魔女の森~日陰の花に日が当たる時~

作者: ちゃむにい




寂しげに嘶く渡り鳥の鳴き声に、歩む足を暫し止めて、眼下に広がる風景を眺めた。湖面には、白い鳥が群れを成して羽根を休めていた。


「もう冬だな」


凍てつく風が頬を撫で、髪を乱す。

千尋の谷を抜け、幾多の川を渡り、霧深い森の獣道を歩いてきた。山という山を渡り歩く狩人でも、滅多に立ち入ることのない所だ。

けれどこの先には、まるで森と同化してしまったかのような、古い家がある。

此処に来る途中の風景はだいぶ変わってきてしまったが、この風景は変わらない。小高い丘の上に立つ家の下には、清流が流れており、苔むした切り株が見える。そこでは、放し飼いされている数十匹の鶏が水を飲んでいた。


家からは良い匂いが、ぷんと鼻先をくすぐった。

今夜は鳥肉を煮込んだシチューだろうか。


それは、家の主である魔女の得意料理だった。


「魔女殿、お久しぶりです」


手を振る姿が見えたので、帽子をとってお辞儀をした。

まだ駆け出しの冒険者だった頃は、仲間と共に、この土地で数年という歳月を過ごした。私にとって魔女とは家族も同然だった。この家を出てからも文通はしていたが、騎士として国に仕える身の上ともなれば、中々逢うことも出来ない。

もう、5年は逢っていないだろうか。


「まぁまぁ立派になってしまって。そんな風にしたら、本当に騎士様みたいだね」

「いえ、騎士なんですよ」


苦笑いをした。

彼女にとって、私はまだ子供のままなのだろう。


「あんなにやんちゃだったのにねぇ、こんなに礼儀正しくなってしまって」

「そりゃ、きつく叱られてますから」

「そうだろうねぇ、色々聞かせて貰えるかい?」

「はい、喜んで」


私は、話した。

彼女に聞いて欲しいことや、聞きたいことが、積もりに積もっていた。5年という歳月はあっという間に過ぎ去ってしまったけれども、自分にとって、仲間たちと共に、この家で過ごした思い出ほど大切な時はなかった。

