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note6 挑戦することは大事です

「はあ……君は本当に可愛いね。どうしてそんなに僕を虜にするんだろう」

「どこまで僕を惚れさせたら気が済むの? 大好きだよ」

「あぁ、こらこら。怒らないで。他の子ばかりかまうから、嫉妬したの?」


 これらのセリフは紛れもなく僕のものだが、皆さん誤解しないでほしい。決して乙女系に路線を変更したわけではない。

 僕がこんな甘いセリフを吐くのは、愛する猫ちゃんたちだけだ。

 そう、僕が今愛撫し、接吻し、だらしなく頬をゆるませているのは、僕が自宅で飼っている3匹の猫ちゃんたちなのである。


「ユズ、ミカン、レモン、今日も可愛いよ……」

 猫用のベッドで猫じゃらしにじゃれつく、3匹の三毛猫ちゃん。今日もというか毎日最強に愛らしい。

 こんなに気軽に天使に会えちゃっていいのか? この可愛さは人を殺せるぞ。可愛過ぎて国宝に指定されて自由に会えなくなったらどうしよう。そうなったら国外亡命しかないな、えへへ。


 などと我ながら途方もなく馬鹿なことを考えながら、手持ちの携帯でカシャカシャと写真を撮りまくる。

 どのアングルから見ても可愛くて愛らしくて美しくて、気がおかしくなりそうだ。ついつい沢山撮り過ぎてしまう。


「あっ」

 ついに容量がいっぱいになってしまった。シャッターボタンを押せども押せども撮影されない。

 ユズがこんなに可愛く顔を洗っているのに! 新しく撮りたくば、今まで撮りためた猫ちゃんたちの思い出メモリーズ(重言)を消せと言うのか! 神は僕を見放した!


 こうして一人で騒ぎ続ける僕に、同居人の何気ない一言が襲いかかった。

「いや……スマホにしろよ」

「スマホ?」


 見れば、同居人が床に転がって大騒ぎしている僕を見下ろしながら、煙草をくわえている。

「神奈……煙草はベランダで吸えって言ってるだろ」

「堅いこと言うな」


 そう言って嫌味ったらしく僕の顔に煙をふきかけるこの男は、神奈哲(かんなあきら)。僕の小学生からのおさななじみで、分け合ってルームシェアをしている奴だ。いつも通り黒縁の四角いメガネをかけており、締め切り前なのかやつれた顔をしている。

 こいつは推理小説家などと言って、何やら散文を書き散らしているらしいが、僕は全く興味がない。奴も自分の小説とは真逆の、推理をしない探偵である僕に興味がない。こういうドライな同居人兼幼馴染という関係なのである。


 そんな神奈はテーブルの上の灰皿に吸い殻を押し付け、胸ポケットからスマホを取り出し、ぽちぽちといじり始める。こちらを一瞥もせず、ぼそぼそと言葉を発した。

「お前さ、そのガラケー中学の時から使ってるけど、いつになったらスマホにすんだよ。仕事でも困るだろ」

「スマホか………」

 もう、この言葉を聞くのも何度目かわからない。


 僕は20代のスマホ利用率がほぼ100パーセントに近いと言われる令和の世においても、いまだにガラケーと呼ばれる、ボタンでかっしゃんと開く形の黒い携帯電話を使っている。

  時代に逆らう自分かっこいい、とかではもちろんない。携帯電話なんて単純に電話とメールさえできればいいというのに、色々とごちゃごちゃした機能がくっついてきているのが気に食わないのだ。


 だから僕はこれからもスマホに変えるつもりはないし、例え今の携帯電話が壊れてしまったとしても、店員の勧誘を断ってまた折り畳み携帯を購入すると決めている。


 だが、実はつい先日も、所長からスマホにするよう言われて、ちょっと心が揺れ動いているのだ。

「潤君さあ、未だにそんな分厚い地図とごっついボイレコ持ち歩いてるけど、重くないの? 全部スマホの中にまとめられるのに、バカなの?」

 おまけに現代っ子速水君には、

「そんなどでかいアタッシュケースぶらさげて出歩かれたら、尾行の時目立って仕方ないんですよ。ぶっちゃけ邪魔です。男ならスマホと財布だけで出歩けるようにしてください」

 とばっさり切り捨てられ、最年長の浪川にさえ

「六木君さあ、色々理由をこねてるけど、本当はただの機械音痴だってみんな知ってるよ?  未だにキーボード人差し指で打ってるし。苦手なら苦手って、はっきり言いなよ。おじさん笑わないから」

 と、半笑いで言われてしまった。


 そのことが脳裏にフラッシュバックして、僕は目を泳がせながらしどろもどろになる他なかった。

「いや、まあ……確かに、スマホのほうが便利だけど、さ……」


 便利だけど、便利だけど………。

 そうだ。浪川の言うとおり僕は機械音痴だ。洗濯機ですら操作に苦慮するときがあるのに、あんなボタンのないツルツルの携帯電話などどうやって使えばいいと言うんだ。


 無理無理。僕にスマホなんかどう考えたって無理。

 いくら幼馴染の言うことだって、僕はこの先もスマホにするつもりは—————


「便利というか……スマホにしたら、保存容量でかいから猫の写真何千枚でも撮れるし、めちゃくちゃ画質いいぞ。SNS覚えれば人んちの猫見放題だぞ」


 買います、スマホ。




 こうして、僕の10年にわたるガラケー生活は終わりを迎えた。

 あのまま神奈に携帯ショップに連行され、店員さんと神奈の色んな解説を聞き、よくわからないままリンゴのマークのついた薄くて平べったいスマホを購入した。

 単刀直入に言おう。全くわからん。


 指でタッチして操作するなんて銀行のATMくらいしか経験がなかったので、正直戸惑わざるをえない。

 触っていないつもりでも知らない画面に移動してしまうし、電話の仕方さえわからない。そもそもこんな薄っぺらいかまぼこ板みたいなもので、本当に電話ができるのだろうか。なんだか疑わしくなってきた。


