ベイビーフェイスの辣腕
その後の会議の空気はだいぶ変わった。
金村取締役を始め、役員のほとんどが退出したのも大きい——彼らは一度部屋を出されたあとに戻ってこなかったのだ。俺の相手なんてしたくないのだろう。
するとここぞとばかりに藤ノ宮弁護士は責め立てる。
この条件では話にならんと。
「KKアドシステムを残して角田社長だけ広電堂に帰る」
か、
「KKアドシステムを持っていく代わりに売却額を1円にする」
かだと迫る。
そうなると広電堂の事前のもくろみとは大きく変わってしまう。
角田社長は「それはすぐに返答できない」「広電堂と話したい」と汗をかきつつ逃げようとするので、その場で藤ノ宮弁護士は広電堂の常務取締役に電話を掛けた。
「ああ、どうも、代理人の藤ノ宮です。角田社長は広電堂の代表で今回の協議に参加しているはずですが、判断できないとおっしゃっています。なのであなたも
すると向こうであわてたような声が聞こえ、最後は電話を角田社長に代わり、角田社長は青い顔でうなずいた。
「どうでしたか?」
藤ノ宮弁護士は電話を受け取りながらたずねると、
「……すべてを私の責任において決めるようにと言われました」
角田社長は答えた。
あーあ、広電堂は全部の責任を角田社長に負わせる気だな。
「ふ、藤ノ宮さん、すまないが、広電堂からの転籍である金村と柳本に話をさせてもらえないか?」
「……いいでしょう。時間も時間ですし、10分間の休憩にしましょうか」
すると角田社長は役員会議室を飛び出していった。
角田社長はふたりを巻き込んで自分ひとりの責任にしないように立ち回ろうとしているのだろう。
でもそのふたりは転籍なんでしょ? 責任のとりようなんてないじゃないか。
「じゃあ、トイレ行ってきます」
俺はそう言うと、役員会議室を出た。
静まり返っているエントランス付近を通り抜けるとき、俺は自分の身体が強ばっているのを感じた。
緊張してたんだな。
まあ、するに決まってるよな。
トイレを済ませて帰ろうとすると——役員会議室の近くに、営業の木村がいるのを見つけた。
「……月野さん」
俺の記憶にある木村となにも変わらない。短髪を整髪料で固め、ストライプのワイシャツを着て、ごてっとした腕時計をしている。
……俺が追い出されたあの日、こいつは役員会議室でへらへらしていた。
あのときは腹が立ったし、なんなら一発殴りてえ、くらいな気持ちもあったけれど——今はそういうことはない。
不思議と落ち着いていた。
「い、いやー、なんなんすか月野さん。さっき金村さんがブチ切れてましたよ、月野さんに騙されたとかなんとか言って……なに言ったかわからないけど、謝ったほうがいいですよ」
「…………」
「ていうかその服どうしたんですか? めっちゃ金かかってそう。それに白髪も染めました? 若く見えますよ」
「…………」
俺は落ち着いている。
でも、木村となれ合う気もなければ、こいつになにかを話す気持ちもなかった。
無視して役員会議室に入ろうとすると、
「——ッ、ちょっ、なに調子に乗ってんすか! アンタなんて、ウチで10年仕事してもチーフ止まりで、そこにしがみついてただけのサラリーマンだろ!? なにしたか知らねえけど、汚い手ぇ使って復讐とか止めろよ! みっともねえ!」
「…………」
俺は木村を見た。
「なっ、なんだよ……」
復讐? 復讐か……そう見えるのか。
「お前のことなんてクソどうでもいい」
「——は?」
「ていうか、ここを辞めてからお前のことなんて思い出しもしなかった」
「え、でも」
「もう行っていいか? これでも忙しいんだ」
「————」
俺は、呆然とする木村を放置して役員会議室へと戻った。
あーあ、なんなんだアイツは。
俺は木村なんて本気でどうでもよくて、ただ松本さんたちの居場所を取り戻してあげようとしただけなんだよ。
会議室に戻ると小太りな男しか残っておらず、この頼りになる弁護士はノートパソコンに猛然となんらかのメールを書いていた。ちらっと見た感じでは英語。絶対アドフロストの案件じゃない。
「——月野さん」
「ん?」
隣に座ると、藤ノ宮弁護士が言った。
「この仕事、さっさと片づけて美味い寿司でも食いに行こうよ」
「…………」
なに? 俺への気遣いか、これ?
まさか今の俺と木村のやりとりが聞こえてたのかな。廊下の話し声、うっすら聞こえるしな。
「……いいですけど、藤ノ宮さんって血糖値とか大丈夫なんですか? 寿司って魚食べるけど米も多いから、量を食べたら太りますよ」
「…………」
画面から顔を上げて、こちらを見た藤ノ宮弁護士。
「え、なにその反応。そこは黙って『行くよ。ありがとう』とか言うところでしょ」
いや、意味がわからん。黙ってたら言えないし。
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