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5層トラブル

 5層からは地形が変わることもあるとは知っていたけれど、こういう感じだとは思わなかった。

 通路を使って、なるべく1対1に持ち込むような戦い方はもはやできない。

 四方八方から敵がやってきたらソロじゃ対応できないだろう。

 ……美和ちゃん、マジでどうやってここを突破したんだ?


「5層から出てくるモンスターは、確か牛頭(ごず)馬頭(めず)だっけか……」


 地獄の獄卒、牛頭&馬頭。

 顔が牛で身体が人間の牛頭と、顔が馬の馬頭。

 ここが地獄の入口、というわけでもないだろうに。

 日本のダンジョンではこのモンスターが出てくるのは相模大野ダンジョン以外にもいくつかあったはずだ。

 猫の火車でもデカイなって思うのに、それ以上だとヤバいな。

 よくよく見てみるとこの第5層、これまでよりも倍くらい天井高いぞ……「ここ、デカいヤツ、います」って言われてる気がする。


「……帰ろ」


 牛頭と馬頭をひと目見ておこう、みたいな気持ちも湧かんわ。

 なんかイヤな汗が噴き出してくる……さっさと帰ろう。

 俺は回れ右して階段を上ろうとした——ときだった。


 ——離してよッ!!


 黒一色に塗り込められた闇の向こうから声が聞こえた。

 それはトラブルに違いないと感じさせるほどには切迫した声で、


「……今の」


 瑠璃ちゃんの声だ、とわかるほどには近かった。


(近い……100メートルくらいか? でも見えない。どこか壁でもあるのか)


 100メートル先、見晴らしがよければオイルランタンの光くらいは見えただろうけれど、ここはただひたすらに闇だ。どこかに壁があって、その先の通路でトラブルが起きているのだろう。

 たかだか100メートルでも、俺が行くには遠すぎる。

 無理だ。

 俺はなるべく早く、第4層に戻るべきだ。


「〜〜〜〜〜〜〜クソッ!!」


 だけど、俺は階段から離れて走り出していた。

 瑠璃ちゃんには恩がある。

 最初に魔結晶を換金してもらった恩だ。

 あれがあったおかげで、俺はNEPTのARCに目を付けられることもなかったし、今もってなお誰にもマークされていない。

 俺の平穏は、瑠璃ちゃんたち「ルピナス」と、美和ちゃんになすりつけて得られているのだ。

 美和ちゃんには手数料を支払ったけれど、それとてペーパーカンパニーの設立や、送金手数料、辣腕弁護士の紹介といったことを踏まえるとたいして彼女の手元には残らない。他の上位マイナーたちに警告されるといった迷惑を考えれば、安すぎる。

 ましてや瑠璃ちゃんたちはほぼなにも得られていないに等しい。


(ここで見捨てて逃げたら、人間としてクソ以下だよな……!)


 オイルランタンの明かりが壁に届いた。幸いモンスターの気配はなく、壁にぽかりと空いた通路はすぐに右に折れている。

 通路は広い。

 今までのよりもずっと。

 2車線の道路くらいある。

 いた——。

 50メートルくらい先に、数人の人影が、オイルランタンの光で浮かび上がっている。


「だ、からっ、離してよ! 痛い!」

「あのさぁ、瑠璃ちゃん。俺ら何度も言ったよね? 俺らのチームに入れって。紳士として言ったじゃん。何度も何度もさあ」

「断ったわよ!」

「このダンジョンだったら俺らの右に出るヤツらなんていないんだから、俺らのチームに入ればそっちだって儲かるし、Win-Winじゃん。違う?」

「なにが紳士だよ、笑わせんな。アンタら、ダンジョン潜ってるときにヤリたいだけだろ。アンタらの粗チンならコンニャクでも持ち込みゃいいだろーが」

「このガキッ……!」

「ぎゃっ!?」


 襟首をつかまれていた瑠璃ちゃんが、ぶん投げられ、通路の壁に激突する。


「瑠璃!」

「!!」

「動くな」


 リーダーの鮎美ちゃんと、無口の羽菜ちゃんは男たちによって羽交い締めされている。

 ずるりと壁をずり落ちた瑠璃ちゃんが動かない。

 その前へとやってきた男が、しゃがんで言う。


「俺らの女になれ。いいな」

「…………」

「これが最後だ。何度も何度も何度も何度も声を掛けたのにお前が無視するから痛い目見ることになんだよ。何度も何度も何度も何度も何度も何度も紳士にオファーしたのに蹴ったお前が悪いよな? 俺は優しいから何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もお願いしたのにな?」

「……ペッ」


 瑠璃ちゃんの吐き出したツバが、男の頬にべちょりとつく。


「てめえええええええええええええ!」


 男が足を振り上げた——とき、俺は散弾銃にスラッグ弾を装填し、構えた。


「止めろ!! 撃つぞ!!」


 足を上げた状態で、ぴたりと止まった男はぎくりとしてこちらを見て、それから、


「……ビビらせやがって。瑠璃ちゃんにまとわりついてたオッサンじゃねえか」

「月野さん!?」


 鮎美ちゃんが俺に気づいて声を上げる。

 ああ、やっぱりか。

「ルピナス」に絡んでいるのは「人生バラ色」の連中だ。

 ダンジョンを出たロビーでは相手にされなかった彼らは、ダンジョン内で彼女たちにアプローチしたのだ。

 それも、一般マイナーが来ない深層までやってきて。

 ……いや、「ルピナス」が5層にいるのも驚きではあるんだが。


「オッサン、俺らが誰かわかってんだろ? だからビビって距離を空けてる……ソロのオッサンじゃ相手になんねえよ」

「離れろ。さもなければ撃つ」

「『さもなければ撃つ』」


 金髪の男がおどけて俺の真似をすると、チームメンバーがゲラゲラ笑い出した。


「あのなあ、オッサン。俺らはプロのマイナーなんだ。その距離で散弾銃を撃っても当たらないってことくらい——」


 ダーンッ。

 銃口が一瞬光ったが、その直後、スラッグ弾は「人生バラ色」のひとりが持っているオイルランタンを破壊した。


「うわっちぃ!」

「撃ちやがった!?」

「当てたぞ、しかも」


 ランタンから漏れたオイルに引火して、小さな炎が上がる。

 彼らは少しの間、混乱していたのでその隙に弾丸を1発抜いて込め直す。


(当たる……この距離でも、狙いはほぼ正確に当てられる)


 今日は調子がいいと思っていたけれど、ここまでとは。


「オッサン!! ダンジョン内でマイナーに向かって発砲したらどうなるかわかってんだろーな!?」

「それを言うなら、未成年相手に手を上げたお前たちがどうなるか、わかってるんだろうな?」

「……クソが」


 彼らは、ダンジョン内で既成事実(・・・・)を作ってしまおうという腹づもりだったのか、あるいは圧倒的な実力差を見せて脅しつけるつもりだったのか。

 どちらかはわからないが、どちらにしてもゲス極まりない。


「彼女たちを離せ」

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