彼女の決意
松本さんが美和ちゃんを推測すると、その美和ちゃんは、
「顔出ししてないから私の顔を知らないのは当然よ。でも私の名前は知ってるの? ありがとー」
「どうして月野さんが『ちゃん』付けで親しげに呼ぶんです!?」
「あー、そこが気になるのかー。——サンクス」
美和ちゃんはマイペースに、俺が手渡したミネラルウォーターを飲み出した。
「ええと……美和ちゃんはビジネスパートナーなんだ」
そうとしか言いようがない。
「だね。間違いないよ」
「じゃ、じゃあ……月野さんもWootuberになるんですか!?」
どうしてそっちに発想が行くかな。
「絶対有名になっちゃうじゃないですか! ダメです、そんなの!」
「ならないよ。あ、これは二重の意味ね。Wootuberにもならないし、なったとしても有名にはならない。こんな冴えないオッサン……」
「冴えなくなんてないです! 月野さんがいたからアドフロストの制作部隊は
また松本さんの目尻に涙が浮かぶ。
ああ、そうだった。今、松本さんは情緒が不安定だったんだ……。
するとちらりと美和ちゃんがこっちを見てくる。
(大丈夫? この人)
と聞いてるようにも見えるし、
(私、早く魔結晶のニオイ嗅ぎたい)
と言っているようにも見える。たぶん両方……いや、鼻がひくひくしてるからニオイのほうかな。
「とりあえず、松本さんさ。会社のことは投げ出しちゃって大丈夫だから。俺がなんとかするから……」
「でも、そんな無責任なことできません——あっ、月野さんが無責任だって言ってるわけじゃなくて」
「わかってる。平気だから、俺のことは。いや、まあ、俺は俺で無責任ではあったんだけど——」
「そんなことないです。月野さんはすごくしっかりしていて——」
俺と松本さんがやいのやいのやりだしたときだった。
「ん? アドフロスト?」
不意に美和ちゃんが声を上げた。
「もしかして、広電堂の子会社の?」
「うん、そうだけど」
「ふむ……」
美和ちゃんはミネラルウォーターを飲みながら考えるようにする。
「……あのさ、聞きかじりだからちょっと確認したいんだけど、月野さんはアドフロストを退職してる。松本さん? だっけ? あなたはまだ現職。で、アドフロストは状況がヤバイ……だよね?」
「合ってるよ。だけど、それがなにか?」
「うーん……私、広電堂の偉い人と個人的に仲がいいんだよね。所属事務所の社長が、確か大学の同期とかで。それで飲み会のときに耳に挟んだことがあったんだけど——広電堂はアドフロストを切り離すつもりだって。『フロストとか、広告代理店にしては面白い名前だな』って思ったからたぶん記憶違いじゃない」
「…………」
それは、恐れていた事実だ。
というか順当に考えればそれくらいは思いつくことだ。
ネット広告業界は激戦地で、少しでもいろんな提案ができるように、ネットだけじゃなくリアル広告の分野にまでアドフロストは手を伸ばしている。
広電堂と競合し始めたのは、むしろアドフロストのほうが先なのだ。
そんな
そして広電堂が、アドフロストの真似をしようと思えば、時間を掛ければキャッチアップできるだろうことも明らかだった。
まあ、アドフロストのほうが給料が圧倒的に安いので、広電堂がやったら利益が出ないかもしれないけどな。
「……で、でも、角田社長が抵抗しますよね。簡単につぶさせないって」
アドフロストの角田社長は、今の広電堂の社長と同期入社で、アドフロストに出向している形だ。
広電堂の社内ベンチャー的に立ち上げたらしい。
「いや、角田社長が広電堂に戻れば——たとえば役員待遇とかで戻ることになるなら、角田社長だってやぶさかじゃないだろうね」
「そんな……」
「出向組の金村取締役とかも向こうにまだ籍があるし」
そうか……この混乱も、アドフロストを後腐れなくつぶすためなんだとしたら、わかる。
現場を混乱させて、人が辞めるように仕向ける。クライアントを失うように仕向ける。
そうすることで会社を整理するときの負担を減らしているのだ。
会社都合で辞めさせるなら、親会社が責任持って残った社員をどうにかしなくちゃいけない。
なまじ売上や利益があると現場の社員は抵抗するし、希望を見いだしてしまう——。
……こんなこと、今がんばってる松本さんには言えないけど。
「松本さん。やっぱり、早めに辞めたほうがいいよ。上が会社をつぶそうとしているのに、残っても松本さんが傷つくだけだよ」
「…………」
改めて俺は退職を勧めたけれど、松本さんは首を横に振った。
「……ごめんなさい、月野さん。わたし、なおさら引けなくなりました。月野さんから誘っていただいたせっかくのことなのに……ほんと、もったいないこと言ってますよね」
「…………」
「あはは。わたし、思っていた以上に、負けず嫌いみたいです。——今日はありがとうございました。さっきからずっとスマホが鳴ってるし、仕事が待ってるみたいなので行きますね」
するりと俺の横を抜けると、松本さんは去って行った。
俺は彼女を止めなきゃいけないのだろう。
だけど、なんて言っていいのかわからなかった。
「……フラれたね。泣きたいときは泣いてもいいよ」
美和ちゃんが余計なことを言った。
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