松本さんとの話
「会社にはね、愛着ないよ。俺の愛着は、いっしょに働いてた人たちだから。松本さんとか」
「わ、わたしですか!?」
背筋を伸ばした松本さんは、あわてたように両手をグーにしたりパーにしたりしている。
……俺の言い方、キモかったか? キモイよな。「お前に愛着がある」だぜ? キモすぎるよな? う゛ぉおえっ。やべえ自分で引いた。
「あの、誤解を招いたら申し訳ないんだけど、あくまでも『同僚として』仕事をしていて楽しかったなと。その、俺の勘違いかもしれないし、気を悪くしたらごめんだけど、松本さんとは仕事がしやすかったので……」
言い訳がましく言う俺がまたまたキモイ。
「あ、そういう……『同僚として』ですか。そうですよね……」
松本さんがホッと——ホッとしてるんだよな? なんか、残念がってるように見えるんだけど、そんなわけあるはずがないし。
「ええと、まあ、俺はもう会社に戻れないし、戻らない。今が充実しているから大丈夫」
「…………」
うわあ、疑わしい目!
そりゃね。軽トラ乗って、ヒマで、畑やってるみたいに言われたら、「こいつ大丈夫か?」ってなるよね。
「あの、こちらは月野さんのご実家とかなんでしょうか?」
「違うよ」
俺は、40まで独身だったら買おうと思っていたことなどを話した。
「親父は結構早くにガンで死んでさ、母親も3年前、心臓麻痺でぽっくり」
「あ……そう言えば、お葬式でしばらく会社を休んでましたね」
「うん。実家は俺の兄がそのまま住んでるよ。兄貴は子ども4人もいるから、死ぬ前に孫の顔を見せたどころか、孫に囲まれて暮らしてた。おかげで俺が40まで焦りもせずぶらぶらしてしまったわけだけど」
「月野さんは、寂しいとか思わないんですか……?」
寂しくないかと言われれば、寂しさは確かにあるかもしれない。
でもそれは会社に通っていても感じていたことだ。
ひとり暮らしでインフルエンザに罹ったりすると、マジで俺はこのまま死ぬのかなとか高熱にうなされながら思った。
「……まあ寂しくないと言えばウソになるな。そのうち犬でも飼うかも」
「たとえば、ですけど、同僚——友だちが近くに住んでいたりしたら寂しさは紛れますか?」
「そりゃ紛れるんじゃないかな。この辺には友だち全然いないし」
会社でバリバリ働く……というか、馬車馬のように働いていると、友だちがどんどん減っていく。学生時代からの付き合いがあるヤツらとも疎遠になり、稀にLINEでやりとりしても「今度のみに行こうぜ」「いいねー」という内容で止まり、それが1年前だったりする。今度っていつだよ。来世かな?
会社を辞めてみると、ふだん、自分が会話をしていたのは会社の人間とだけだったんだなって思えるのだ。
「そうですか。そうですよね。……伊勢原って、意外と新宿には通いやすいんですね」
「うん。ここは駅から遠いけど、駅の近くだったらなおさらそうだろうとは思ってたよ。まあ、ここからアドフロストに通っていた期間は短かったけど」
「なるほど……わかりました。ありがとうございます」
「? どういたしまして? え、なにが『ありがとう』?」
「いえ、なんでもないです」
俺はよくわからなかったが、松本さんがニコニコしているからそれはそれでいいだろう。
「わたし、少しホッとしたところがあるんです」
すると松本さんはそんなことを言い出した。
「月野さん、会社にいたときより元気そうですし、それになんか……若返ったようにも見えます」
「ああ、ノンストレスだからかなぁ」
「そう……ですか? それだけですかね?」
「そうだよ。今は、制作物の納品日を気にすることも、営業の指示待ちで無駄に終電近くまで残ることも、クライアントからの叱責の電話を受けることもないし……」
「……わたし、今それを月野さんのぶんまで全部引き受けてるんですけど」
やべえ、そうだった。
「ごめん、ほんと。松本さんに全部押しつけてしまったことだけは本気で悔やんでる」
「あははは。冗談です。月野さんが残してくださった引き継ぎ資料、すごくよくできてたから、問題なく仕事は回りましたし」
「いやいや。そんなこと……」
