウインクだけして去って行った小太りな弁護士。
絶対体験談じゃん。
「ほら、行こうよ。ダンジョンが待ってる。月野さんが会社経営やるのはいいけど、マイナー活動もしっかり続けるんだよ」
美和ちゃんに腕を引っ張られる。
「うう……会社経営とか無理なんだけど」
「慣れるまでは死ぬ気でやることだね。マイナーは死ぬ気でやっても、死んだら元も子もないけどねえ」
「おかしい。俺は17億円手に入れてのんびり暮らせるはずだったのに」
「え? もっとお金欲しいんでしょ? そのために今回の新規事業を始めるって藤ノ宮から聞いたけど」
「それは……」
そうなのだ。
今回の新規事業で都合がいいことには、俺が美和ちゃんと接点を持っても不自然ではなくなるということ。さらに、美和ちゃんとの金のやりとりが多く発生することで、魔結晶の換金だってもっと回数を増やせるかもしれない。
「お金稼ぐのは大変だよねえ、月野さん?」
俺が美和ちゃんの年齢のときには、もっとふわふわした生き方をしてた。
でも、今はその「大変さ」に気づいてしまい——それが「楽しい」ということも知った。
目標を決めて、到達するために頭をひねる、行動する、勇気を持って飛び込むことのひとつひとつが楽しいのだ。
「……まあね」
会社を追い出されてからの1年で、俺の人生は変わった。
「だけど、チャレンジする価値はある」
俺はまだまだあきらめてない。
年収120億円への道を。