いつも通っているファストフードの店員にスマイルくださいと毎回お願いし続けた結果
「ポテトLください……あ、あとスマイル一つ。テイクアウトで」
俺がいつも毎週水曜日の昼に通っているマクドナルドには、同じ女性の店員さんがいる。
そして俺はいつも同じメニューを頼む。
メニューと言ってもポテトLのみ。
ああ、あとスマイル一つ。
「いつもいつもこの時間帯に来て同じメニューを頼みますよね」
「まあ、好きだからな」
「……え、突然告白されても困ります」
「いや、話の流れ的にそっちの好きじゃないことくらいわかるだろ」
「冗談です。あ、380円になります」
俺は財布から380円ぴったりを取り出し、彼女に渡す。
しかしお金を渡しても、店員は依然として無表情のままだ。
学生時代と全く変わらない。
何を考えているのか全くもってわからない。
そうして自分の番号が呼ばれたとき、俺は受け取り口に行く。
「ポテトLになります」
「あの、スマイル入ってないんですけど」
「スマイルは売り切れでした。申し訳ございません」
「毎日売り切れじゃん」
「私のスマイルは人気の上にスマイルに限りがあるので」
お互いに特に表情を変えずにそんな会話をする。
学生時代が思い出されて、この瞬間が一番気楽だ。
「ありがとうございました」
俺は頼んだ商品を彼女から受け取り、店を後にした。
外は寒い、暖かかった店内と比べて息を吐けば息は白くなる。
「今日もスマイルもらえなかったな」
一ヶ月前の水曜日、俺は昼にマクドナルドが食べたくなり、ふとマックに寄った。
結果、なんと高校時代、一個下の後輩だった月下 穂波がそこでバイトをしていた。
彼女とは同じ天文部で仲が良かった。
表情はあまり変えないけれどたまに真顔でボケたりと面白くて可愛げのある後輩だった。
そんな後輩と7、8年ぶりくらいに再会した。
大学はもちろん全く別で、社会人になって、まさか再会できるとは思っていなかった。
前の仕事を辞めてからは職がなくて暇なので彼女と会った時間と同じ時間帯に来ている。
彼女目当てで来ていると言ってもいいかもしれない。
まあ、暇つぶしである。
当分は仕事をせずにバイトでなんとかする予定だ。
申し訳ないと思いながらも両親の仕送りも受けているので生活はできている。
俺は平日の犬と散歩しているお爺さんしかいない公園のベンチに座る。
そして音楽を聴きながらポテトをしっかり咀嚼して食べる。
揚げたてのポテトは温かく、冷たい風にあたる体を少し暖めてくれた。
ポテトを食べ終えた頃、高校の時に歌った卒業ソングが耳に流れてきた。
それと同時に、高校時代の思い出が脳裏に蘇る。
俺は音楽に耳を傾けて目を瞑った。
***
「月下 穂波です。よろしくお願いします」
天文部は廃部寸前の状態だった。
新入生募集の5月までに新しい人が入らなければ廃部。
部にいたのは高校二年生が二人と高校三年生が一人、そして顧問一人。
廃部も間近か、そんなことを考えていると穂波が入ってきてなんとか廃部を免れた。
「部のきゅ、救世主だ……月下さんは星とか宇宙が好きなのかい?」
「いえ、特に。ただ、そこの先輩に入る部がないならと猛烈に誘われました」
「……柊くん? 強引な勧誘はやめてと言ったはずだよね?」
「あはは、す、すみません」
「どうする? 月下さんが嫌だったら部を辞めてもいいけど」
「いえ、大丈夫です。入ります……部の雰囲気とか楽しそうですし。どうせ入りたい部活なかったので」
穂波を天文部に誘ったのは俺だった。
天文部のチラシを配ってアピールしていると、話しかけてきたからだ。
当時、星や惑星が好きだったので廃部にさせまいと少々熱がこもっていた。
故に穂波を熱心に勧誘して天文部に入部させた。
それが穂波との出会いだ。
俺は高校時代の思い出が天文部の思い出しか記憶に残っていない。
