プロローグ
短期集中連載です。終着点まで見えているので、是非ともお付き合いくださいませ。
札束が立つ、という表現があるよな。
今どきピン札で帯までつけた札束を手に取ることなんてなくなった。
クレカに電子マネーに暗号通貨と「現ナマ」からは遠ざかる昨今、金を持ってるなんていう実感はだんだん薄れてる。
「お……立った」
1万円を封筒に入れて、100枚ではダメでも、200枚で封筒が立った。
つまり、ここには200万円が入っているわけだ。
手元に用意したのは——俺が昨日
残り52枚は左手にある。
「すげえ世の中だよな……」
べたりと、セメントみたいな灰色の床に座っている俺。
目の前には立っている札束。
左手には52枚の1万円札、右手には——ピンポン球くらいの紫色の結晶。
「換金したのはこれくらいの
今日は祝杯を上げに来たのだ。
俺のいちばん好きな「一番●り」の350ミリ缶をプシッと開ける。
「乾杯……つっても、俺ひとりしかいないけど」
ぐびりと一口飲む。やっぱりビールは美味い。
「……まあ、こんなの他の人に言えないし、打ち上げだからって呼べないよな」
俺がいる小部屋——ダンジョンの小部屋。
札束を照らす怪しげな紫色の光は魔結晶によるものだ。
世界が激変したのは10年前、とある彗星——今となっては「ダンジョン彗星」と呼ばれている彗星が地球の近くを通過した、その後だった。
彗星による地球への影響は甚大だと予測され、世界は終末論に包まれたのだけれども、案に反して彗星が通り過ぎても地軸が動いたり、海水面が大幅に上昇したりなんてことはなかった。
なにもなかったと言っていい。
見た目は。
異変が起きたのは、地中だった。
世界の各地でダンジョンが発見され、そこで発見された「魔結晶」によって世界は激変した。
だけど俺の人生が激変したのは10日ほど前——裏庭にダンジョンを発見したことによる。
「この魔結晶……」
ここにある光は、俺が持っている小さな魔結晶だけじゃない。
地面に立った札束の向こうには、俺の腰くらいまでの高さになる——魔結晶の小山ができている。
「山を全部換金したら、一体いくらになるんだよ……」
興奮よりも、むしろ寒気がした。
□□□
40歳になるまでに結婚できたら、今までの貯金を使って派手な結婚式をして、車か、マンションを買う頭金にしようと思っていた。
でも、できなかったら?
「結婚はあきらめる……」
結婚をあきらめても貯金は残る。
「そのときは自分ひとりが住む家を……中古でいいから買って、のどかな郊外に住む……」
それこそが、30歳の誕生日に決めた俺の覚悟だった。
先月、10月10日に40歳になった。
39歳になったときに彼女がいなかった時点ですでに結婚はあきらめつつあったので、手頃な物件を探し、神奈川県は伊勢原市の郊外に良さそうな中古の一軒家を見つけていた。
引っ越しをしたのは昨日。
今日はひとりで、引越祝いでヤケ食いしていた——のだが。
「のんびり生きていくつもりが……どうしてこんなもんがあるんだよ……!?」
中古物件の裏庭はそのまま山につながっている。
俺は縁側から下りた場所で、
目の前に口を開けているのは地下へと続く階段。
これが「ダンジョン」であることを疑う余地はなかった。
ダンジョンは、今の日本の、いや世界のエネルギー供給を支える根幹となっている。
『未登録のダンジョンを発見した場合は速やかに所轄の警察署に通報してください』
俺は落ち着くために、一度その階段を見なかったことにして室内に戻った。
缶ビールをちびりとやりながらスマートフォンで調べると、俺の記憶と同じ文言が「ダンジョン管理庁」のサイトに載っていた。
「ダンジョンがこの世界に出現してからもう10年経つのか……」
すでに発見されているダンジョンは、4万5千個を超えているそうだ。日本のダンジョンは1千個ちょいが登録済みであり、この1年半は新しいダンジョンが見つかっていない。
狭い国土だしな。
いきなり、地面が陥没したらいやでも気づくよな。
「今の日本の電力……と。ベースロード電源はダンジョンエネルギーが60%で15%が再生可能エネルギー、その他が数パーセントずつか。いつの間にかこんなになっちゃったんだな」
ダンジョンで発見された紫色の結晶は、この世界になかったものだ。
「魔法だ!」
「ファンタジー世界きた」
