<< 前へ次へ >>  更新
44/53

経営陣との協議

 俺とほとんど接点のなかった角田社長は「あんな社員いたっけ。いたような……」みたいな感じだったけど、金村取締役は「売るの止めましょう」とか今さら言い出して社長に「黙れ」って言われ、顔を真っ赤にしていた。

 他の役員たちも、俺がどんな辞め方をしたのかはわかっていたようで、気まずそうに俺とは視線を合わせなかった。

 唯一、財務部長の下で働いている経理担当の女性社員は「なに? なんなの? 後で説明しろよな?」という感じで俺をじろじろ見てきた。社歴も長く、シングルマザーの塚原さんは強い。


(塚原さん……残っててくれてるんだな)


 会社がボロボロになってもまだ戦ってくれている塚原さんに感謝の気持ちが湧いてくる。


「では——買収条件について協議を続けたいと思います」


 会社売却の意志は固まっているので、あとは詳細の条件をどう詰めるかだ。

 ちなみに本来ならこの辺りは100%の株主である広電堂とすでに合意が取れていて、角田社長は広電堂に戻ることが決まっているので広電堂代表として細かい条件の話し合いをすることになっているのだ。


「アドフロストに出向中で広電堂に籍がある社員は全員戻ることで合意ができています。しかしそれは角田社長だけと聞いていますね」

「……ええ、そうです」

「え!? 社長、私は!?」


 金村取締役があわてて口を開いた。


「君は転籍だ。出向じゃない」

「あっ……。で、でもそれは、いずれ戻すからという話だったじゃないですか!」

「君がどういう約束をしていたのかは知らないぞ」

「話しましたよ!? 社長、まさか私をここで見捨てたりしないでしょうね? 月野は、きっと復讐のために買収の手を挙げたんですよ!」


 ごほん、と藤ノ宮弁護士が咳払いをした。


「そういうお話は、我々のいない場所でしてくれますか? あと月野代表を呼び捨てにしないでいただきたい。この会社に11億も払おうという方ですよ」

「そ、それがおかしいのだ。大体どうして月野が——」

「月野代表、です。あるいは『さん』をつける。ビジネスマナーもできていないんですか?」

「なっ、このっ……!」

「金村くん」


 角田社長ににらまれ、金村取締役は顔をますます赤くして歯ぎしりした。


「月野……さんが、どうして11億もの金を持っているのか……理解しがたい」


 ふー、と藤ノ宮弁護士はため息を吐いた。


「そんなことはどうでもいいのです。言う義理もない」

「なにっ!? それなら今のやりとりはなんだったんだ!」

「落ち着け、金村くん」


 角田社長だけは冷静だな。ああ……この人は広電堂に戻れるもんな。

 出向と転籍、これは似ているようで全然違う。

 出向は「いつか戻すぞ。あっちでいい経験をしてこい」という意味だし、転籍は「お前は向こうで骨を埋めろ」という意味だ。

 そんなこともわからないでアドフロストに来たのか、金村取締役は。いや、あるいはほんとうになにか口約束でもあったのかな。


「仮に買収が成立した場合は、広電堂に戻る角田社長は別として、残りの経営陣を残すこともできますし一新することもできます。もちろんこれは月野代表のご意向次第ですがね」