 まあ、一人で思案しても仕方がないので、次の月曜、出勤したらスマホを購入したことを発表して、使い方を教えてもらうとするか。


 ……なんて、僕の考えが甘かった。


「ようやく原始人から現代人になりましたね。無理してる感ありありです」

「六木君、らくらくホンにしなくて大丈夫だったの? 初心者マークでいきなりフェラーリは乗れないよ? それと同じ」

「潤君、無理しなくていいんだよ。悪いことは言わないからガラケーに戻しておいで」

 とまあ、散々な言われようをしたからだ。


「いやいや、僕だって20代だぞ? その気になればこのくらい覚えられ———」

「でも僕に設定してもらおうと思って持ってきたよね、それ」

「PCの起動方法もあやふやな六木先輩に使いこなせるわけないっしょ」

「お前ら何でそんなに僕に厳しいんだよ! もういいよ! お前らには聞かないから!」


 あまりに同僚からボロカスに言われてしまい、そう啖呵を切ったのがいけなかった。

 まず、最も身近な神奈に聞くと、

「ふざけんな。お前と違って俺は忙しいんだよ。機種変に付き合ってやっただけありがたく思え」

 と一蹴され、恥を忍んで現役女子高生である千晴さんに聞くと、

「ごめんなさい! 私もあんまり詳しくないですし……絵画コンクールの締め切りが近くて」

 と断られてしまった。


 同じアパートに住む仲のいい隣人たちに聞くも、三ヶ島探偵社同様馬鹿にされたので、こうして僕の「誰かに聞けばどうにかなる作戦」は道を断たれた。

 こういう時、友人の少ない自分が憎らしい。陰キャで、輪に入らず、いつも遠巻きに楽しそうなクラスメイトを眺めていた学生時代の僕よ、社会人になった今、そのつけがきているぞ。


 さて。こうなった時どうするか。現代っ子諸君はわからないことがあるとすぐインターネットで調べるようだが、僕はそのインターネットでの調べ方すらわからない。

 すると、自ずと手段は一つになる。僕は腹を括って書店に赴いた。


 購入したのは、高齢者向けに大きな字で印刷された、初心者のためのスマホ入門という書物。20代でこういった指南書を購入するのは、人類史上始まって以来、僕が初かもしれない。だが、読者諸君よ、僕の無知を笑うのはいいが、この勇ましい努力を決して笑わないでほしい。


 その日から、僕は暇を見つけては本を読み、時にメモを取り、時に実際に操作をしながら、必死にスマホについて勉強をした。こんなに勉強に熱をあげたのは、高校受験以来かもしれない。

 全てはあの3人を見返すため。神奈に一泡吹かせてやるため。その一心で僕はとにかく頑張った。


 そして、二週間後。


「どうだ! 見てみろ! 電話とメールとカメラをマスターしたぞ! ほら!」

 まるで印籠のようにメール画面を表示したスマホをかざし、人生で一番のドヤ顔を披露する僕の姿が、事務所にはあった。


「す、す、すごいね潤君……ちゃんとメール来たよ」

 若干声が上ずっている気がするが、まず所長が認めてくれた。

「う、うん、僕にも来た……よ」

 そして珍しくどもりながら、浪川も同意。

「……………」

 速水君に至っては僕の成長ぶりに言葉も出ないようだ。


「ふふん、これでもう機械音痴なんて言わせませんからね! 猫ちゃんたちの写真も撮りまくりです!」

「ソ、ソウヨカッタネー」


 なぜ棒読みなんだろう、所長は。まあいい。無事に鼻を明かすことができた。僕は勝ったのだ。

 だが、スマホをしまい、朝の日課である掃除に取り掛かろうとしたところで、3人のひそひそ話が耳に飛び込んできて、僕の優越感を吹き飛ばした。


「潤君、ラインもまだ使えてないみたいだよ……どうしよ……連絡困るよ……」

「つうか電話とメールとカメラだけって、ガラケーの頃と変わらないじゃないっすか。うちのババアのほうがまだ使いこなせてますよ」

「しーっ。六木君せっかくドヤってていい気分なんだから、そっとしとこうね。あまりツッコむと可哀想だから」


 おい、そこ聞こえてるぞ。




【探偵ファイルNo6】神奈哲カンナ アキラ

六木の小学生からの幼馴染でルームメイト

クールで毒舌で無愛想な、駆け出しの推理小説家

煙草をやめたいがやめられない

猫は苦手

【年齢(生年月日)】6月6日 23歳

【趣味】読書、プラモ作り、深夜の徘徊

【特技】ブラインドタッチ

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