「ついに時代が俺に追いついた」
なんて盛り上がった人も多くて、実際、紫色の結晶は「魔結晶」と呼ばれるようになった。
この「魔結晶」は一粒に莫大なエネルギーを溜め込んでいて、電気に変換できた。
電力会社は途端に石炭や天然ガスを外国から買うのがバカバカしくなり、「魔結晶発電」を始めた。
二酸化炭素を発生させず、発電後は元の質量から200分の1の重金属だけが残るとあって処理も楽で、「魔結晶発電」は世界の主流となった。
電気代も半額になり、酒税法改正も手伝って俺の晩酌は発泡酒からビールへと格上げされた。
そんな状態でも、電力会社の去年の実績は過去最高益をたたき出したっていうんだからダンジョンはハンパないよな。
「ダンジョンは国益そのもの、か」
エネルギー問題と、地球環境問題をダブルで解決したダンジョンは、今では救世主扱いだ。
なんでダンジョンができたのか。
彗星との関係は。
そんなものはわからないが、目の前にダンジョンがあって、魔結晶を産出する。これを見逃す人間などいない。
発電で二酸化炭素が出なくなったおかげで、各国のグリーン政党は目つきが優しくなり、ガソリン自動車を大目に見てくれるようになった。
だから今もガソリン車は走ってる。とはいえ電気代が安くなったから電気自動車のほうが多くなったけど。
たった10年でこんなに変わるもんだな。
「ん?『家の敷地内にダンジョンができたけどなにか質問ある?』だって?」
そんなスレッドを匿名掲示板に立てたヤツがいるらしい。俺かな? 違った。俺はネットは読み専だからな。
「ブホッ」
そのスレッド——スレの内容を読み進めていた俺はビールを噴き出した。
最終的にスレ主は警察に特定されて、ダンジョンを国に接収されたらしい。
「……マジかよ」
ダンジョンの秘匿は罪に当たらないが、国民の義務に違反しているということでその後も警察の監視がつくらしい……。
ドキドキしてきた。
「じゃ、やっぱダンジョンは報告するか」
裏庭の茂みの中にあったダンジョン。この家の前の持ち主は老人だったので庭は放置されていて気づかなかったってことかなあ。
「……ちなみにダンジョンを報告した場合にもらえるのは、と」
さっきのスレに書かれていた。
土地(望むなら敷地すべて)の買い上げ。その際の価格は一般的な地価の10倍だという。
「ここ買ったのは2千3百万だから……」
2億3千万円!?
「…………」
2おく……3ぜんまんえん……。
「ヤバイ、現実感ないな……」
ローンを返せるどころじゃない。独り身なら一生のんびり暮らせるじゃないか。
俺は所轄の警察署の電話番号を探し、通話ボタンを、
「…………」
押さなかった。
冷静になった。
今、日本のダンジョンは1千個。そのダンジョンで日本の電力の60%をまかない、魔結晶は輸出もしているそうだ。
魔結晶輸出のおかげで日本の貿易黒字額は昨年が過去最高だとか。
まあ、天然ガスや石炭を買わなくなって、逆に輸出してるんだからとんでもない額になるわいな。
日本の電力会社の年間売上と、輸出の金額を合わせると……大体12兆円になる。つまりダンジョンひとつあたり、120億円ほどの売上だ。
しかも、毎年!
「これを独り占めできたら……年収120億円。おいおい、2億3千万ごときで喜んでどうするんだよ! いや、待て、それはおかしい。俺はただのサラリーマンだし、しかも40歳だ。ダンジョンを独り占めなんかできるわけもない。日本国内のダンジョンはすべて『国のもの』だという法律までできてる」
冷静になったはずが、冷静じゃなかったようだ。
冷静になった(2回目)。
俺は所轄の警察署の電話番号を探し、通話ボタンを、
「…………」
押さなかった。
冷静になった(3回目)。
だからと言って今すぐ決める必要はないのではないだろうか?
なにせ俺は今ビールを飲んでいる。35歳を過ぎてからめっきりアルコールに弱くなったけど、それはさておき今俺は酔っている。
ビールのせいじゃない。ビールを飲んだ俺が悪い。「一番●り」はいつだって美味しくて俺を裏切らない。裏切って発泡酒を飲んだのは俺だ。でも今はまたビールに戻ったじゃないか!
なんの話だよ。
そうだ、120億円だ。年収120億円なのだ。
ああ——。
「やっぱ俺酔ってる……」
後ろにバタンと倒れて目を閉じた。
願わくば、朝起きてダンジョンがなくなったりなんてしませんように。