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4層逃避行

「追え! 今逃がすとやべえぞ!」


 後ろで声が聞こえるが、すでに俺たちは4層へと上がる階段にたどり着いていた。

 なんだよ、アイツら。あんなバカデカい牛頭と馬頭を相手にしても余裕綽々って感じじゃないか。

 トップレベルのマイナーってすごいんだな……なおさら、その力をもっといいことに使えよって思うけど。


「急いで、月っち!」


 月っち? それって俺のことだよな、たぶん……。

 意識を取り戻した瑠璃ちゃんは俺より前を走っている。

 全力は出せないっぽいけど、それでも俺より速いとか。これが若さか。なんて思ったけど、彼女たちは彼女たちでマイナーとして経験を積んできている、あるいはちゃんとトレーニングしているからなんだろう。じゃなきゃ第5層なんて来ないわな。

 取り戻した散弾銃が重くて俺は走るのがキツイ。

 さらにはさっき踏まれた足がクソ痛い。


「げっ、達彦がもう来てんじゃん!」


 俺がひぃひぃ言いながら4層へと到達すると、あの俊足だった達彦は階段を爆速で上ってくるところだった。

 ヤバい。これだとすぐに追いつかれる。


「瑠璃ちゃんたちは早く上がって! 上に逃げて!」


 俺は瑠璃ちゃんを突き飛ばすように前へと押し出し、振り返る。

 達彦と目が合う。

 その距離は50メートル以上あったのに、みるみる近づいてくる。

 だけど——俺はあわてなかった。

 ポケットから取り出した弾を込める。

 どんなに彼が速くても——当てられる。

 散弾(・・)なら。


 ダーンッ。


 階段をジグザグに上るのはさすがにできなかったらしい。

 ならば、いい的だ。

 散弾をもろに食らった達彦は階下へと吹っ飛んでいく——。


「ふう……」


 当たった。

 完璧に当たった。

 今日の俺は当てられる男だ。


「つ、つ、つ、月っち……殺したの……?」


 離れたところにいる瑠璃ちゃんが、後じさりしながら聞いてくる。


「当てたよ。……だけど殺してない」

「——え?」

「彼ら、ボディに分厚い装甲を入れてるから、そこを狙ったんだ」


 さっきの戦いを見ていてわかった。

 生命線である胴体を守るために、かなりしっかりとしたプロテクターを付けている。

 それに散弾なら、飛び散るので1発ずつの殺傷能力は低い。仮にプロテクター以外に当たったとしても軽傷で済むだろう。


「急いで行って、瑠璃ちゃん」

「月っちは……?」

「足が痛い。すぐに追うから先に行ってくれ、頼む」


 彼女を促す。

 おずおずと、しかしうなずいた彼女が走り出す。

 その先には瑠璃ちゃんが来るのを待っていた仲間がふたり。


「さて……」


 振り返ると、階下では「人生バラ色」の声が聞こえてくる。

 達彦を心配したり、怒ったり、すぐに駈け上がってくるような気配もある。

 俺もまた、逃げ出した——だけど足が痛い。

 メチャクチャ痛い。

 これだと確実に追いつかれる。


「もう1発……」


 俺は散弾を込め直してもう1発撃った。「人生バラ色」の叫び声。だけど当ててない——当たらないよう、かなり遠いところを撃った。

 牛頭と馬頭には怯まない彼らも、銃は怖いらしい。


「…………」


 人を撃った——撃ってしまった。

 手が、震える。

 いくら緊急手段とはいえ、さらには、なるべく傷つけないやり方であったとはいえ、俺は撃ってしまった。

 やらなきゃ殺されていた。

 そう言い訳はできる。

 だけど、それで俺の心が羽根のように軽くなるわけじゃない。

 それでも——腹が据わるのを感じた。俺は、人間として踏み越えちゃいけない線から一歩を踏み出したのだ、という感覚。


「盾を出せ!」


 鉄片を担いでいた大男が、今度は大盾を取り出した。

 ライオットシールドと呼ばれる類のもので、機動隊が装備しているアレだ。

 ポリカーボネート製でこちらが見える。カーブがついているので弾丸を受け流すこともできる。

 1列になって階段を上がってくるあたり、シールドを使う戦い方も彼らは心得ている。

 そのスキルを、知識を、どうして正しいことに使わないのかな。

 いやほんとマジ。


 ダーンッ。


 1発撃つと、大男は足を止めた。

 俺も別に男を狙ってない。これはただの威嚇の1発。

 すでに俺は階段を離れている——クソ、多少は瑠璃ちゃんたちの距離は稼げただろうか?

 第4層から第1層まで戻るのに掛かる時間は、3時間。急げば1時間まで短縮できるだろうが、彼女たちにどれくらいの体力が残っているかはわからない。

 ここで数分の時間を稼いで意味があるのか?