 藤ノ宮弁護士がちらりと俺を見る。

 それに応じて他の人たちも全員俺を見る。


「……KKアドシステムを抜いたアドフロストに残りたい経営メンバーなんていないでしょう?」


 俺が言うと、役員たちは石でも呑んだように固まった。

 それはそうだ。

 アドフロストの柱がネットワーク広告なのは当然で、それによって彼らの高い給料が支払われているのは誰しもが理解しているのだから。


「それでも残りたい方には働いていただきたいと思いますが、とはいえ報酬については大幅な減額が必要でしょう」

「なっ!? なんで、苦労する現場に残る我らがさらに減給までしなければならんのだ」

「金村取締役。KKアドシステムを抜いたアドフロストが営業利益を出せると思いますか」

「…………」


 思わないのかよ。そこは形だけでも「がんばればなんとか」とか言えよ。

 そんな会社を俺に買わせようとしてるんだぞ。


「特に意見がなければ——要りません。ここにいる役員の方々は全員。アドフロストが生まれ変わろうという場所に、今の待遇だけを求めて汲々としている者は必要ありません」


 俺は言い切った。

 すると、さすがにカチンときたのか数人が俺をにらみつけてくる。


「では月野代表のご意向も確認できましたし、これについては皆様も同意ということでいいのでしょうね?」


 これまで以上にニコニコして藤ノ宮弁護士が言う。

 ここでニコニコするあたり、この人もたいがい性格が悪い。


「ちょ、ちょっと待ってください。かといってここで放り出されて路頭に迷うのは……住宅ローンだってありますし……」


 役員のひとりが顔を青ざめさせながら言うが、


「話し合いたいならどうぞ。我々も話し合いが必要なので、席を外していただければ」


 藤ノ宮弁護士は言った。

 アドフロストの人たちはぞろぞろと出て行った。金村取締役はこれ見よがしに俺をにらみつけて。

 ていうかすごいなあ、藤ノ宮弁護士。

 効率で言えば俺たちが出て行ったほうが圧倒的に楽なのに、社長始め全員退室させるなんて。

 立場の違いってヤツだな……。


「月野さん、このペーパー見てね」


 藤ノ宮弁護士は俺に砕けた口調で言う。


「今の社員数は312人。出向が1人、転籍が20人だ」


 312人か……減ったなぁ。俺が辞めるときだって400人近くいたはずなのに。


「広電堂としてはKKアドシステム関連の営業部とシステム開発部を引き取りたいということだ」

「残りは何人くらいになりますか」

「200人ってとこだ。まあ、何人残りたいっていうかわからんけどね」


 すると会議室の外から誰かが怒鳴るような声が聞こえてきた。来客用の会議室でも使っているのかもしれないが、ここまで聞こえるとは。


「荒れてるねえ。あんなのが取締役で大丈夫なの?」

「いや……大丈夫じゃないからこうなってるわけで」

「ああ、そうだったそうだった」


 広電堂に依存しない体質であればもっと違った結果になっていた。

 だけど、転籍してきた金村取締役とかが好き勝手やったせいで、アドフロストはぼろぼろになった。

 藤ノ宮弁護士は外からの音など聞こえなかったかのように、淡々と、


「今まで売上情報開示しろって言ってたのになかなか出してこなくてさ。今日ようやくだよ」

「ほとんどKKアドシステムでしょう」

「そうなんだ。KKアドシステムの直接売上だけで全体の70%じゃん。残りの30%の売上で、まあ、年間1億5千万の営業利益が出ると『予想』されてはいるんだけど」


 その予想は、売主である広電堂だ。だけど俺にだってわかる。


「無理ですよ。KKアドシステムにくっついて依頼されている広告だってあるんですから。実際は売上がもっと減るし、200人もの社員を抱えたら確実に赤字になりますよ」


 売上比率だけでなく、利益率も高いネットワーク広告だ。つまるところいちばんいいところだけを持っていくから、負債は残すね、みたいなことを言っているのである。

 300人規模のオフィス家賃の負担も大きい。


「……ふーん、月野さん、結構数字わかるんだね。判断も早いし」

「え、いや、まあ……お客さんの予算に合わせた制作メニューとか考えてましたからね。成約率とあわせて、どれくらいで利益が出ますよとかのシミュレーションも」


 営業にやらされていたまである。


「いいじゃない。経営者には必須のスキルだよ」


 いや、経営者になりたいわけじゃないんだけどな……。

 でも買収して、役員が全員いなくなったら俺が経営者にならなきゃいけないんだよな……。


「アドフロストの去年の売上は80億。残るのは200人の社員と、売上が20億程度。こうして見るとひどいねえ、あっはっは」

「笑い事じゃないんですけど」

「……ふん、それで11億も吹っかけてきたのか。ナメられたもんだ。まあね、僕はこのベイビーフェイスだから初対面のビジネスパーソンからはよく侮られるんだけどさ」


 にやり、と藤ノ宮弁護士が悪い顔をしている。

 どこにベイビーフェイスがあるんだよ、という顔だ。


「……絶対許さん」


 それは——この人が俺の味方でほんとうによかったと思わせるほどの、凄みを含んだ声だった。

<< 前へ次へ >>目次  更新