将来は宇宙にまつわる仕事をして、などと夢ばかり見ていて友達があまりいなかった。
だから高校時代の思い出はほぼ穂波との思い出と言ってもいい。
「あれ何の星ですか?」
「アルタイルだね」
「ということはあっちがベガなんですか?」
「そうそう、覚えてきたじゃん」
穂波は星や星座に関する知識が全くと言っていいほどゼロだった。
それでも俺が話すことには興味を持って聴いてくれた。
たまに夜に夜空が綺麗に見えるところに言って一緒に星を見たりした。
今思えばそんな日常も青春だったなと思う。
穂波との会話は他愛もないものも多かった。
「先輩って好きな人いるんですか?」
「うん、いるよ、今見えてる」
「あの、そ、それって……」
「そうだね、星だね」
「……勘違いさせないでくださいよ。先輩」
穂波は無表情の時が多かった。
けれど口調や声色がコロコロ変わるのでわかりやすかった。
「穂波は好きな人いるの?」
「いるけど内緒です」
「え、誰。同じクラス?」
「だから内緒です……ちなみにその人はどうしようもない馬鹿で鈍感な人です」
「……珍しく穂波が笑った」
「私だって笑いますよ……でも、まあ、見せても先輩にだけですけど」
ごくたまに穂波は微笑むことがあった。
そんな笑顔が可愛くて、穂波と過ごす日々は楽しくて、今思えば貴重な日々だった。
もし学生時代に戻れたら……そう思えば思うほど先が暗くて見えない今の人生への嫌気が増した。
***
「……最悪、財布ない」
午後五時ごろ、アパートの一室で俺は真っ青な顔をしていた。
今の財産をチェックしようと財布を開けようにも、財布がなかったからである。
どこに忘れたのだろうか。
ポテトとスマイルの会計後はしっかり財布をポケットに入れた記憶がある。
となるとどこかに落としてしまったのか。
まず探さないと始まらないので俺は家をすぐに出た。
そしてマクドナルドへの道をしっかりと見ながら歩いていく。
慌てて外を出たので自分が今薄着であることに気づいた。
しかし財布を無くしたことに対する危機感が大きい。
「あの、大丈夫です。この後用事あるので」
財布をくまなく探している時、聞き覚えのある声が反対の歩道から聞こえてくる。
そちらを見てみれば、穂波に複数の男性が絡んでいるようだった。
穂波は相変わらず無表情だが少しだけ眉をひそめている。
「や、やめてください」
「えー、いいじゃん。ちょっとくらいは時間あるんでしょ」
「今、急いでるんです」
会話の内容的におそらくナンパだろう。
車通りの少ない道路だったので俺は道路を渡った。
そして穂波の元へと向かう。
「あの、すみません、うちの友達に何かようですか?」
「友達……? んだよ、おっさん。俺たちはただ声をかけただけなんですけど。正義の主人公ぶってるんですかあ?」
薄着で髪も少しボサついていたのでおじさんと見られたらしい。
結構ショックだが、そんなことはどうでもいい。
俺は何も言わずにしばらく穂波に絡んでいた男性三人を睨みつける。
「なんか喋れよ。喧嘩売ってんのか?」
「……もう行こうぜ。警察呼ばれたら面倒だ」
「ちっ……」
穂波に絡んでいた男性たちはそうして去っていった。
生まれつき目つきは悪いので何とか穏便に収まったらしい。
「あの、ありがとう……ございます。先輩」
「どういたしまして。災難だったな」
「怖かった……です」
穂波は息を吐いてそっと胸を撫で下ろす。
瞳は潤んでいて手はまだ少し震えているようだった。
自分より大きい男性三人に絡まれるなど恐怖でしかないだろう。
「まさか先輩に助けられると思ってませんでした……あの、何か奢ります。飲み物とか」
「気にしないでくれ。後輩に奢られたくはない」
「言っても一歳差じゃないですか」
「じゃあ……そこの自販機のホットココアで」
今更ながら薄着であることの弊害が出てしまう。
流石に寒すぎる。
