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王と王妃から十分な時間をおいて、王太子とその妻がバルコニーへと出て行く。

続いて、まだ子供である第三王子。

最後に出るのは、シリルと雪乃だ。


お披露目の広場を訪れた国民たちは、一層大きな拍手と声をあげた。





悲劇の王女、というのが、今の雪乃の立場だった。

王女ウエンディ・リー・ダウセットという乙女の人生は、全国民に広く知れ渡っている。


生まれて一週間で、王太子誕生のために離宮に押し込まれ、メイドひとりをつけられただけで捨て置かれた存在であること。

王が可愛がっていた姉の代わりに嫁がされ、その時、このままでは国民すらないがしろにする王になるだろうと憂いたこと。

そして故郷の民を救わんと、心を通じ合わせたシリル王子を通じ、血を流さずに王座を明け渡させる策をアウリラにもたらしたこと。

全てが終わった後、自ら毒を飲んで王家の血を絶やそうとしたが、シリル王子が愛をもってそれを阻止し、情熱的なプロポーズをしたこと。


全て、シリルが筋書きを考え、城中を説得し、巷に流させた物語だ。






「お手振りも慣れたものじゃないか」


隣で囁いてくるシリルを無視する。

こちとら生まれてから死ぬまで、エンペラーのお手振りをテレビで何度も見た身なんじゃい、とは言えない。

言う気もない。

代わりに別の返事をする。


「よくもまあ、あんな作り話をみんな信じたりするものですね。

 国民は皆、人が良すぎるのではないですか?

 騙されやすかったりしませんか?」

「いいじゃないか。騙されたとしても、それを裁く法が我が国にはある。

 それに、騙していることなどひとつもないぞ」


いまいましいことに、端から見える行動だけを拾えば、今広く知れ渡った物語を本当だと言い張ることは出来る。

ただ、それぞれの内心を除いては。

雪乃は故郷の民など憂いていないし、死のうとしたのは自分のためだし、プロポーズに情熱など──少ししか感じなかった。


「ここから飛び降りてやろうかしら」


にこやかに手を振りながら呟くと、反対側にいた第一王子がぎょっとしたようにこちらをチラ見する。


「おいシリル、お前の嫁はきっと本当にやるぞ、気をつけておくんだ」

「やるわけないでしょ」

「いや、お前はやる」


「俺もそう思うぞ」


小声で交わされる会話に交じって来たのは、アウリラ王だ。

からかう訳ではなく、まったく本気らしいことに腹が立つ。


「ねえシリル、呪われた姫を結婚相手として押し付けてきた父親がなんか言ってるわよ。

 あなたも私と同じなのよねぇ、可愛がられてなかったのよねぇ、かわいそうねぇ」


誰に対しても、雪乃は不躾な物言いをためらわない。

だって、不敬罪で罰せられ、殺されてもちっとも構わないからだ。


「可愛がらぬことはないが、王族において次男というのはそれだけで不憫なものだ。

 だがほら、結果はどうだ、大当たりだったではないか、そうだろうシリル?