たかが一晩でまとめた引き継ぎ資料だ。さほど出来がいいわけもない。
もし問題がなかったのなら松本さんが優秀で、さらには俺なんぞいなくとも会社はもともと回る状態だっただけだ。
言わないけどね。
みじめな感じがして、自己嫌悪が深まるから。
「? どうしました、月野さん。あ、今の言葉がお世辞だと思ってるんでしょう?」
「いやー……ははは」
「誤魔化すときになにか飲む癖、変わってないですね」
「え!?」
コーヒーを持っているマグカップを落としそうになった。
そんな癖があったのか、俺。全然知らなかったわ。
「よく見てるね、松本さん……」
「月野さんもわたしのことよく見てくださってたんだなって思いましたよ、引き継ぎ資料を見て。わたしの知らないところが重点的に書かれてましたから。ほんと、びっくりしました」
「いや、まあ、部下をよく見るくらいしないと、『管理』職の名が泣くでしょ」
「……引き継ぎ資料に目を通して、思わず泣いちゃいました」
「え」
「あ、泣いたのは家に帰ってからですよ? 会社で泣いたりしてませんよ」
よかった、資料がキモ過ぎて泣かれたのかと思った。いや、キモ過ぎた可能性についてはまだ否定されていなかった。全然よくなかった。
「きっと、いきなり月野さんが辞めたって聞いて情緒不安定だったんです。すみません、変なこと言って」
あわてて取り消すようにそう言った松本さんは、
「そうだ……わたし、確かに月野さんに謝りたかったんですが、それだけでなくなにかできることはありませんか?」
「できること、って?」
「謝って自己満足するためだけに月野さんに会いに来たんじゃないんだなって思えたんです。確かに月野さんに『会社に戻ってほしい』という気持ちがいちばんでしたけど、月野さんにその気がないんじゃ意味がないですし。たとえば、転職したいと思っている会社があるなら、わたしの知り合いがそこにいればご紹介できますし……その、わたし自身がデザイナー畑出身なんで、業界は偏っちゃいますけど」
「あぁ……なるほど。それはありがたいけど、でも、俺はマイナー——」
マイナーとして生きていくから。
なんて言いかけて、ハッと口を閉ざした。
そんな「夢追い人」発言、今日イチでキモイだろう。
これならまだ「特技を生かしてWootuberになるんだ」と言うほうがマシだ。
「マイナー、ってアレですか? ダンジョンに潜るヤツ」
「あ、そう、そうなんだけど——そのマイナー関係のビジネスを始めようかと思っていてね。もし知り合いに詳しい人がいれば紹介して欲しいなって」
「はあ……マイナー、ですか」
松本さんは怪訝な顔をした。
「まあ、もしいれば、くらいで」
「わかりました」
最後はうなずいて、帰っていった。
松本さんが帰ってから、そう言えば会社が今どうなってるかとか全然聞かなかったなと思いだした。
松本さんも松本さんで、気を遣ってくれたのかな。聞かれるまでは言わないでおこうみたいな。
なんせ俺は、泣く子も黙る無職だから。
「ま、いいか。営業の連中の近況を聞いたところで『ふーん、そうなんだ。死ね』くらいにしか思わないしな」
ナチュラルに「死ね」とかいう言葉が出てきてしまったあたり、俺はまだまだムカついているのかもしれないな。
「そんなことより『秘密の小部屋』だ」
松本さんが帰ってからぐっすり眠った俺は、気づけば翌早朝になっていた。
今日は……月曜日か。いちいちカレンダーを確認しないと曜日すら忘れがちな無職は悲しい。
だけどちょうどいい、ダンジョンがいちばん混まない曜日だ。
今日、決行しよう。
(松本さん、俺のために休みを使って捜してくれてたのか)
「アドフロスト」は広告系ベンチャーのご多分に漏れず土日の仕事は当たり前だ。
とはいえ出社までするのは土曜くらいで、日曜はメールの返信程度。それなら家でもできる。
週に1回を、俺を捜すという、明らかに間違った休みの使い方に費やしてしまったことに、ほんのり罪悪感と、逆に思った以上に会社に対してはなにも感じない自分がいた。
「今日が過ぎれば、きっともっと会社のことなんて気にならなくなる……」
それは間違いないことだ。
「今日、俺は億万長者になるからな」