「どうぞ、ホットココアです」
「ありがとう」
「……ていうか、その格好寒くないんですか?」
「正直めっちゃ寒い……」
「上着持ってないんですか?」
「……財布ないことに気づいて急いで探しに来たからな」
今、かなりダサい格好をしている。
それに薄着の理由もダサい。
先輩としての威厳が全然保てていない。
もう先輩後輩は関係ないとは思うがイメージダウンすぎる。
「財布……もしかしてこれだったりします?」
穂波はバッグから茶色の細長い財布を取り出す。
それは俺が探し求めていたもので間違いなく俺の財布だった。
「あ、それ!」
「先輩のだったんですね」
「ほら、大学の時の生徒証」
「本当ですね。よかったです。財布が見つかって」
「ありがとう……財布なかったらどうしようかと思ってた」
俺は穂波から受け取った財布を自分のポケットにしっかりと入れた。
今度は落とさないようにしないといけない。
「じゃあ財布も手に入ったし帰るよ、気をつけて」
「あの、先輩、ちょっと待ってください」
「うん? どうした?」
「ちょっと話しませんか? 卒業してからの先輩の話とか聞きたいです」
穂波はそう提案する。
たしかに穂波が何をしていたのかこちらとしても気になる。
「そうだな……って言っても俺の話、何の面白みもないぞ」
「いいですよ、聞きたいです……ってわけで先輩の家、行きましょう」
「え、何で俺の家?」
「……先輩薄着ですし寒そうだなって」
「まあ……たしかにそっちの方が助かる」
「じゃあ行きましょう」
先輩後輩の関係だったとはいえ、過去の話。
今はほぼ他人と言ってもいい男性の家に行くなど穂波には危機感というものがないのだろうか。
とはいえ寒さには抗えず、俺は穂波を家に案内した。
***
「何飲む? コーヒーくらいなら用意できるぞ」
「じゃあそれでお願いします」
俺はコップにホットコーヒーを入れて穂波に渡した。
家に穂波がいる、それだけで学生時代を思い出す。
穂波は座布団の上にちょこんと座って部屋を見渡していた。
「先輩、一人暮らしなんですか?」
「そうだな、一人暮らしだ」
「部屋、意外に綺麗なんですね……もっと汚いかと思ってました。私も一人暮らしですけど部屋自然と汚くなっちゃいません?」
「汚いのはなんかイライラするからな」
「高校時代は結構汚かったですよね」
「あの頃はひたすら宇宙とか星とかそういうのにハマってたからな。片付けすら面倒だった」
なぜあんなに地球の外のことにハマっていたのかわからない。
その熱量が今でもあればなと思う。
今は適当にご飯を食べて適当に寝て、適当に過ごしている。
仕事漬けだった日々よりはマシだが、そのせいで今は物事に対して気力が起きない。
「高校卒業してから、先輩どうしたんですか? 第一志望受かって喜んでましたよね」
「そうだな、まだあの頃は宇宙の研究とかそういうのしたいなって最初の頃はやる気もあったよ。けど段々、勉強も苦しくなってきて、熱意も冷めてきて……普通に就職した」
「なるほど、飽きてしまったら仕方ないですよね。今は何の会社で働いてるんですか?」
「会社やめて……今は無職」
「そう……ですか」
「前の会社がブラックで気づいたらぶっ倒れてたから流石にやめた」
「……ごめんなさい、踏み込みすぎました」
高校時代は頑張れば何でもできる気がしていた。
第一志望に合格して、調子に乗って、大学でも頑張るぞと意気込んだ。
最初の方は順調だった。
天文部に似たサークルに入って天体観測したりして、順調だった。
けれどメンバーの一人のうちと喧嘩して、勉強も段々苦しくなってきた。
それでも同じ環境で自分より上手くやっている友人や能力が高い友人を見て現実を知った。
やがて頑張ることが苦しくなって、熱意も消えてしまった。
サークルからも抜けて、普通の大学生活を送った。