 なにせ、ウエンディの処遇について話し合った際、このまま結婚するのだと主張してきたのはお前だからな」


ずっと黙っていたシリルは、一段と微笑を深くし、そのきらきらしい様子に黄色い悲鳴があがる。


「ええ、大変に興味深い乙女を妻として与えていただき、感謝いたします父上」


褒めてねえ。

よし、飛び降りてやろう。


本気でバルコニーを乗り越えるべく足を踏み出したところ、シリルにふわりと抱き上げられた。

ぎやぁぁぁぁというもはや絶叫のような女性たちの声が響き、シリルはそれに応えるように、雪乃を抱えたままくるりと回ると、そのまま室内へと入った。

遅れて聞こえてきたのは、後から部屋に戻って来た王妃の大きなため息だ。


「シリル」

「はい母上」

「あなた、婚約の祝いに、休暇と仕事をあげましょう」

「……矛盾していますね」

「公務はしなくていいわ、これが休暇。

 ウエンディと過ごし、彼女が死にたがらなくなるよう努めなさい、これが仕事。

 いまや彼女は、我が国の英雄にも等しいわ。

 そうそうに死なれては困るの、分かるわね?」

「はい、母上」


にこりともしないまま、王妃は王を促して去って行った。

いつも以上に紳士然とした宰相が、


「差配しておきましょう」


とシリルに向かって微笑む。


「しわ寄せで大変ね、宰相様」

「……おや、ウエンディ様、私は約束を忘れてはおりませんよ」

「あら。さすが大国の宰相様は違うわ。短い間でしょうけど、約束は果たしましょう。

 王子妃としてよろしくね──ウォーカ」


名を呼べば、覚えていていただけて光栄です、と彼は笑った。

すぐに忙しそうに去って行く彼を見送ることなく、ウエンディはシリルに手を引かれた。


「ねえ、いつならいいの?」

「なにがだい」

「王妃様がおっしゃったわ、そうそうに死なれては困る、って。

 それは分かるわ。

 そして、それって、ある程度時間が経てば構わない、ってことじゃない?」

「そう思うか?」


シリルは、ウエンディを、これまで過ごした貴賓室──ではない方向へと導いた。

先導する侍女が開いた扉から先は、ウエンディの私室となる新しい部屋だ。

間に夫婦の寝室を挟み、反対側にはシリルの執務室がある。

本日めでたく、正式にお披露目されたウエンディは、この部屋の主になることを認められたというわけだ。


シリルは、ウエンディをそのまま、壁際の本棚に誘導した。


「わあ」


そこには、故郷から持って来た実母の本と、他にも様々な書籍がそろえてある。

王家のしきたりをまとめたものや、歴史、風土記のほか、美しい挿絵の花の図鑑や、ドレスや宝石のカタログ、デザートの解説書。

見ているだけでわくわくするもの。


「こっちも」


入り口が切ってある小さな隣室は、いわゆるウォークインクローゼットだ。

小さいといっても、日本でいえばワンルームマンション一室分くらいはある。

そこに、ぎっしりとドレスや靴、何も入りそうにない小さなバッグ、色とりどりの髪飾りや帽子が詰め込んであった。


「全部、母が揃えたんだ」


ぐぶっ、という変な音が喉で鳴った。

母というのは、さっきのあの冷ややかとしかいいようのない王妃のことだろうか。


「君の育ちを知ってしばらくしてから家具を集め始めて、一年ほどかけてね。

 まだここに住むとは分からなかったから父も止めたんだが、無言で一瞥して終わり。

 宰相も無言で予算を出していたし。

 うちは男三人だから、慣れない女の子で、随分時間がかかったみたいだが」


なんとも言いようがない。

王妃はある種、損な性格なのではないか。

いやしかし、内心を悟らせないというのが王妃としては相応しいのかもしれない。



「あ、そこの革細工だけは、ホール子爵からの贈り物だよ。

 それで……ところで……君は、熊に育てられた少女の話を知っているか?」


突然何の話だろうか。

雪乃は肩をすくめた。

持っている知識では、オオカミに育てられた少女だったはずだが、世界が違うのだから歴史も違うのだろう。


「ろくに人と話すこともなく、ふさわしい行動様式も得られず育った彼女は、人に保護された後も四つ足で歩き、手づかみで食事をしたらしい。