「ああ、もう、わっかんねー! わかんねーよクソが!」


「人生バラ色」の連中は自分たちが追う立場であり、圧倒的に有利であることを理解している。

 ここで他の冒険者に会っても、「今日見たことは誰にも話すな」と恫喝すれば終わりだ。相模大野ダンジョンにいる冒険者にとって、彼ら以上の脅威はないのだから。

 彼らが大胆になってくれれば——それなら俺もつけいる隙があるのに。

 だけど、階段の頭にひょこっと飛び出たライオットシールド。

 そして注意深く様子をうかがいながら出てくる大男には油断がない。

 何度でも言うけど、そのスキルを、知識を、どうして正しいことに使わないのかな!?


 ——先に行ったっぽい。

 ——アイツ、足を引きずってたからすぐに追いつくはずだ。

 ——とりあえず3層目指そうぜ。


 彼らはぞろぞろと出てくると、すさまじい速さで走り出す。

 きっと、バラバラに走ればもっと速いのだが、フォーメーションを崩さず走るにはこの速度が最適だと判断しているのだろう。

 その速度ですら俺の全力疾走より速いのだが?


(あと100メートルってとこだ)


 そんなことを、俺は通路の曲がり角で息を潜めながら考えていた。

 この道は第3層に続く通路から、脇道に入ったところ。

 オイルランプの明かりを消して手鏡で彼らを確認していた。

 俺は10メートルほど離れ、息を殺す。

 そう——側道に入れば彼らだって俺を見つけることはできないだろう。

 脇道をひとつひとつ調べながら走っていけば、瑠璃ちゃんたちに逃げ切られることくらい「人生バラ色」だってわかっているはずだ。


(ここに隠れれば逃げ切れる可能性がある……)


「人生バラ色」だってそこまでヒマじゃない。俺が空腹に2日も耐えれば彼らだって補給に戻らなければならないはずだ。

 もし俺がなにか文句を言っても「知らぬ存ぜぬ」で通せてしまうのがダンジョンだし。


(だけど——瑠璃ちゃんたちは、向かってる)


 外へと。

 きっと、真っ直ぐに第1層へと向かっているはずだ。

 俺がひとりで彼らを食い止めていると信じて。

 俺がそう言ったからだ。


(……そんなら、俺だってやれることをやるしかない)


 何百、あるいは千発を超える弾丸を撃ってきた、中古の散弾銃を構える。

 すでに弾丸は込められてある。

 着弾よりも、殺傷力を重視したスラッグ弾が2発。

 ひとりでも傷つけられれば、彼らはここで足止めを食うことになるだろう。たぶん、数分どころか数十分は。

 それだけの余裕あれば「ルピナス」はダンジョンから脱出できる。


(あと10メートル)


 でも、俺は?

 瑠璃ちゃんが助けを呼んだとしても、助けが到着するまでに俺が生きている可能性は限りなく低い。

 ここは第4層で、一般マイナーもあまり来ない場所で。

 さらには彼らが「人生バラ色」だからだ。

 たかだかソロの新米マイナーを逃す程度の実力ではないことは、ほんの短い接点だけでわかった。


(来た)


 だけど後悔はしない。

 あそこでカッコつけたんだから、最後までカッコつけるしかないだろ。

 ライオットシールドを抱えた大男が先頭を走り抜ける。

 そのすぐ後ろに金髪。

 そこに数人がまとまって続く——今だ。


「!?」


 引き金に力を入れた瞬間、「人生バラ色」のひとりが俺を見た。


 ——見ィつけた。


 ここは暗闇だというのに。

 確実に目が合った。

 男の目が怪しげな赤色に輝いていることに意味があるのか——。


(クソッタレ!!!!)


 不安を押し殺し、俺は銃を、


「止めろ」


 だけどそのとき、斜め後ろからニュッと手が伸びてきて、散弾銃の銃身を下へと押してきた。


 ガァンッ。


 放たれた弾丸は地面を削って跳ね、壁に当たってさらに跳ね、誰にも当たらず「人生バラ色」の集団の頭上を飛んでいく。


「なっ……!?」


 暗闇を振り返った俺は、覆面にゴーグルを身につけた男の顔をそこに見た。

 思わず声を上げずにこらえた俺を誰か褒めて欲しい。

 男は分厚いグローブをして、防刃どころか弾丸だって余裕で防ぎそうなチョッキタイプのプロテクターを身につけていた。

 全身は暗い紺色。

 ヘルメットに書かれた文字は——NEPT Security(治安) Head()quarters()だ。


「げっ、治安本部!?」


 向こうでは「人生バラ色」のメンバーが驚いた声を上げている。

 彼らの持っているランプの光がなければ俺だってこの人を見ることはできなかっただろう。

 だというのにこの人は——暗闇を歩いてきて、俺の背後に立ち、散弾銃の銃身を押し込んだのだ。


「!!」


 俺の首筋に冷たい感触。

 それを刃であることを疑う余地はなかった。


「……銃から手を離せ。猟銃による殺人未遂の現行犯で逮捕する」


 そしてこの治安本部の人が、圧倒的実力者であることも——異能持ちであることも——疑いなかった。


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