普通の人間なんだから普通に生きようとして、でも仕事漬けの毎日の末に倒れて、また現実を知った。
「穂波は?」
「私は……お恥ずかしながら先輩と同じ大学行きたいなって思ってたんです。先輩のおかげで宇宙のこととか好きになって……けど落ちちゃって第二志望の大学に行きました」
「そっか、先輩と同じ大学行きますって宣言、嘘じゃなかったんだな」
「はい、結構本気でした。で、落ち込んでたんですけど、やっぱり星とか夜空見てるとまた頑張ろうって思って……今は大学院で研究してます。将来は研究職に就きたいなって」
穂波が歩んだ人生は俺とは反対だった。
第二志望に行っても、大学で頑張って大学院に進学している。
本当に自分が情けなく思う。
「俺とは……大違いだな。お互い変わったな」
「あの、先輩、もしよければ……」
何かを言いかけたが穂波は何も言わなかった。
そしてしばらくお互いに気まずい空気が流れる。
「……いえ、やっぱり何でもないです。それよりあの天文部どうなってるんでしょうね」
「さあな、廃部になってないといいな」
「ですね……思い出の場所ですから」
それから俺は穂波と昔の思い出に花を咲かせた。
時間も時間だったので料理も用意して振る舞った。
「先輩、料理上手なんですね。今度教えてください」
「教える機会だったらな」
やがて時刻も八時を回った。
穂波が帰るということで俺は家まで送って行くことにした。
夜道は怖いので可愛い後輩を守ってください、と言われたのだ。
それもそうなので話しながら夜道を歩いている。
「先輩、今、無職なんですよね」
「うん、無職だけど」
「じゃあ暇ってことですよね?」
「……単発のバイトあるくらいでたしかに暇だな」
「じゃあ毎週水曜日と日曜日、迎えにきてください。あんな目に遭っても困るので」
「いいけど、何時?」
「17時に終わるので出待ちしといてください」
「わかった。じゃあ連絡先交換しない? 穂波、高校生の時、携帯持ってなかっただろ」
「そうですね、交換しましょうか」
そうしてそれから一ヶ月が経った。
毎週水曜日と日曜日にマックに行って穂波を出迎える。
「マックポテトL、とスマイル一つですか?」
「わかってるじゃん」
「残念ながらスマイルは売り切れです」
シフトが終わる直前にマックに行って、ポテトを頼んで、食べながら待つ。
そして穂波のバイトが終わったら穂波の家に入れてもらって、料理を教えて、そんな習慣になっていた。
「ん、やっぱり先輩の教えてくれたハンバーグのソース美味しいですね」
「だろ? 結構自信ある」
「ふふ、美味しい」
たまに見せてくれる穂波の笑顔に相変わらずドキッとしてしまう。
性格もやっぱり学生時代と変わらなかった。
ただ、学生時代よりはしっかりとした大人になっていた。
あの頃は穂波が一人の時は見ていて心配するような不安定さがあった。
けれど今はしっかりとしている。
「穂波って笑顔可愛いよな」
「なっ……何ですか、急に。口説いてるんですか?」
「いや、結構真面目に」
「そうですか……あ、ありがとうございます」
穂波は目を逸らして頬を赤くする。
やっぱりわかりやすい。
「照れてるところもいいな」
「う、うるさいです」
「穂波ってやっぱり結構わかりやすいな。基本無表情だけど」
「……まあ、そうかもしれませんね」
わかりやすい穂波を見るのは正直楽しい。
けれど流石に大人にもなってこの揶揄いは流石にうざいだろうか。
そう思って俺はこれ以上は揶揄わないことにした。
「もっと笑顔で居ればいいのに。そしたらマックの売り上げも伸びると思うぞ」
「この笑顔は……この笑顔は先輩専用なので」
穂波はそれだけ言うと優しく微笑む。
何だよ、それ、俺専用って。
そんなのまるで、勘違いしてしまう。
「あ、先輩もわかりやすいですね」
「マジで良くないぞ」
「私を揶揄った罰です」
俺は残りのハンバーグを口に運ぶ。
