第一話
「イーディス嬢。せっかく嫁いでもらった初夜にこんなことを言うのは無礼だと思うが」
ゆらりゆらりと蝋燭の炎が揺れる薄暗い一室。
心底申し訳なさそうに、少しぱさついた栗色の髪に綺麗な青の瞳、そして渋みのあるお顔をした殿方――今日よりわたしの旦那様となる人が言った。
「これは白い結婚とし、君を愛することはないと宣言しよう」
「……なぜでしょうか? わたしに粗相があったのでしたら謝罪します」
「君に責はないよ。僕のような萎びた男と君は釣り合わないからだ。うら若き乙女に肉体関係を求めるわけにはいかない」
白い結婚。
この上なく非常識なことを告げられたのに、特段戸惑いはなかった。
ベッドに腰掛けるわたしは、正面にある扉を背に預けている彼を改めてまじまじと見る。
今までの人生の歩みの証であろう皺が刻まれているものの、四十歳という齢から考えても決して萎びては見えない。
歳の差約二十の結婚ではあるが、貴族においては珍しくもなんともないし。
ただ、普通と違うのはこれが家の事情などでの政略結婚ではなく、互いに何の利益もないことくらいだろう。
「仰りたいことはよくわかりました。確かにこれはお互いにとって不本意で、愛のない結婚ですからね」
「……ああ」
「旦那様を非常識だとか無礼だとかは思いません」
「ありがとう」
それだけの言葉を交わして今夜は就寝することになった。
せっかく生家から持ってきた初夜の衣装は意味がなくなってしまったけれど、まあいいか。
わたしはまったくもって現状を悲観などしていない。
結婚生活は始まったばかり。押し付けられただけの不幸な婚姻のままで終わらせるのは嫌だった。
せっかくの人生、幸せになった者勝ちだ。全力で幸せになってやる。
「絶対に後悔なんてしたくない。最初は愛はなくても、築いていけるはずだもの」
なるべくわたしから離れるためだろうか――縮こまるようにして眠ってしまった夫へと笑みを向けながら、決意を固めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
全ての始まりは、わたしがこの国の第一王子殿下と懇意になってしまったことだった。
懇意と言っても大したことはない。十五歳から十八歳までの子女が通う貴族学園でクラスが同じだからという理由で複数回話しかけられ、答えたくらいなものだ。
わたしはあくまで学友のつもりで、あわよくば王族との繋がりを持って生家であるユージュア子爵家に利益をもたらせないかと考えていた程度。
王子殿下が何を考えていたかは知らない。
とにかく、周囲の目には友人関係ではなく、恋人か何かだと映ってしまったようだ。
成績優秀で容姿端麗と名高い侯爵令嬢を筆頭とした、高位貴族の令嬢がたの集団に目をつけられるまで、そう時間はかからなかった。
侯爵令嬢はわたしを屹と睨みつけて「私こそが、殿下の婚約者に相応しいのです」などと言い出す。
他にも「子爵令嬢のくせに生意気ですわ」とか、「美しく高貴な王子殿下に易々と近づくなんて、とんでもない毒婦ですこと」とか、取り巻きのご令嬢から散々罵られた挙句、ユージュア子爵家にとんでもない圧力をかけられた。
王子殿下が庇ってくれるということもなく、『子爵家が資金難になったから』という名目で退学を強いられてもなお、嫌がらせは終わらない。
わたしの退学とは無関係のような態度、それどころかこちらを心配をする素振りすら見せて親しげに振る舞ってきた。
そして意地の悪い顔で言うのだ。
「イーディス様、いい縁談が見つからなくて困っていらっしゃるのでしょう? 素敵な殿方を紹介して差し上げましょうか」
ユージュア子爵家は商いに強く、家業を手伝って生きていこうと思っていたわたしは婚約者をあえて作っていなかった。そこにつけ込まれてしまったのである。
拒否できるものなら拒否したかった。というか拒否してみた。だって、ろくな縁談じゃないだろうとわかり切っていたから。
でも家の力の差があり過ぎて押し切られるしかなかった。
さて、侯爵令嬢から紹介してもらった……正確には場を設けられ強制的にお見合いさせられた相手は、居心地悪そうに俯いていた。
フレドリック・リーモン様。没落寸前の貧乏男爵と揶揄され、社交場ではよく壁のシミとなっている。
彼はいわゆるバツイチで、もう五年以上独り身だという。離縁の原因は金銭トラブルが原因だったらしい。
四十歳超え、しかもいつ平民になるかわからない相手との結婚。なるほど、やはりひどい。
でもわたしは思った。
――まあ、変態やら女好きやらという噂がないだけマシかしら。よくよく見れば顔も結構わたしの好みだし、と。
侯爵令嬢の手の者がお見合いを監視していたので、当たり障りのない話をしてから婚約を結んだ。
そして数ヶ月後、持参金もないままに送り出されたわたしはフレドリック様とあっさりと挙式して、色気も何もない初夜に至ったわけだった。