好機と、懊悩と、またしてもガバ
時間は数分ほど前まで戻る。
このゲームにおけるレアモンスター中のレアモンスター、ゲームのサービス開始から今に、そしてこの先に至るまでただ一体しか存在しない七種類のユニークモンスター。その内の一体である「夜襲のリュカオーン」との激闘に火力的貢献は皆無ではあったとはいえ、攻略メンバーの末席に座ることが出来た秋津茜は非常に、そう非常に舞い上がっていた。
「わぁ……あれが調査船ですか! とても大きいですね! 豪華客船みたいです!」
「そうで御座るな……」
フィフティシアにクランの拠点があるためにそこへと向かったサイガ-0や何やら慌ただしく用事があるからとラビッツへ戻っていったサンラクと違い、部活の朝練もなくなんの予定もない秋津茜は思う存分にフィフティシアという街の景色を楽しんでいた。
NPCの中には奇妙な面をつけた少女に訝しげな視線を送る者もいたが、プレイヤーからすればその手のアバターを作る奇特なプレイヤーなどいくらでも見かけることができるためにそう注意が向けられることもなかった。
少なくともフィフティシアに到達するような、秋津茜やサンラクのような最高効率で突っ走る少数派ではないコツコツと真っ当にレベルを上げて真っ当な強さを得てここにたどり着いたプレイヤー達の注意を引きたいのであれば、格好ではなく挙動の特異さが必要になるだろう。
「わぁ凄い……! 魚の串焼きですか! 一本ください! 味うっすいですね!!」
冷静に考えて失礼極まりない感想も、仮面越しですら伝わってくる喜色の気配を見れば売った方も悪い気はしない。AIが「気配を察する」ということがどれだけ異常なことなのかを一々考えるよりも、今この瞬間を楽しむことこそが真にゲーマーとして健全であると言わんばかりにはしゃぐ秋津茜に、マントに擬態したシークルゥは周りに聞こえぬよう小声で話しかける。
「凄いはしゃぎように御座るな」
「私、海って見たことなかったんですよね。だからゲーム内でも海を見れてすごく楽しいです!」
「
「そうですか? でもサンラクさんとエムルちゃんは割と普通に話してますよね?」
「エムルも大概強い子になったで御座るからなぁ、ディアレの奴が焦っておったのは痛快で御座ったな」
恐らくヴァイスアッシュ直系の子の中でも上位の実力者にまで上り詰めたであろうエムルであるが、彼女がサンラクと普通に話しているのは彼の独り言のほとんどを戯言と処理しているからであることを知る術は今はない。
仮想の現実……すなわち虚構であったとしてもシャングリラ・フロンティアのグラフィックはそれ単体で並のゲームを凌駕する。潮騒の響き、活気と共に街を包む潮風の香り、朝日はキラキラと海を街を世界を照らし、魔法と幻想が確たる実態と共に存在する港街フィフティシアは、秋津茜にとってはどれだけ見ても飽きがこないものであった。
と、そんな秋津茜の眼前に景色を遮るかのように無粋なウィンドウが表示される。
『ユニークシナリオ「深淵の使徒を穿て」を開始しますか? はい、いいえ』
「へ? なんで?」
ユニークシナリオ、その言葉の意味は理解している。要するに超レアなミッションだ……だが今この瞬間に表示された理由がわからない。ユニークシナリオとは経験の浅い秋津茜からすれば「何か凄いことをした後に出てくるもの」という認識である。
実際それは間違っていない。ユニークシナリオとは通常のクエストとは毛先の異なる、この世界に生きる者たちによる物語であるのだから。それは例えば夜の帝王を相手に威を示すことであったり、天穹の覇者の逆鱗を穿つことであったり、この世界の根幹……貫かれた大穴の最奥に至ることであったり。だからこそ、ただ観光してただけでユニークシナリオが発生することは基本的にありえない。であれば何故秋津茜の前にそれが現れたのか。この疑問、サイガ-0であればたやすく理解することができただろう。
このゲームにおける「パーティ」とはある種の一心同体である。中心となるリーダーが発生させた依頼は他のメンバーにも発生し、拒否権自体は存在するがかいつまんで言えばリーダーさえ条件を満たせば他のメンバーは観光していても同じクエストを……ユニークシナリオを受注することができるのだ。
そして、数時間前までリュカオーンを倒すために結成された臨時のパーティは、その前身たる「エリア攻略のための二人組パーティ」の時点からのリーダーが回らない頭で慌しく動いていたためにパーティが解消されておらず、またパーティで行動したことこそあれ、常に野良パーティに追加で加わるという形で参加しリーダーによるパーティ解消で離脱していた秋津茜にはパーティを自分から解消するという考え自体が存在していなかったのだ。
「うーん……よく分からないけど、折角出てきたなら受けてみるのも一興ですね!」
それ故に、秋津茜は眼前のユニークシナリオが未だパーティで繋がったままのサンラクが発生させたものだとは思いもよらぬし、それを遠慮するという思考に至ることもない。
世の中には二種類の人間がいる。文章に釣られてスパムメールを踏む人間とそうでない人間である、秋津茜は割と前者寄りの人間であった。躊躇いなくシナリオ受注の「はい」が押され、狐面の忍者と白マントは突如として現れたマッチョの群れによって、樽の中に放り込まれることとなる。
「パーティ……ど、どうしましょう……」
