12月X-1日:イチイセンシン・シヤキョウサク
◇
───誘ってくれたことは嬉しいのですが、その日はもう終日予定があるのでごめんなさい。
もう幾度となく繰り返したその言葉を今一度口にし、何か言い返される前に一礼をして玲は足早にその場を立ち去った。
自分を呼び止める声も、玲はもはや小鳥のさえずりよりも気にも留めない。普段であればしないような「失礼」もしてしまう程に今の玲は浮かれていた。
それはもう、浮かれに浮かれていた。
(クリスマス! クリスマスイブに楽郎君と一緒に……一緒! だなんて!!)
クリスマスに意中の男性と一緒に過ごす、それは玲にとってはまさしく夢にまで見た憧れである。
事実、幾度となく夢見たその一大イベント。しかし現実のクリスマスはいつもロックロールでの反省会ばかりで。
それが今年は、同じ場所で同じ方向を見て同じ目的のために進むことができる。それは快挙と呼ぶことすら物足りなく感じる程の大躍進であり、だからこそ玲は人並の人付き合いすらをも後回しにしてでも万難を排する。
(ラストエリクサーなんて考えないくらい、全力を出そう……! いやでも、きっと長期戦になるはず……ジークヴルムイベントの時と同じくらい、かな? だとしたら装備も長期戦想定で……ううん、サイガ-0に求められてるのはきっと火力のはず。だったらMP回復を多めに用意して砲台としての…………)
脳内では今晩の「決戦」に備え、目まぐるしくブリーフィングを繰り返している玲であったが……デートを自認するならば、考えるべきはそこではないと指摘する者はここにはいない。今日の玲はまっすぐ帰宅しているのでそれを指摘してくれる真奈がいるロックロールには立ち寄らないのだ。
(……………)
ふと、考える。
思い起こすは先だっての王国騒乱。サイガ-0として奮戦していた玲は最終盤、一人で戦っていたサンラクを援護するべく奥古来魂の渓谷へと急行していた。
結果から言えば、玲が到着した時には既に何もかもが終わっていたわけだが……元より玲自身も別の場所で戦っていたこと、そしてその役目を果たした上で向かったからこそ間に合わなかったこともあって、サンラクの無限組み手に間に合わなかったこと自体は「ちょっと残念」程度のものだ。
想起の本題はそこではなく…………
◇
数日前、奥古来魂の渓谷
「あれ、レイ氏?」
「その、こちらはなんとかなったので援護に、と…………でももう終わっちゃいました、か?」
「あーまぁ、そうだね。というかイベントがもう終わったというか」
マップを横断ではなく縦断する、という普段であれば無茶も甚だしい強行突破で奥古来魂の渓谷に到達したサイガ-0であったが、そもそもの出発時間が終盤も終盤。着いた時には既に王国騒乱イベントそのものが終わりを迎えていた。当然、イベントの期間内でプレイヤーの食い止めを敢行していたサンラクもまた、全てを終わらせている。
「まぁ、あのまま下にいても面倒そうだったから今こうして上にいるわけだしな」
「成程………」
奥古来魂の渓谷は上層の水晶巣崖と下層の谷底で構成された二段階のエリアだ。普段であれば一歩でも踏み込もうものなら生きては帰れぬ水晶巣崖も、今この瞬間だけは不気味なほどの静けさを辛うじて保っている。
「煙幕張って、片づけ終わらせて短距離転移で三人とも上に避難して………まさか、そこでレイ氏と出くわすとは」
「あはは………偶然、ですね」
口では軽く笑みを浮かべるに留めつつ、内心ではこの偶然という名の幸運をガッツポーズで噛みしめるサイガ-0であったが、ここでようやくサンラクの他に二人の人物がいることに気づく。
てっきり征服人形たるサイナかと考えていたサイガ-0であったが、どうもその二人はNPCではなく両者ともにプレイヤーであるようだった。
「あら最大火力さん」
「ええと…………イムロン、さん」
イムロン。
サイガ-0のリアルの姉であり、かつて所属していたクランのリーダーを務めるサイガ-100と同じく「勇者」のジョブに就く選ばれしと言って差し支えない程の数少ないプレイヤー。
だが「イムロン」という名は、勇者に就く者である以上にプレイヤーの中では最高峰の生産職であることの方が有名だろう。
「えーと……”あっち”で何度か顔合わせてるけど”こっち”だとそんなに、よね?」
「そう、ですね」
「…………………あ。ちょっと待ってやり直し。んン゛っ! こちらだと、そこまで顔を合わせない……だな?」
「…………………」
やり直したにしては、口にした内容自体は全く同じもの。違いがあるとすれば、口調と声音を明らかに無理に低くしている、という事だろうか。
(…………ロールプレイ?)
サイガ-0とて覚えがないわけではない。それ故にあえて指摘するようなことはせず、改めての問いに頷きを返す。
「時既に遅しじゃないか?」
「……ちょっと油断しただけ、だ」
「油断大敵」
「あーもうやかましいわね! トラディションとレボリューションの代金ボるわよ?!」
お二人はどういう関係ですか、とは問わない。
サイガ-0とて流石に学んでいる。サンラク………陽務楽郎という人物は、基本的にゲーム内では相手が誰でどんな人物だろうと大体こういうコミュニケーションをとるのだと。
ので、引きつりかけた表情を鋼の愛想笑いで固めつつ、もう一人の方へと視線を向ける。
「………………」
「………………」
特徴的、という意味ではこれ以上ないほどの特徴のある女だった。なにせ肩から三本目の腕が生えているのだから。
何かしらのアクセサリーではあるのだろう。レイドモンスターの撃破報酬の中にはプレイヤーを人外のような姿にするものもあったはずだ。サイガ-0もその全てを把握しているわけではないが、姉のアバターと同じく赤髪である女の髪よりもなお「赤い」腕は、プレイヤーの意志で動かすことができるのだろう。
す、と自身の頬を三本目の腕……その節だった手で撫でながら女は人の好い笑みを浮かべた。
「初めまして。ディープスローターと言います、サイガ‐0さん……お噂はかねがね聞いています」
「……こちらこそ。初めまして」
傍でサンラクが「ツラの皮も化けの皮もどれだけ分厚く……!?」と慄いているが、サイガ‐0……否、斎賀玲としては極めて珍しいことにそんな楽郎の様子を気にも留めずに目の前の女……まるで深窓の令嬢の如きディープスローターを見据える。
リアルを生きる斎賀玲とて、善意と優しさだけの世界でずっと生きてきたわけではない。
出会う人全てに好かれてきたわけではなく、やっかみを向けられたことだってある。だからこそ……極めて愛想の良い挨拶でほほ笑むディープスローターを見て、玲は直感的に理解した。
それはもはや確信に近い。何故かはわからない、分からないが………
───物凄く嫌われている。