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未来と希望

(俺は……なにを言えばいいんだ?)


 松本さんは、彼女のために俺が買収したと思ったかもしれない。

 単に、今起きていることに頭がついていかずにテンパっているのかもしれない。

 俺からの連絡を受けてくれなかったのも……ただ忙しかっただけとかかもしれない。

 俺にはわからないのだ。

 だけど、彼女が今言ったことの意味はわかる。

 どうして俺が、一般人にとっては「大金」を投じたのか。

 俺が17億円持ってるとか、まだまだ裏庭ダンジョンには魔結晶があるとか、金に対する現実味がないとか、そんなことは彼女にとっては関係のないことだ。

 どうして金を出したのか。

 その答えは。

 口にすべき言葉は、ひとつだ。


「未来があるからだよ」


 俺が今日、ここで、しなきゃいけないこと。

 希望を持たせること。

 この先に「今よりもずっといい現在」が待っていること。

 働いていることに意味があることを——伝えるのだ。


「多くの人材が抜けたアドフロストだけど、それでもちゃんと仕事は回ってる。それはみんなが自分のなすべき仕事をわかって、きっちり働いているからだ。ここに残ったってことは少なからずアドフロストに対して愛着がある人なんだと思う……そして、それは松本さんや、みんなだけじゃなく、俺もそうだ。だから買収に手を挙げようと思った」


 いつしか俺の言葉は、いつもの話し言葉に戻っていた。


「俺は創業メンバーでもなければ、新卒で採用されたわけでもない。でも、それでも、働き盛りの30代をずっとここで過ごした。その会社が、親会社の都合で使い潰されるのはどうしても腹が立ったんだ。なら、ちょっとくらいあがいてみてもいいじゃないか。ていうか、ここにいるメンバーは全員、あがいてる真っ最中だろ」


 俺が言うと、松本さんは涙を拭いながら俺を見つめ、如月ちゃんはおろおろし、塚原さんは「ふうん」って顔だけど目だけは真剣で、営業の八木さんはふてぶてしく笑いながらうなずき、インフラチームの鈴木さんはうんうんと首を縦に振り……みんな、あがいてるんだと思った。

 やっぱり、そうなんだ。

 きつくて未来が見えない環境でも松本さんが「残る」と決めたこと。

 それは、ここにいる人たちを守りたいと思い、ここにいる人たちもまた松本さんを守りたいと思ったからだ。

 自らを「負けず嫌い」だと松本さんは言った。

 それは、そうかもしれない。

 でも「負けず嫌い」の裏には「仲間思い」という言葉があったんじゃないか。


「俺は……先に辞めることになって、次の人生に一歩踏み出したけど、それでもアドフロストのことを聞いたら穏やかな気持ちじゃいられなくなってさ。心がもやもやした。悩むくらいなら、俺もいっしょにあがきたいって思った。……松本さん、それじゃダメかな」

「…………」


 ハンカチで拭ったはずの松本さんの目から、また涙が出てくる。


「……そんなふうに言われて、断れるわけ、ないじゃないですか……わたしはずっと、月野さんに戻ってきて、欲しかったんですから……」

「ごめんね、遅くなって。でも戻ってきたから」


 うん、と松本さんがうなずくと、八木さんがにやにやしながら口笛を吹いた。

 止めて、八木さん。俺もちょっと恥ずかしくなってきたんだから。


「でもさ、月野社長(・・)。未来があるって言ってもこのままネットワーク広告がないアドフロストで広告代理店のまねごとしても、劣化広電堂どころか、そんじょそこらの代理店にも勝てないと思うよ。ウチ、KKありきの会社だから」


 塚原さんが冷徹に分析する。それはいいんだけど、「社長」と呼ばれるのはなんか……アレだ、背中がむずがゆい。


「わかっています。つまり、次の収益の柱にするべき事業をどうするかってことですね」

「そうそう。今からSWOT分析やって……なんてことはまさか言わないよね?」

「もちろんです。『未来がある』と言ったし、俺も投資する以上、ちゃんとアテはあります」


 ちらりと大会議室の入口にいまだ立っている、藤ノ宮弁護士を見た。

 彼は口の端を持ち上げてにやりとすると、親指を立てた。

 ナイスタイミングだ。


「紹介しましょう。どうぞ、お入りください」


 俺が言うと——その人は、会議室に入ってきた。


「やあやあ。こんにちは、皆さん」


 頭にはキャップを、その上から白のパーカーのフードをかぶっている。

 目元はいつものサングラスで覆っている——それは美和ちゃんだった。


「これからのアドフロストの柱にしたいと考えている新規事業——『ダンジョンマイナープロデュース』事業の契約者第1号。登録者数128万人のWootubeチャンネル『美和のダンジョンな日々』の美和ちゃんです」


 テレビやラジオなどのマスメディアには出ていないものの、Wootubeをちょっと見る人でも耳に挟んだことはあるという美和ちゃん。

 ここにいる人たちのうち、半数ほどは「おおっ」と声を上げた。


「ダンジョン内では電気製品が使えないために、ビデオ撮影ができません。そのため、マイナーとWootubeは相性が悪いと考えられていました。そんな常識を破ったのが美和ちゃんです。そしてダンジョンを最も理解しているのはマイナーであり、俺自身がマイナーになったことで、ダンジョンマイナーには可能性があると確信しました。マイナーたちがダンジョンへ潜るだけでなく、その他の部分をしっかりとサポートし、収益に変えていくのがこの新規事業です」

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