しかし先ほどまでしていた味がなぜか薄くなっていた。
「そういえば、先輩、今週の土曜日暇ですか?」
「もちろん暇だけど、どうした?」
「よかった……あ、ちょっとだけ待っててください」
穂波は椅子から立ち上がってテーブルを離れる。
そしてすぐに一枚の紙を持って、帰ってきた。
「これ、一緒に行きませんか」
「……まじか、懐かしい。続いてたんんだな」
穂波が持ってきたのは一枚のチラシ。
そのチラシの内容は天文部のプラネタリウムだった。
俺と穂波が卒業した高校と近くの大学の天文部によるショーだ。
このプラネタリウムは俺が高三の頃、高校と大学が協力して始めたものだ。
どうやらまだ続いているらしい。
「あの時は大変だったな、けど楽しかった」
「久しぶりに行きたくなったので行きましょう」
「……すまんが正直、そう言うの飽きた」
俺は穂波の誘いをキッパリと断る。
もうあの頃みたいに夜空を見ても何も思わないだろうから。
「でも先輩どうせ暇じゃないですか。堕落した一日を過ごすだけでいいんですか?」
「それは……そうだけど」
「あーあ、こんなに可愛い後輩のデートの誘いを断っちゃうんですね。勿体無いなー。いいですよ、私一人で寂しく行ってきますから」
「わかった、行くから! 行くから俺の心に攻撃しないでくれ」
俺は穂波の精神的攻撃と圧に負けて、プラネタリウムに行くことに決めた。
以前は俺がプラネタリウムに誘う立場だったのに、すっかり逆になっている。
穂波といるとやっぱり調子が狂わされる。
熱のあった学生時代を思い出して、そんな気分に少しでも浸れる。
俺は自然と表情が緩んでいた。
***
「先輩、お待たせしました。朝に終わらす予定だったレポートに苦戦を強いられました」
土曜日の午後10時過ぎ、待ち合わせ場所で穂波を待っていると一分ほど遅れてやってきた。
穂波は少し息を切らしていて、急いで来たようだ。
「そこまで待ってない……院生は大変なんだな」
「レポートとか課題多いですからね」
院生はやはり忙しいようだ。
俺はそこから逃げた身とも言えるので素直に尊敬する。
そうして俺は穂波とプラネタリウムの講演会場へと歩き出した。
「やっぱり大きい……久しぶりです、見るの」
会場に入ると家族連れやカップルが多かった。
とはいえ席の割にまだあまり人は来ていないらしい。
「俺も、高校生以来だ」
「へー、意外です。先輩のことだから、彼女作って行ったことあるのかと」
「いや、今カノも元カノもそもそもいないから」
「……なんかごめんなさい」
「やめろ、謝られると余計傷つく」
予約した席に座り、二人でそんな会話をしながら始まるのを待つ。
会話をしていれば開演まであった時間はすぐに経ち、やがて講演が始まった。
『数多の星に数多の惑星。皆様が住む地球の外には……』
モニターの映像が滑らかに動きながら宇宙の映像を流している。
館内の光源はモニターだけで、俺と穂波はモニターに釘付けになった。
デネブ、ベガ、アルタイル、スピカ、シリウスなど、様々な星と星座が映し出される。
同時に忘れていた記憶が段々と蘇ってくる。
「私……星の中だとスピカが好きです」
「なんで?」
「言葉の響きもそうですし、何より先輩が私の誕生日に教えてくれた星だからですよ」
そんなことを言う穂波の横顔は綺麗で、映像の星に見惚れていた。
こちらの視線に気づいたのか、穂波も視線をこちらに向ける。
そして恥ずかしそうに頬をかいて、表情を綻ばせた。
「……今の、やっぱり忘れてください。言ってなんですが恥ずかしかったので」
「いや、覚えとく」
「性格悪い先輩ですね」
小声でするそんな会話は耳がくすぐったかった。
俺は再び前を見て、プラネタリウムを純粋に楽しむ。
しばらくして、モニター全面に星や惑星が映し出されて盛り上がりを見せた時だった。
左手の指の先に温かい感触を感じた。
