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査定結果

 スマホを見ると、ちょうど2時になったところだった。

 相模大野ダンジョンの駐車場はすでにがらんとしており、残っている車は3台程度だ。

 明日——じゃない、今日の朝9時からNEPTの一斉点検だから、みんな帰るのは当然だよな。

 エンジンの掛かった軽トラの車内には、エアコンが効いている。

 俺はブラックの缶コーヒーをちびりと飲みながら、身体の芯にある疲労を感じていた。


「遅い……」


 美和ちゃんに換金をお願いし、俺は先にダンジョンを出た。美和ちゃんはその30分後に出ることとし、俺は一足先に駐車場にやってきたというわけだ。


(もう1時間経ってるぞ)

(査定にそんな時間掛かるか?)

(まさか持ち逃げされた?)

(いや、彼女は俺と違って身元がバレてる。逃げるわけがない)

(金額が金額なら逃げるんじゃ……)

(ていうかいくらだったんだ)

(美和ちゃんを信じるしかない)


 頭は興奮しているのに、身体が休息を求めて眠気が湧いてくる。

 俺はコーヒーをもう一度飲んで無理やり眠気を押さえ込む。

 そわそわするのが、査定額への期待なのか、筋肉疲労なのか、美和ちゃんが出てこないことへの不安なのか、単純に尿意なのかもわからなくなってきた。


「あ……」


 すると駐車場の入口に、眼鏡を掛けた黒髪ロングの女性が現れる。

 Tシャツにスキニージーンズという姿は、どこか垢抜けている。俺が同じ格好しても絶対そうはならないだろうと思うのは、彼女とのスタイルの差か、年齢か、それとも服が高級だからか。


「お待たせ。——ほんとに軽トラなんだね」


 美和ちゃんは助手席のドアを開けて入ってくる。

 おお、涼しい——なんて言いながら。

 まだまだ夜はじっとり暑い日もあるからな。


「まあ。畑仕事とかしてるしね、ふだん」


 そわそわを隠すように必要以上にぶっきらぼうに俺は言った。

 ほら見ろ。美和ちゃんが逃げるわけないんだ。


(よくよく考えればこの軽トラの助手席に人を乗せたのなんて初めてだ)


 そう思うと、彼女が漂わせている甘い香水の香りが——急に意識されてドキドキする。

 俺のそんな思いはどこへやら、美和ちゃんは小脇に抱えていたハンドバッグから小さな紙を取り出した。


「いやー、めっちゃ時間掛かったよ。さすがにあの金額は相模大野ダンジョンだと初めて(・・・)らしくて、その金額を払っていいかどうかの上司の決裁が必要だから待ってくれ、だって。夜中に電話掛けたけどなかなか出なくてさー。で、これが暫定的な査定額」


 差し出された、プリント紙。

 断言する。

 俺は今までの人生でいちばん、緊張している。

 心臓の高鳴りが激しすぎて美和ちゃんにまで聞こえているんじゃないかって気がするくらいだ。

 確実に言えることはその紙を受け取る俺の指先は震えていた。


「いち、じゅう、ひゃく……」


 NEPTの査定額を印字したその紙は、証明書的なものなのか担当者のハンコとNEPTの社印が()されてあった。

 このデジタルの世の中でハンコ使ってんのかよ。

 いやまあ、ダンジョン内じゃ電気使えないけど。

 俺は桁数を数えているのだけど、なんだかよくわからない。

 とにかくすごく多い。

 3桁ごとのカンマって、西洋式の数え方だよな。なんで日本は独自に4桁でカンマを入れてくれないんだ?


「18億、9千2百5万、7千6百95円……」

「うん。およそ20億だね」


 さらりと言われた20億という数字。

 ああ、やばい。酒を飲んでないのにすさまじく酔っ払ったような感じがする。

 現実感がない。紙を手にしている指先の感触がない。

 20億が俺の金? ああ、いや、美和ちゃんに1割渡すから、減るのは1億8千9百で、手持ちが17億……。


「おめでとう、月野さん。あなたはマイナーとして大成功したね」


 混乱する俺の頭だったけれど、美和ちゃんのその言葉だけはスッと入ってきた。


「入金したら連絡するから。あとでメール送っておいて」


 渡された名刺には、星影美和という名前が書いてあった。

 美和ちゃん、本名だったのか。


「…………」


 俺はそれからどれくらいそうしていたのだろう。

 気づけば美和ちゃんはいなくなっていて、ほのかな香りだけが残っていて。


 ——おめでとう。


 彼女の祝福の言葉が頭から離れない。


「……うっ」


 アゴがこそばゆく感じられて、触れると、そこは濡れていた。

 ぽたりぽたりと流れ落ちる涙が、俺のシャツを濡らし、ジーンズの股間あたりを濡らす。


「ううっ」


 マイナーに人生を懸けようと決めたのは、10か月くらい前だ。

 ダンジョンに打ち込んだのはつまりそれくらいの期間でしかない。

 だけど——俺は、俺の人生は、あまりパッとしないもので。

 アドフロストで精神を磨り減らすような毎日を送ることになる前だって、そんなにろくなもんじゃなかった。

 もうちょっとだけ幸運があれば、俺はとっくに結婚して、マンションでも買っていたかもしれない。

 子どもがいるとか、あるいは犬でも飼っていたか。

 そんな幸せを手に入れられなかった俺は、10年以上働いた会社を辞めさせられた。


「うううううう〜〜……」


 情けないくらい涙が止まらなかった。

 ついに俺にも運が回ってきたんだ。

 今くらい、泣いたっていいだろ。

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