 そして人間の世界に馴染めず、あっという間に……」

「可哀想ね。捨てられた上、家族と引き離されて、マナーを強要されて、知識を押し付けられて、そして死んでしまった」


シリルは雪乃の手を引き、小さな応接セットに座らせた。


「さて、君はしかし、ずいぶんと口が達者だ。そして頭は良く回り、度胸もある。

 様々な記録から、君が放置されて育ってきたことは明白だが、その事実と相容れない様子がとても不可思議だ」

「女の秘密というやつですわね」


はぐらかすと、彼は少し考える様子を見せたが、どうせ雪乃からは何も聞き出せないだろうと諦めたようだった。


「まあいい。

 いずれにしろ、私の当面の仕事は、君が家族と引き離されマナーを強要され、知識を押し付けられても死なないようにすることだ。

 どうすべきか、知恵を貸してくれ」

「本人に聞くなんてずるじゃないです?」

「いや、合理的だと思う」


オリーブがお茶を出し、お三時でもないのに、小さくて可愛い菓子を添えてくれた。

この元メイドは、平民だったこともあり、正式に婚約者になった今、とてもウエンディの専属としてはふさわしくない。

しかし、どうやら一度たりとも辞めろとは言われていないらしい。

幼少時からついている彼女を外すデメリットが分かっている。

そういう点でも、合理性を好む国柄なのだろうと思う。

とはいえ、死なない理由を本人に聞くのもどうだろう。



雪乃は、もぐもぐとおやつを食べながら答えた。


「まず……王族教育の刺繍をやめてもいい、と言ってみるのはどうですか」

「あれは必要な教養だ」

「詩の暗唱は?」

「いずれどこかの婦人会に属した時に必要だ」

「やめてくれる気はないということ? 王妃様からのお仕事、やる気あるんですか?」

「もちろんだ。君からは教えてもらえないようだから矛先を変えよう。

 オリーブ、お前はどうだ、何か助言はないか」


傍らに立っていた侍女は、にこりともせず、口を開いた。


「私にはできますよ。そして私にできることです、王子殿下にもいつかできるでしょう」

「なんだって?」


シリルが唖然としている。

なんという大口だ、侍女のくせに。

雪乃は笑いそうになった。


「ではやってみせてくれ」

「良いのですか? 殿下が、王妃様に与えられたお仕事だったのでは?」

「別に私自身が達成せずとも、結果さえ導き出せれば良い」


出たよ合理性。


「では僭越ながら」


オリーブは、そう言いながら、雪乃の傍らに跪いた。

そして、シリルの手の中にありむやみに撫でられていた雪乃の指先を奪い取り、その両手で包む。

思わずその顔を見る。

彼女は、何かを言おうとして、不意に言葉をつまらせた。


「……あら、いけませんね、うまく言える自信があったんですけど」

「なによ、どうしたの」


一度うつむいた彼女は、またゆっくり顔を上げ、雪乃を見つめた。

無表情ではなかった。


「姫様。赤ん坊の頃から、ぼんやりした女の子でしたね」

「ぼんやり?」

「ある日急に、ぶつぶつと知らない言語を話しだしたので、いよいよだなと思いました」

「いよいよ?」

「私はメイドでしたので、姫様に触れることも話しかけることも許されていませんでした」


知っている。

そういえば、無理矢理専属侍女にさせられこちらに送られたようだが、オリーブの家族はどうしているのだろう。

あら、白髪。


「不憫だ哀れだと思いながら、私は姫様を救う努力は何一つ致しませんでした」

「馬鹿ね、メイドなんだから、それでいいのよ」

「侍女にされてこちらへ来てからも、私がレヴァーゼ王国に属する国民で、その王家に雇われていることは変わりありません。

 私が恐れたのは、姫様付きから外されることです。

 姫様が長く生きるつもりがないことは知っていました。それも当然だと思いました。

 だから、私はできるだけ大人しく静かに姫様を見守り、そしていつかその時がきたら、必ずおそばにいたいと思っておりました。

 死んでほしくないとは言えません。

 ただ、お一人で生きてきた姫様が、孤独に死ぬことだけはないようにと」


淡々としたオリーブの言葉は、雪乃を戸惑わせる。

ずっと傍にいた。

