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無影にて駆けろ、登れ、そして騒げ

普通(・・)、モンスターの行動パターンや思考ルーチンを変えるのであればそこにけったいな理由が介在することはない、「Aの行動に対して従来のB対処ではなく新たにCで対処する」という具合にプログラムを弄ればいいだけだ。だがこのゲーム……リュカオーンやウェザエモンのような特別なモンスターのみならず一般的なモンスターにも人工知能が搭載されている疑惑(俺所感)がある。そしてこのゲームの人工知能はちゃんと物を考えて行動する。


であればここで一つ疑問が生まれる。かつてインベントリアによる転移エスケープ移動術で水晶巣崖を歩いていた俺は、運営の実に迅速な対応修正によってミンチにされた経験がある。そして今現在もアトランティクス・レプノルカは転移によって消えた俺を待ち伏せ、アラバの介入がなければ俺を噛み砕くことに成功していただろう。

では、だ。運営によって転移エスケープ対策をインストールされた彼らは果たしてどういう「思考」で俺を待ち伏せているのか。それこそが現状における秘策であり、かつて舐めた辛酸にタバスコをぶちまけて運営に返送するポイントであると俺は考えている。


俺がシャチ野郎の心情を例える際に用いた「蝿退治」を例とするならば、俺が行った転移エスケープは「今まで目で追っていた蝿が忽然と姿を消した」に相当する。そんな時、普通なら周囲を見回しただ単純に見失った可能性を考え、それが不可思議現象であると分かったのであるならば蝿が消えた場所をマークするだろう。そしてもしも一部モンスターとやらに追加された思考パターンがその「見失ったから消えた場所を見張る」というものであるとするならば、だ。


「俺を「誤認」した場合は例の待ち伏せモーションは発動しないんじゃねえか……!?」


致命秘奥【ウツロウミカガミ】とはその名の通り水面に映った月の如く、敵対者の目に虚像の影を浮かび上がらせるスキルだ。かっこいいことを言っているが要するに発動時点でのヘイトを全て発動地点に置き去りにするスキル……どちらかと言えば「発動時点までのヘイトを持ったデコイ作成」と言うべきスキルであり、プログラム上での処理はともかくとしてモンスター自身からすればそれはプレイヤーを見失ったのではなく、プレイヤーがそこにいるのだと誤認しているわけだ。

さぁ運営よ、俺は俺の質問を今から自己解決するぞ。果たしてシャチ野郎は俺を……気配だけのデコイではない、正真正銘の俺が消えたことに気付くかどうか。俺一人ならどうとでもなるが、リスポンできないアラバが巻き込まれていることは少しだけ不安材料ではある。


「ええい、動かなきゃ良いも悪いも進まない!【転移:格納空間(エンタートラベル)】!!」


もはや倉庫としてよりも一時的避難所としてばかりつかっている格納空間内に転移した俺は、その場でカウントダウンを始める。数えるのは致命秘奥【ウツロウミカガミ】によって置き去りにしたヘイトデコイが消えるまでの時間に十秒を足した秒数だ。俺が残したヘイトが消失した時点でアラバがシャチ野郎に全力でちょっかいをかけ、その場から離脱させるという手筈だ。

もしも俺の立てた仮説が正しければ俺の残したヘイトが消えることでシャチ野郎の次のターゲットはアラバへと移行するはず、これでもし俺が再び戻った時に待ち伏せされていたら……まぁ、その時はその時だ。


「三……二……一…………頼むぞアラバ……【転移:現実空間(イグジットトラベル)】!」


足が支えていた重力が再び俺を落とさんと作用する。空中に投げ出された俺はある種死の覚悟を決めつつ周囲を見回し……百メートルほど離れた場所で宙を泳ぐ小蝿の如き点と、燃え盛る粒を目視する。


「おっしゃビンゴぉ! 見てるか運営! 修正するなら七日後でよろしく!!」


空中で一回転して体勢を立て直し、フリットフロートによる空中着地を絡めて落下ダメージを軽減。俺がこの世界から消えている間にシャチ野郎が暴れたのか、損壊している建物の中でも比較的無事なものに着地して走る。

パルクールの心得なんてネットで何の気なしに調べた程度の貧弱なものではあるが、動画として見たことは何度もある。そしてこの仮想の現実……理想を実現できる(アバター)さえあれば俺はそれを再現できる。

実際は身体の動かし方やなんやらがいろいろ異なっているだろうし、見てくれだけのものではあるが見てくれさえ同じなら結果も同じということだ。


壁を踏む、屋根を蹴る、宙を転がり(へり)を走る。俺が頭に到着した時点でアラバに合図を出さなければならない。そして後はシャチ野郎の思考ルーチンが目当ての技を選んでくれることを祈るしかない。

壁を蹴り、重力が俺を捉える前に屋根の縁を掴んでよじ登る。前ではなく横に飛び降り、別の家屋の壁面に走った亀裂を足場に落下の勢いを弱めて一階分頭の低い別の家屋へと飛び降りる。

フルダイブ黎明期のゲームには「仮想現実世界でプレイヤー自身が登場人物として体を動かす」という性質からやららめったらにアクロバティックな動きを要求するものが多い傾向にある。最近のある程度フルダイブというものに小慣れてきたゲームであればモーションアシストや特殊モーションで実質オート操作、などその手の対策はされつつあるのだが……まぁ、そんな親切がまだ実装されていなかった頃のフルダイブ、それもクソゲーともなればどんなものなのか。