こうやって魔女と喋っていると、あの頃に戻ったような感覚に陥った。

しかし、しばらく話している内に、気になることが出てきた。


「なんか暗い顔ですね、どうされたのです?」


誰より近しい存在だったからわかる、微妙な違いだった。

そして、心配になる。


「近頃、あまり天気も良くなかったですよね。育てている薬草が病気にでもなったのですか? それとも熊でも出たのですか? お手伝いできることがあるなら……」

「ちょっと、どうしたらいいのかわからないことが起きてねぇ……」


魔女が言うには、彼女の孫に問題があるらしい。

それを聞いて私は、つい疑問が口から出てきてしまった。


「お子様がいらっしゃったのですか?」


長い付き合いになるが、そんなことはまったく知らなかった。


「失礼ね。私にだって、ロマンスはあったんだから」


バッチンとウインクをする魔女に、私は飲んでるお茶を吹き出した。

お茶が変なところにはいってゴホゴホとむせていると、魔女は海よりも深いため息をついて、こう言った。


「実は、馬鹿息子、若い女と再婚したらしくてね。その女が孫を虐めて家から追い出したらしくて……」


地図を頼りに、祖母の家までたどり着いたころには、足は血だらけになり、家の前で倒れてしまったらしい。


「朝起きて鶏の世話をしようと家から出たら、女の子が倒れているもんだから、生きた心地がしなかったわ」

「それは……」

「此処以外に、行くあてもないって言うじゃない? しかたなしに、家に置くことを許可したんだけどねぇ……つい先日には魔女になりたいと言い出して、頭が痛いの」

「良い話じゃないですか」


魔女とはいえ、不死ではない。

きっと、自分が死ぬより前に、この地から旅立ってしまうだろう。けれど、この思い出の多い場所を、森に返すのには抵抗があった。


「此処は良いところよ。けれど、悪いところも多いわ。何よりもあの子は、隠居生活するには早すぎると思うの」


悲し気な表情をする魔女に、私は困惑した。

あれほど人間を忌み嫌っていた魔女の、思いやりにあふれた言葉に、年月は人を丸くするんだな、と感じた。

それとも、やはり魔女でも孫は可愛いものなのだろうか。

魔女は思い悩んでいるようだが、やはり良い話のように思えた。たしかに何もないところだが、このように自然があふれているところだからこそ得られることは多いだろう。


「あんたみたいにドラゴンに乗って来るんじゃなければ、不便なところだしね、なにしろ」


風呂をたくだけでも、けっこうな重労働よと言う魔女は、しかしたいして苦でもないように指を一振りして、外に放置されていた薪を拾い上げた。

魔法に警戒して、ガルル、と鳴くドラゴンを落ち着かせながら、私は笑顔を変えずに言った。


「そうでもないですよ。だって、その不便なところが魅力なんです」


此処に住んだら、まき割りから何から何まで、すべて自分でやらなければいけない。もちろん、水運びだってそうだ。魔女は魔法を使えるから、そのような重労働からは解放されるが、本人曰く身体が動く限りは魔法は使わないそうだ。だから、今出されているお茶の水も、魔女が川からくんで運んできたものだ。

そう思うとお茶でさえ、貴重なものであるような気がする。ここにいると、すべてのものに感謝する生活になる。騎士を辞めたら、こんなところに住んで悠悠自適な生活をしてみたいと思っているのだ。


「人が寄り付かないからこそ魔女としては住みやすいけれどね、普通の人間の女の子では……」

「普通の子なんですか?」

「魔法を使えるように教えているけれど、あまり才能があるとは言えないわね。……あら、もうこんな時間」


話しに夢中になって、時が経つのを忘れていた。

外を見ると、もう夕暮れ時だった。


「そろそろ暗くなってきましたね」

「ブランシュ、まだかしら?」

「あ、呼んできましょうか?」

「そうね、たぶん裏の畑にいるわ。お願いしてもいいかしら?」

「もちろんです」


そうして、私は裏戸から外に抜けたが、そこで見たものに驚いた。

大きな木の陰に、それらしき人を見つけたのだが、何と泣いていた。魔女からもらったという大事な指輪を落としたらしくて、どうしてもそれが見つからなくて、泣いていたのだ。

手分けして探したが、なんとか太陽が落ちて暗く前に、それらしきものを発見した。その指輪からは微量だが魔力が宿っていて、特別なものだということがわかる。


これが探しているものなのかを確認してもらおうと、手の平を広げて彼女に見せた。


「これかな?」

「これです! あぁ、良かった……!」


ありがとうございます、と土下座をするぐらいの勢いでお辞儀をした。そして、彼女がお辞儀して身体を戻した瞬間、長い前髪の隙間から、彼女の隠れていた顔が見えて、固まった。


「……は?」

「はい?」

「ちょっと、顔、もっと良く見せて」

「え……」


薄い青色の瞳に、ぷっくりとした愛らしい唇。

何というか、ぶっちゃけると、めちゃくちゃ好みの顔をしていた。なんで、こんなに可愛いのに、髪で隠してしまうのか意味がわからない。


「すごい、可愛いね」

「そ、そうですか?」


ストレートに褒めると、照れて真っ赤になってしまった。

そんなところがまた可愛くて、笑った。


この日、彼女に一目惚れをしてしまった私は、魔女殿にも認めてもらって交際を始めることにした。幸いなことに、彼女も私の事を好きになってくれたようで、逢って当日に告白という荒業も乗り越えることができた。

それからしばらく清い交際というやつをしていたが、魔女殿の体調があまり良くなくなってきたことを機に、騎士を辞めて移住する決意を固めた。


それから数年後、森に溶け込んだ家からは元気な子供たちと、魔女の困ったような、けれど楽しそうな声が響くようになった。




その後の魔女と騎士:.。:..:*゜



「美人でしょ? 私に似てね」

「魔女殿……もしかして、そのつもりで私に迎えに行かせましたね?」

「さぁてね、どうかしら」


含み笑いをする魔女殿に、してやられた、と思いつつも自分が得た幸運に胸をなで下ろす。間違えると、仲間の内の誰かに、彼女を取られる事になったかもしれない。

魔女が自分を選んでくれたからこそ、出来た縁だった。


「この年になっても、こんな事を思うとは思わなかったよ。孫を見たから、もういいやと思っていたのに、ひ孫の顔が見たくなるだなんてね」

「ひ孫が出来たら、大人になるまで見たくなりますよ」

「そうだねぇ」


魔女殿は、そう言って笑顔になった。