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10億円の提案

「いや、おかしいでしょ。敵対した俺が有利になるような証言なんてするわけがない」

「弁護士の腕の見せ所さ。彼らが『殺人未遂』を主張するなら、こちらは『正当防衛』を主張して徹底的に争うと言ったんだよ。さらには君に有利な証言者もいるだろう?」

「! そうか、『ルピナス』!」

「賢い彼らはこちらの望み通りに証言してくれたよ。そして君が釈放された」


 青信号に変わってセダンが動き出す。


「まあ、彼らは彼らで、いろいろな嫌疑があったようでね……ダンジョン内で行方不明になったマイナーに関わっているんじゃないか、とか。どう思う?」

「……それは、ありそうですね」


 俺の右足はいまだにつま先が痛い。骨は折れていないようだけども。モンスター相手には使わないような戦闘術だというのにあいつらは熟練していた。


「治安本部は『人生バラ色』に目を付けていたみたいだよ。だから、君を即座に逮捕して保護した(・・・・)

「あれは保護だったんですか……」

「殺人未遂で起訴されて、逆に『人生バラ色』を叩いてほこりを出したかったんじゃないかな。僕も、君を釈放するのに働きかけたことで治安本部のお偉方からわざわざ電話をもらって文句言われたよ」


 加害者が一転して被害者になるケースを想定していたってことか。

 すごいな。


「あの、『ルピナス』の3人は大丈夫でしたか。もしかして、彼女たちの受けた被害は……」

「残念ながら、彼女たちの被害届は出していない。『人生バラ色』が訴えを取り下げる条件がそれだからね」

「…………」

「それについては『ルピナス』も納得しているから、心配しないで」

「…………」


 情けない。

 俺は結局また、瑠璃ちゃんに助けられたのか。


「僕も少し話したけど、『ルピナス』の3人はむしろ喜んでいたよ、月野さんが助かってさ」

「……瑠璃ちゃんたちは、強いですね」

「そうだね。オッサンになった僕らよりずっと強い。いやあ、若いっていいよね」


 アンタ俺より10歳くらい若いだろ。年の話は止めてくれよ……。

 俺はそっと、「人生バラ色」の達彦に毛を抜かれたあたりをさする。


「とはいえ『ルピナス』の安全も確保しなくちゃなので、僕も治安本部と話したんだ。そうしたら『人生バラ色』の入れるダンジョンが治安本部によって制限されるんだって。そうなればそこを避ければ『ルピナス』は安全だ」

「ダンジョンの外で会うと危ないかもしれない……」

「まあね。でもダンジョンを出たら、彼らもただの人だ」

「……はい」

「月野さん、どうした? そんなところまで君が負担に思うことじゃないだろう。『ルピナス』はそもそも『人生バラ色』に絡まれていたし、君が助けてあげたんだろ? むしろ感謝されるべきでは?」

「彼女たちも結構、自分たちでお金を稼ぐことに誇りを持っているみたいだったので……」


 すると呆れたように、ふー、と藤ノ宮弁護士はため息を吐いた。

 右折レーンに入って、セダンは信号待ちをする。


「君は17億円を手に入れた。ふつうに考えて、成功者じゃないか。こんなことで殺人未遂を犯したり、あるいはダンジョンで死んだら元も子もないと思うけど。死んだら金は使えないよ」

「…………」


 10歳近く年下に説教される俺。

 ド正論なんだよなあ……。

 この小太りな弁護士の言うとおり、17億円あれば遊んで暮らしたっていい。今さら命を懸ける意味なんてない。

 大体、金があっても使い道が思いつかないくらいなんだ。


(でも……他人にとってはなんの意味もない数字でも)


 年収120億円。

 それを目標に俺は行動した。会社を追われても、どん底に落ちることなく歩を進めることができたのは目標があったから。

 くだらない目標かもしれない。

 つまらない意地かもしれない。

 法律的にもグレー、というか、バレたら怒られるくらいじゃ済まないことを俺はやってるから、胸を張れるわけでもない。


(それでも、俺にとっては大切な目標なんだ)


 セダンが滑らかに動き出す。

 藤ノ宮弁護士は正面を見つめたまま言った。


「……まだ潜る気なんだね?」

「……ええ」


 きっと呆れていることだろう。たった3時間の労働で俺を留置場から解放できるような切れ者からすれば、俺のやっていることなんて理解できないに違いない。

 非合理の塊だ。


「それならダンジョンに潜る前に、お金を使ったら? 心残りになるよ」

「いや、まあ、そうかもしれませんけど……あんまり使うなって彼女(・・)にも言われてますし。税務署にバレたらヤバいんですよね?」

「まあヤバいけど、もう目を付けられてるとは思う」

「え!?」

「あれだけの巨額の送金は、銀行から足がつくからね」

「じゃ、じゃあどうしたら」


 俺の脳裏に、伊勢原の我が家に踏み込んで来る税務署員の姿が浮かぶ。

 きっと黒いスーツを着て全員サングラスを掛けているんだ。

 そして「財産を差し押さえる」って赤い札を家のあちこちに貼っていくのだろう。

 税務署怖い。


「……君は、『人生バラ色』とは戦うのに、税務署は怖いの? 面白いねえ」

「だって税務署ですよ」


 マルサだぞ、マルサ。俺の人生に無縁だったけど。なんか怖いじゃん。


「それなら、君の不安を和らげるために、もうひとつ策を弄そうか?」

「策?」

「そうさ」


 藤ノ宮弁護士はにやりと笑った。

 なかなかニヒルではある。

 この人、これで小太りじゃなかったらきっとモテただろうに——いや、儲かってるならそれだけでモテるのかもしれないが——今のところ、悪だくみしている資産家の二代目(ボンボン)って感じだ。

 そして彼はこう言った。


「時に、私の依頼人(マイ・クライアント)。10億円の買い物をしてみないか?」

「ん? 10億? 美術品とか、宝石とか?」


 不動産……いや、さすがにそれはないか。

 すると藤ノ宮弁護士の笑みはいっそう深まった——アクセルを踏み、ハンドルを切るとセダンは大きくカーブしていく。


「アドフロスト」

「……は?」

「10億で、君の古巣のアドフロストを買おう」

「え」


 えええええええええええええッ!?

 セダンの車内に俺の叫び声が響き渡った。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

10億円の買い物、どうするか。


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