「崩落異世界飛び石タイムアタックに比べればこの程度、舗装された手すり付き通路みたいなもんだ……!」


つまりそういうことだ、あのクソステージクリアするのに三日かかったんだよなぁ……ランダムで瞬間移動する足場はちょっと鬼畜すぎた。手前に現れた足場が二秒後にはゴール前に転移するせいでちゃんと自分がジャンプして届く範囲に足場が出現する乱数を……乱数、らん、す、すすすすすすすすすすす…………おっと悪夢は忘れよう、目的地に到着だ。


「凹凸自体は多いが、なんだこれ……他の家屋とは材質が違うのか? ずいぶんツルツルしてて登りづらそうだが……」


なんというか、塔というよりも装飾されたオブジェと言った方がしっくりくるような、摩訶不思議なデザインのそれを見上げ、ふと扉もなく開かれた塔の内部に視線を向ける。そこには例の「水中なんだか空気中だなんだかよく分からない領域」の効果なのか、まるで天女のごとく地面から浮かび上がった人型の、されど明らかに人ではない者がいた。

なるほど、ドレスのような羽衣のようなパーツ、優美な貴婦人のようにも見える姿は確かにモデルとなった生物がクリオネであると分かりやすく伝えてくる。

まるで透明な寒天のようなゼリー状の素材で人の形を作ったかのような封将なる存在はふと覗き込んでいる俺に気付いたのかふわりと笑みを浮かべ……


ぐばぁ


「…………人外萌えには需要が高そうっすね」


頭頂部からリンゴをカットするようにクリオネ封将の頭が裂け、どうやら人の頭部に擬態していたらしい触手(バッカルコーン)をうねらせる様はこう、人を選ぶジャンルではアイドルになれそうな……うん、これうまい具合に扉を通るようにシャチ野郎のレーザー通せたらあいつ爆散しないかな。


「いやいや、二兎を追うものはなんとやらだ」


綿密なチャートを立てずに二羽のウサギを追いかける狩人さんサイドにも非はあると思う、とりあえず二体同時クエストならステルス心がけて片方から処理するのは当たり前だろうに。

俺はなにやらアピールしているクリオネ封将から目を離し、塔の外壁に視線を巡らせて丁度良さげな道を探す。


「あそこの出っ張りに足をかけて、そこの縁に手をかけて……よし」


単純なクライミングではあるがスキルによるアシストも入れば俺でなくとも割とたやすく登れそうな塔だ。もはや攻撃スキルよりも酷使しているグラビティゼロ、遮那王憑き、フリットフロートの黄金コンボにステータスバフスキルを重ね、天狗並みの摩訶不思議挙動を可能としてタワークライムへととりかかる。

実際のところ壁や崖などを悪用して無理やり攻略することはままあるので(ゲーム内なら)この手のクライミングは得意だったりする。現実でやったら足を踏み外して腰を強打するのがオチだろうか。


「高さを調整……そろそろアラバに伝えた「時間」が来る」


この作戦の第一段階はアラバへのヘイト譲渡から始まり、次段階はアラバがシャチ野郎を引きつけ俺がタワーに登ることに繋がる。

そして第三段階、およそ一分間のヘイト引き受けを行ったアラバは、こちらの合図を受け取り次第全速力でタワーへと向かう。恐らくだがシャチ野郎は至近距離、中距離の相手に対しては嚙みつきや水晶羽による物理攻撃を行い、大体五十メートル圏内であれば放電攻撃、そしてそれ以上離れている場合はあのレーザーを放ってくるものだと考えられる。

言い換えれば五十メートル以上離れても戦闘が終了しないクソエネミーなのではと思わなくもないが、どうも奴さん隠れんぼは苦手のご様子なので上手く隠れられれば戦闘離脱自体はそこまで難しいわけでもない。


「つまりシャチ野郎から推定五十メートル以上離れた時、奴はレーザー攻撃を行う………アラバァ!! 全力でこっちに来いっ!!!」


とはいえ宙を泳ぐ、実質飛行可能モンスターと同じシャチ野郎から距離を離すのであればそのチャンスはただ一つ。

遠目でも気づかない方がおかしい程にはっきりと分かる蒼い雷の球体が閃光と轟音を伴って展開される。

チャージ三十秒、判定前の空白に二秒、そして判定適用中の五秒……チャージ中は自在に動くので実質七秒で五十メートル以上の距離を離す……現実でそれをできる人物が少ないとしても、ここならばそう難しいことではない。


「サンラクっ! 託したぞ!!」


「おうさ!!」


塔のほぼ天辺付近、ガラスが張られていない窓の上部を足場代わりに塔の外壁へ張り付く俺はこちらへと猛烈な速度で泳いできたアラバに不敵な笑みを見せ、そして放電攻撃を終えてアラバの姿を探すシャチ野郎と視線を交差させる。


「離席してて悪かったな、相手してやるよ魚類もどきめ……!」


小蝿一号、リターンズ。その事実を認識したシャチ野郎は迷うことなく、その身の炎を、雷をより強く放つ。さぁ来いアトランティクス・レプノルカ、ここからは俺とお前によるチキンレースだ。

クリーオー・クティーラ「なんでっ!どいつもこいつもっ!中に入ってこないのっ!!」

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