ビールに悪気はない
「俺だって好きで同じスーツを着てたわけじゃないんだよ……ただ貯金しようかな、って思うと、会社に着ていく服に金なんて掛けられなかっただけでさ」
プシュッ、と缶ビールを開けるとぐびぐびっと飲み干した。美味い。一番●りだけは俺を裏切らないよね……。
ちなみにこれは2本目だ。さらに言うといつもと違う500ミリ缶だ。大盤振る舞いである。なんせ俺は年収120億の男だからな!
「……2億3千万と120億じゃ、比較にならないよな」
今まで物欲に囚われたことなんてなかったのだけど、実際、目の前に金がぶら下がると考え方って変わるもんなんだな。
今日買ったのは缶ビールだけじゃない。
引っ越してきたばかりでまだまだ違和感のある我が家の、リビングのテーブルにどんと置かれた——ぴかぴかのツルハシ、鉈、ハンマー、それに道具を吊しておけるツールベルト。あとは、オイルランタン。
「行くべきか、行かざるべきか、それが肝心だ」
ダンジョンにはモンスターがいる……んだよな。
俺にその確証がないのは、ダンジョン内では動画撮影などができなくて、他のダンジョンの様子がわからないのである。
実はこのダンジョン、内部では電気製品がことごとく使えないのである。
「……もしかしたら、ダンジョンじゃないかもしれない。だけどダンジョンだったら困るから、やっぱり確認も必要だよな? そう思うだろ?」
誰に聞いてんだよって感じだけど、そういうふうに自分で確認しないと不安になる。
俺はダンジョンを発見したつもりだったけど、実はただの穴だったら? 第2次大戦時の防空壕だったら? 確認してみないと、大金も絵に描いた餅だ。
「いよしっ、思い立ったが吉日、行ってみようか」
立ち上がると、意外と酔いが回っていたのか足元がふらりとした。
危なっ。
やっぱ明日にするか?
ダンジョンを見つけてハッピーになった昨日。
ダンジョンを調べて浮かれた日中。
夜になると現実が見えて不安になってきた。
「……明日にしたらまた決意が鈍るよな」
俺の性格から言って、明日になれば「目の前の金」欲しさに、国にダンジョンを
誰にも邪魔されないダンジョンがあるなんて、人生にもう二度とないことだ。
とりあえずは——これが本物のダンジョンなのか確認してみよう。
この家に続く道はどん詰まり、隣の家まで100メートル以上離れているので、夜更けになると真っ暗も真っ暗だ。
オイルランタンに火を点して裏庭に降り立つと、風が吹いて軽く身震いする。ジャンパーだけだともう寒い頃合いだな……。
買ったばかりのツールベルトを腰に巻いて、カナヅチを差し、鉈の鞘を取り付ける。右手にツルハシを担ぎ、左手にオイルランタン。
墓荒らしかな?
「お〜……暗いな」
ダンジョンの入口前に立った。
オイルランタンの明かりは心許ないが、電気製品は効かないらしいので仕方ない。大体、中をちょっと確認するだけなんだから問題ないだろう。
「実際行くとなると……ちょっと緊張するな」
いやまあ、真夜中にひとりで地下の穴に入る時点で怖いに決まってるんだけど。
ふつうにびびるわ。
ダンジョンじゃなくて骨壺とか置かれてあったら気を失う自信があるぞ。
だけど、そこでじっと突っ立ってるわけにもいかないので、1歩、段差を下りた。
2歩。
3歩。
4歩。
「…………!」
腰まで身体が地中に入ったところで俺は気がついた。
なんか空気が違う。
最初は穴だから、風が吹いてないせいかなと思ったけど、明らかに違う感じがする。
密度が濃いというか……気温まで高いぞ。
「すぅ、はぁ……すぅ、はぁ……すぅ——げほげほっ、がはっ!?」
身体が完全に地面に入り込んだところで、思わず咳き込んだ。
ガスか!? っていうくらい空気が濃いのだ。
だけど、ニオイは変じゃないし、他に苦しいところもない。
「び、びびった……」
このまま回れ右して逃げようかと一瞬考えちゃったけど、そんなことしても意味がないので階段を下りていく。
長いな……。
段差は俺の足にちょうどいい感じだ。
階段そのものは石材でできているのか、キレイにカットされ、段差も均一だ。
か細い明かりで見ると、横幅は1メートルくらいしかなくて人がひとりしか通れない。
壁面は、最初こそ土がくりぬかれた感じだったのに、今はつるりとした灰色になっている。
天井は手を伸ばしても届かないし、ジャンプしても届かなさそう。結構高い——っていうかそれくらい深くまで下りてきたってことだよな。
「……階段、終わりか」
目の前には1本の道が伸びている。道幅は広がり、6メートルほどだ。
「完璧だな……」
完璧なまでに、一致している。
ダンジョンの特徴と。
「ここは、ダンジョンなんだ」
誰にも発見されていなかったダンジョンなのだ。
ようやく実感した。
初回発見ボーナス! みたいなアナウンスが聞こえたらもっと実感するだろうけど、びびって逃げる。
「……せっかくここまで来たんだから、魔結晶のひとつも見てみたいよな? な?」
相変わらず誰に言ってんだって感じだけど、そう口に出さないと怖い。暗いところ怖い。
俺はオイルランタンを前方に掲げた。
風も吹かず、気温は20度くらいはあるだろうか。ジャンパーなんて着てたら暑いから、入口に脱いで置いておこう。
灰色の壁や天井、床には無数の小さな植物が生えているらしく、二酸化炭素を吸収し、酸素を吐き出すらしい。二酸化炭素や明かりがないときには仮死状態になるという特別な生き物なんだとか。
電気製品が使えなくなる理由や、モンスターが何物なのかについてはまだまだ未解明だ。
「モンスターがいきなり音もなく湧いたりしないよな……?」
100メートルくらい進んで変化がなければ引き返そう。
なぜなら怖いからだ。
今すでに俺の心臓はめっちゃバクバクいってるからね。アルコールのせいだけじゃない。
「お……?」
すると左手の壁が切れているのを発見した。人ひとり通れるくらいの隙間があって、そこには空間が広がっている。
「陰から『ワッ!』とか言って脅かしたりしないよな? ないよな? 絶対そういうの止めてよ?」
俺はそう言いながら恐る恐るオイルランタンを中にかざす——あっ。
「あった……」
そこは、小部屋だ。
10メートル四方くらいの小部屋だ。
「あった」
中央にこんもりと、紫色の光を放つ物体が——小山が、あった。
「あったあああああああ!? 魔結晶、魔結晶、魔結晶だよねえ!?」
俺は部屋に飛び込み、俺の背の高さほどはある小山の一部——ピンポン球ほどの大きさの魔結晶を手に取った。
質感は水晶に似ているけれど、面が六角形で構成されている球に近いごろんとしたものだ。
ずっしりと重くて、怪しげな光を放っている。
見ていると吸い込まれそうな——。
「これ、放射能とか出てないよな……?」
そっとその場に魔結晶を置いて、部屋を離脱。一応調べておこうと思ってポケットからスマホを取り出した。
「あ」
画面は真っ黒でボタンを押してもまったく動かない。
そうじゃん。
電気製品ダメじゃん。
「……とりあえずいくつか持って帰ってみるか」
で、これが本物かどうかの確認は——。
「売ってみるしかないな」
そうしてみて初めて、ここがダンジョンなのかどうかわかる。
必要な検証作業なのだ。
けして、お金が欲しいとかそういうわけではない。けして。