見てみれば穂波が俺の指の先をギュッと握っていた。
嫌ではなく、そんな感触はむしろ心地よかった。
俺は一度穂波の拘束を解くも、再度穂波の手をしっかりと握った。
***
「時間が経つの早いですね」
講演も終え、昼食も食べ終えて、時間を潰していればいつの間にか午後6時。
辺りはもうすでに真っ暗で、上を見上げれば月と明るい星はもうすでに見えていた。
「もう帰るか?」
「そうですね、でもちょっとだけ寄りたいところあるのでいいですか?」
「いいよ、時間はあるし」
家に帰っても特にやることがないので時間には余裕がある。
そうして俺は穂波と夜道を歩いていく。
「ちなみにどこに寄る予定?」
「内緒です。けど先輩と行ったことある場所ですよ」
まったく見当がつかなかったが、次第に見覚えのある道に入っていく。
故に懐かしさが込み上げ、どこに行くか察する。
「あそこか、懐かしいな」
「プラネタリウム見た後なので、どうせならと思いまして」
やがて坂を登って大きな広場に入る。
広場に入った後、さらに広場の中にあった階段を登った。
登った先にも誰もおらず、広場内には俺と穂波の二人だけだった。
ただベンチだけが置かれている。
「懐かしいな、ここの天文台。山上ってだけあって広場に人が少ないから穴場だったよな」
「二人で結構来てましたよね」
「そうだな……お気に入りの場所だ」
二人でベンチに座り、生の夜空を眺める。
いつもは何も思わないのに今日ばかりは綺麗だと感じる。
夜空に広がる星の数々は瞳にはっきりと写っている。
「ちょっと、肩貸してください。疲れました」
穂波は俺の左肩に頭を乗せる。
寒いはずなのに体の内側はかなり熱っていた。
そして距離が近くなったことでお互いの手も当たって、二人で手を繋いだ。
「先輩の手、あったかいです」
「穂波の手は逆に冷たいな」
「そうですね、なので温めてください」
穂波の手を握る手を少しだけ強める。
その手は細く、華奢で穂波の手の冷たさがこちらにも伝わってくる。
「先輩は……私のことどう思ってますか?」
しばらく無言で二人で夜空を眺めていると、穂波がそんなことを聞いてくる。
どういう意図の質問だろうか。
「仲の良い後輩とか友達?」
「それだけなんですか」
「もちろん言いたいこともっとあるけど言葉にまとめづらい」
穂波は仲の良い後輩で友達だ。
その認識は大人になった今でも変わらない。
「ふふ、仕方ないですね。じゃあ私が先輩に対して思ってること言います」
穂波がそう言うと穂波が俺の手を握る力が強くなる。
そしてしばらく間を置いた後、息を吸って言葉を発した。
「先輩」
「どうした?」
「好きです」
穂波から発せられた四文字の言葉。
その言葉は一番求めていた言葉で、一番聞きたくない言葉だった。
「先輩とか友達としてじゃなくて、一人の異性として一人の男性としてあなたのことが好きです」
「……いつからから聞いてもいいか?」
「高校生の時からです。思いを伝えれないまま、先輩が卒業して……後悔しかなくて、やっと切り替えられたと思ったら久しぶりに先輩と会って、やっぱりどうしようもないくらいかっこいいなって」
穂波が真っ直ぐに思いを伝えてくれて、真っ直ぐに好きと言ってくれる。
嬉しいし、想いに応えたい。
けれど今の俺は穂波のそばに立てない。
「穂波が恋したのは高校生の時の俺なんじゃないか? 星に興味があって、活力があって、そんな俺を好きになったんじゃないのか? 今の俺は無職だし、何もやってないし、穂波が好きになるようなところなんてない」
「関係ないです、私は先輩が好きなんです」
穂波にはもっと相応しい男性がいる。
なのになぜ、こんな俺にここまで想いを真っ直ぐに伝えてくるんだよ。
「過去も今も関係ないです。私は先輩が好きです」
「なんで……」