サイガ-0は激しく懊悩していた。彼女の眼前には未だ自身がサンラクや秋津茜、そして二羽のヴォーパルバニーとパーティ関係にあることを示すウィンドウが表示されている。この繋がりから抜けることはたやすい、今現在進行形で表示されている「パーティから離脱しますか?」という問いに対して「はい」を押すだけでいいのだから。
だが、理屈でそれを理解していても心情がそれを激しく拒んでいた。
折角繋がった縁を自分から断ち切ることは難しい、それが強感情に起因するものであれば尚更に。分かっている、分かってはいるのだ。放置していたところでいつかはサンラク側から切られてしまうものであり、そしてしばらくすればクランメンバーと改めてパーティを結成しなければならない以上、向こうからパーティを解消するのを待っていることはできないということも。
「う、ううう………」
半ば無理を言って昨日は予定を空けたのだ、今朝から現実でもゲーム内でも姉から戻ってくるようにと急かされている。追加の新大陸調査船が完成した以上、クラン「黒狼」のメインメンバーたるサイガ-0は早急にレベルキャップを解放する必要がある。だからこそ今現在のパーティを解消しなければならないし、調査船に乗り込む為の準備を整えなければならない。
先発隊からの情報により調査船上で戦闘が発生することは判明しているし、船内にあるショップで購入できるアイテムは値段が高いことも分かっている。だが、だがしかし、たった一度選択するだけのそれはリュカオーンに挑むのと同等かそれ以上にサイガ-0にとっては困難な問題であった。
「む、むむむむむ………!」
指を伸ばす、引っ込める。覚悟を決める、やっぱりちょっと待って。
優柔不断という熟語の例として映像ごと広辞苑に乗せてしまえそうな状態で人差し指が虚空でシャトルランを行う、ただ普通のシャトルランと異なる点は時間が経つごとに指の動きが遅くなっているということだろう。
(分かってます……分かっては、いるんです……でも、その……自分から切るというのは気がひけるというか……余計な感傷だということは分かっているんですが……そう、苦労して作ったトランプタワーを自分で壊す感覚というべきか……)
優柔不断に右往左往する指とは逆に、思考ばかりが加速していく。自分で自分に言い訳をしている姿は本人からすれば滑稽そのものであるが、傍目からすれば迫真の威圧感を巨軀の騎士の身で撒き散らしているようなもので、その身に「呪い」を、「傷」を刻んだ者たちとはまた違ったベクトルでNPCのみならずプレイヤーすらをも遠のかせていた。
「なんだ来ていたのか
「……ええ、まぁ」
「何をおまえはさっきから奇妙な動きをしているんだ、新大陸に行く前に高濃度回復薬を大量に作る必要がある、今から「神話の大森林」で角狩りマラソンだぞ」
「あぁ……うん……ちょっと待って、今パーティを解消するから……」
これ以上の迷いは姉だけではなく、他のメンバーにも迷惑をかけてしまう。それにフレンド関係ではあるのだ、パーティの繋がりはまた結ぶことができる。意を決して「はい」を押そうとするが、やはり心のどこかにいる恋愛脳がやめろ早まるなと叫んでのたうつ。
「ええい南無三!」
「いきなりどうした!?」
首をひねって顔をそらし、目をつむって迷いですら止められない勢いで指を突き出す。だからこそサイガ-0はそれを認識することもなければ、それを認識して指を止めることもできなかった。
『ユニークシナリオ「深淵の使徒を穿て」を開始しますか? はい、いいえ』
パーティを解消するかの是否を問うウィンドウを押しのけるようにして、最新の情報を伝えるウィンドウ……すなわちパーティリーダーが発生させたユニークシナリオに参加するかの是否を問うウィンドウが発生したことを。
そしてオブジェクト耐久の低いアイテムであれば一発で破損できる力が篭った「
「…………あ、あれ? 今確かに押したはずじゃ」
「おっしゃ野郎ども見つけたぜぇ!
「
「えっ、ちょ、待っ……きゃぁぁあぁあ!?」
「ふぎゅぅぅぅ!?」
「シークルゥさんんんんん!? あ、サイガ-0さんでしたっけ! お久しぶりです!!」
そして、いったい何が起きているのか誰も理解していない中、サイガ-0の巨軀を軽々と樽の中へと投げ込んだマッチョの群れによって、二人と一羽は破落戸通りへと運ばれていくのだった。
「あー……ええと………」
秋津茜の説明と、レイ氏の推測。そして自身による調査によっていったい何がどうしてどうなったのかを把握した。パーティを解消していなかったということ、そして偶然にも俺がパーティリーダーであったために、ユニークシナリオが二人にも発生したということ。
そして夜襲のリュカオーンのみならず、深淵のクターニッドについてもこの二人が関わってしまうかもしれないという事実……果たして俺はどうするべきか。
脳内会議は大紛糾と殴り合いの末アポカリプスと化し、最終的に現れた
「なんかもうどうにでもなーれ!」
「よく分からないけどサンラクサンそれでいいですわ!?」
「ははは、お空きれーい」
今更二人増えたところでなんだ! 楽しけりゃそれでいいんだよ!!
・赤鯨海賊団「バレル・デリバリー」
マッチョたちによる「クエスト開始地点に存在しないプレイヤーを連行する」ある種の強制イベント。
プレイヤーを樽に詰め、運ぶためだけに出現するNPCではあるが強制イベントであるため何よりも優先される彼らのSTRは、極めて限定的な状況においてのみ「無制限」になる。
そのため、サイガ-0のような重装備の騎士をお手玉よろしく樽に詰めて爆走していく満面の笑みを浮かべた海賊マッチョによる樽神輿は相当ホラー。