ただいるだけだった彼女の内心が、こんなに言葉に溢れているとは知らなかった。


「ただ、こちらに来てからの姫様は、時に楽しそうなお顔をされた。シリル殿下にエスコートされる時、少し笑っておられた。

 誰も触れることが許されなかったそのお手を、堂々と取ることが出来る存在は、私の気持ちを少しずつ変えたのです」


相槌でもなんでも打つべきだ。

なのに、雪乃は動けなかった。

ただ、彼女の一筋の白髪を見ていた。


「それでも……それだから、私がこんなことを願うのは、もしかしたら罪悪感なのかもしれません」


オリーブは、ポケットから何かを取り出した。

それを、雪乃の手のひらに載せる。

光を反射するそれは、小さな小さな宝石だった。

侍女の給金で買える、ぎりぎりの品。

透明に近い青。

雪乃の──ウエンディの目の色だ。


「お誕生日、おめでとうございます、姫様。

 18歳の今日を、心からお祝い申し上げます。

 そして、きっと、来年も再来年も、オリーブが共にこの日を祝えますように」


ぽろりとオリーブの目から涙が落ちた。

宝石の上に落ちた。

それは、宝石よりもずっと美しいように思えた。


雪乃の心が、コトリと動く。

コトコトと音を立て、そして、一気に熱を帯び、その熱は涙になって溢れる。



うわぁぁぁぁんと声を上げて泣く雪乃の背をオリーブが優しく叩き、そのリズムがなんだか覚えのあるものに思える。

記憶にある気がする。

昔、とても小さかった雪乃の──ウエンディの背中を、こんなふうに叩く人があった。

触れてはならぬものに、たまらず優しさを与えるためのリズムだ。





そうだ。

自分はただ、生きよと言って欲しかった。


死ぬなではなく、生きよと。





二人で泣き疲れる頃、雪乃はシリルによって、やたらと美しい刺繍の入ったハンカチを顔に押し当てられた。



「完敗じゃないか。私の出る幕はいつだ?」

「模様の部分が固くて使いづらい……」

「まあ実用品じゃないからね」


ハンカチをぐちゃぐちゃにして泣く雪乃に、シリルはごく平たんな声で言う。


「明日は馬に乗ろう」


思わず顔を上げる。

そうだしばらく乗馬どころではなく、全然会いに行っていない。


「エフォーナの元気がなくなってきている。君に会いたいのだろう。

 あるいは君のくれる角砂糖が欲しいのだろう」

「あげてよ……ズビッ……砂糖くらい」

「まあまあ、誰からもらっても同じだが、君から欲しいと思っているということだ。

 動物というのは単純で、だからこそその気持ちは嘘じゃないさ」


涙をぬぐい、鼻水をかんで、汚れたハンカチを何も入らなそうな小さなバッグに押し込んで、肯いた。


「私にもわかって来たぞ。

 オリーブとエフォーナ、今の君には生きる理由が二つできた。

 三つめが私であれば、夫としての面目も立つだろう」

「シリルって」

「なんだ」

「王妃様似なんだね」


無表情なだけで、悪い人ではないんだな。

いやむしろ多分、良い人だ。


「そうだろうか……」


なにやら不本意そうだが、不意に良いことを思いついたという顔になった。

その微笑みは、確かに雪乃に向けられたもので、こんなふうに誰かが自分に笑ってくれるのは初めてかもしれないと気づく。


「預かってある16個の宝石は、砕いて君の家族の墓前に撒こう。

 そして、その侍女の青い石に、私が台座を付けて指輪にし、いつでも身に着けておけるように仕立てよう」


雪乃は、日の当たらぬ墓地に、きらきらと宝石の舞う光景を思い浮かべた。

墓の場所は知らない。

きっと一生知ることはない。

それこそが、雪乃とレヴァーゼの完全な決別だ。


「つまり、俺がお前の生きる理由になってやる、ってこと?」

「あのね、それは、後にとっておくべき言葉だよ。私の言うべきことだ」

「そっか」


では待とう。

その言葉が雪乃の心に届くのを。


エフォーナの背に乗り、この世界を知り、目に見えない人の心を知ることで、きっといつか叶うだろう。



いつか。

いつかその日が来た時こそ、心に飼い続けた死にたがりの王女が跡形もなく消えるのだ。





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