「あの時、一人だった私を助けてそばにいてくれたのは先輩でした。私がナンパされて困っていた時も先輩は助けてくれました。先輩のおかげで星の名前が覚えられました。先輩のおかげで夢が見つけられました。先輩のおかげで……この感情を知れました」
「けど……俺は逃げた。好きになるところなんて……」
「ありますよ、いっぱい。先輩の好きなところ。先輩は昔とは違うって言ってますけど今も昔も私にとってはどうしようもないくらい好きで優しい先輩です」
穂波の言葉はどれも今の自分に刺さる言葉で、けれど救われるようなそんな言葉だった。
そして穂波は言葉を続けた。
「だから先輩」
穂波は深くを息を吸って言った。
「私と付き合ってください」
これ以上ない嬉しい言葉だった。
本当はこちらから言いたい言葉だった。
でも同時に言えない言葉でもあった。
「俺は……」
「今すぐじゃなくてもいいですよ。けど考えておいてください。私と付き合うこと」
「……ごめん、ちょっとだけ待ってくれ」
「いいですよ、私はいくらでも待ちますから」
曖昧な返事だった。
しかし穂波の方を見れば頬を赤くしながらも笑顔だった。
「好きです、どうしようもないくらい」
真っ直ぐに好意を向けてくれる彼女の想いに応えたい。
もう逃げたくない、いい加減変わりたい。
だって、穂波のことが好きだから。
「これだけ聞かせてください。先輩は私のこと好きですか?」
「うん、好きだよ、どうしようもないくらい」
「っ……そうですか。じゃあ待ってます、返事」
穂波はこちらに視線を向けてニコッと笑った。
その瞳には夜空に咲いた星々と笑顔の自分が写っていた。
***
「お待たせしました、柊くん」
午後5時ごろ、穂波を待っていると店の中から穂波が出てくる。
いつも通りの日常、けれど前とは変化もある。
「毎回、ポテト食べてて飽きないんですか?」
「スマイル一つだけだと変な人って思われるだろ。いつも売り切れだけど」
「今日はでも売り切れじゃなかったですね」
「……どういうこと?」
「スマイルお持ち帰りって言ったじゃないですか。なので今日は柊くんの家、行ってもいいですか?」
「そういうことか、いいよ」
「ゲームしたり、映画とか見ましょう」
俺は穂波と歩き出す。
すると穂波は俺の腕を抱いて引っ付いた。
「あの、ちょっと恥ずかしいんだけど」
「別にいいじゃないですか。柊くんの彼女なんだから当然の権利です」
穂波は平然とそんなことを言う。
あまり表情は変えないがやはりわかりやすい。
「柊くん、明日はまた仕事ですか?」
「ああ、そうだな。大変だけど楽しい」
「じゃあ明日の夜ご飯は柊くんの勤めている居酒屋で食べますね」
しばらく無職だった俺だが、居酒屋に勤めることにした。
変わらなきゃいけない。
怖かったけれど正社員として応募して就職した。
居酒屋の仕事は思ったよりも大変だった。
しかしやりがいがあって楽しい、そう思える職場だった。
いつか自分の店を出してお客さんの笑顔を見たい。
そんな新しい夢もできた。
全部、穂波の支えのおかげだ。
「いいけど、厨房だから俺見えないし、ご飯ならいつでも作るぞ?」
「ただの気分です。たまには外食もしたいなって」
「なるほど……じゃあ今度二人でどこか食べに行く?」
「そうですね、行きたいです」
「どこ行きたい?」
「ふふ、柊くんとならどこでもいいですよ」
「嬉しいけど一番困る返答だな」
何気ない会話をしながら家までの道を歩いていく。
この先もまたお互いに苦労だったり、逃げ出したいと思うような問題に直面するだろう。
けれど穂波と一緒にそれを乗り越えたい。
先の見えなかった人生に光を与えてくれたのは穂波だ。
これから先も穂波とずっと一緒にいたい。
空を紅くする夕日は帰路につく俺たちを眩しく照らしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。