98 仕事
いかつい禿頭が剣呑な目つきでこちらを見下ろしていた。隣の癒し系なカイナさんの存在があっても、その雰囲気は中和しきれるものではない。
それがトレジャーハンターに舐められないための体面だという事を知っていても、そしてその表情がガークさんにとってみれば睨んでいるつもりはないという事を知っていても、根が臆病な僕としてはその前に座らされると萎縮してしまう。
僕はひさしぶりに探索者協会に拉致されていた。
帝都支部の支部長として多忙を極めているはずのガークさんが僕を捕まえるためにわざわざクランハウスにやってくるのはどう考えてもおかしいと思う。そして、僕にとって天敵である支部長を平然と通してしまうエヴァには一言物申したい気分だ。
探協の応接室に座らされ、それだけで幻影を殺せそうな眼光を受ける事数分。
ガークさんはおもむろに口を開くと、いつもの低い恫喝するような口調で言った。
「クライ、てめえ、グラディス伯爵家といざこざを起こしたそうだな?」
「いや……起こしてないけど」
「支部長、それではまるでクライ君を叱責するために呼んだように聞こえますよ」
起こしていないけど土下座の準備をしていた僕に、カイナさんの嗜めるような声がかかる。
どうやら要件は小言ではなかったらしい。僕は叱られるのに慣れすぎ、ガークさんは叱るのに慣れすぎであった。
ガークさんは少しだけバツの悪そうな表情をすると小さく咳払いをした。
「そういうつもりじゃねえ。グラディスから感謝状が来ている。お前と、アークにな」
僕に感謝状が来ている理由はわからないが、僕とアークに感謝状が来ているのならば僕ではなくアークを捕まえるべきである。
あいにく、こっちは忙しいのだ。嘘ではなく本当だ。
幻の生成は本当に奥が深い。さっさと帰ってミニチュア帝都を作る練習を再開しなくては――。
「そして、感謝状に追加で、お前に指名依頼が来ている。あのハンター嫌いのグラディス伯爵が、だ。そこそこヤバそうな案件だが、報酬は十分だ、礼と力試しのつもりなんだろう。受けろ」
指名依頼というのは、受注条件にハンターの個人名が記された、特定ハンターやパーティを名指しして出される依頼である。
指名依頼がなされるのはそのハンターの知名度が高まった証であり、信頼されている、実力を認められている証でもある。
依頼内容の傾向としては、難易度は高いが報酬は更に高めである事が多く、依頼者の格によってはさらなる栄光が約束されている、お得な仕事だ。
僕も最初に指名依頼が来た時は皆でお祝いしたものである(ちなみに依頼自体は受けなかった)。
探索者協会を通した正式な依頼。相手が貴族ともなれば、慎重に対応せざるを得ない。僕は真剣な表情で一番大切な事を確認した。
「それって受けるの誰でもいいの?」
「お前、頭沸いてんのか?」
ハンター嫌いの貴族の依頼である。探協としては、グラディス卿にハンターの有用性を示す大きなチャンスなのだろうが、僕は絶対に受けたくない。
中身を聞かなくてもそれが僕の許容範囲外だという事はわかるし、引退したい系ハンターにとって貴族からの依頼など厄介事以外の何物でもない。
僕は真剣に悩む振りをしていつもの手を使う。
「今うちのパーティ、二人しかいないからなあ……別に僕が仕事を受けたくないとかそういうわけじゃないけど、アークに任せた方がいいと思う」
顔色を窺いながら出した言葉に、ガークさんが深々とため息をついた。後ろではカイナさんが苦笑いをしている。
ガークさんは僕の予想に反した落ち着いた声で言った。
「…………受けておいた方がいいぞ。クライ、お前、今期何も依頼を受けてねえだろ?」
「あぁ……ノルマか。もうそんな時期なのか」
「笑い事じゃねえぞ?」
探索者協会に所属するハンターにはその認定レベルに応じて果たすべきノルマが存在する。それは宝物殿の探索だったり、強力な幻影・魔物の討伐だったり、外部から持ち込まれた依頼の達成だったりするのだが、一定期間、連続でそれを満たせないと、ハンター失格の烙印を押され、探索者協会からの除名と言う重い処分を受けることになる。
もっとも、それらのノルマは、名前だけ登録して活動しない『名ばかりハンター』を防止するための策であり、探協からの除名処分など滅多に起こる事ではない。
ノルマは普通にハンターとして活動していれば意識する必要のない量だ。大怪我をして活動できないなどの理由がある場合、緩和もされるし、仮に一度ノルマを満たせなかったとしても次の期間に達成すれば問題ないため、その存在自体忘れているハンターも多い。
だがその制度は普段依頼を受けない僕にとって鬼門だった。
《始まりの足跡》と《嘆きの亡霊》のメンバーの活躍により、リーダーである僕の功績ポイントは半自動で溜まり続けているが、それだけではノルマは達成できないのだ。
僕は自分のノルマを覚えていないが、基本、ノルマはレベルに比例するように依頼の質と達成期限が長くなる。
眉を顰め考えるが、いくら考えても自分のノルマは思い出せなかった。そうだね……多分そもそも覚えてないんだね。
「……これで何期目だっけ?」
「三期目だ、馬鹿野郎ッ! クライてめえ、除名されるぞ!?」
期間の区分は半年で一期なので、三期目となると約一年半僕は何もやっていない計算になる。
そう言われてみれば、半年前も去年も同じような文句を言われた記憶があった。
カイナさんが困ったような笑みを浮かべる。
「クライ君が何もやっていないわけではないという事はわかっているんですが、表向き依頼を受けたのは他のハンター達だけという事になっているので……」
「謝る必要はないぞ、カイナ。それは、メンバーに加えようと言っているのに断っているクライの勝手だ」
だって僕、何もやっていないし。
例えば、『白狼の巣』で骨拾いをやったのはティノ達だし、異常を調査したのはスヴェン達だ。依頼をぶん投げただけで殆ど苦労もしていない僕がどうしてそれを自分の功績だと言い張れようか。
ましてや、ハンターの依頼とは報酬が定量な物がほとんどである。僕が参加したことにすれば、その分他のハンター達の報酬が減ってしまうのだ。ついでに僕は腐っても認定レベル8なので、振り分けられる報酬や功績ポイントも大きなものになり、その分だけ他のハンター達が損をする。
他のハンター達の報酬が減らないのであれば僕の名前を加えるのもやぶさかではないが、さすがに迷惑をかける訳にはいかない。
このクライ・アンドリヒ、依頼はぶん投げるわ借金はするわ、エヴァに運営は全て任せるわと、ろくな人間ではない事を自覚しているが、そこまで厚顔無恥になった記憶はない。
「レベル8がノルマ未達成で除名処分なんて事になったら前代未聞だ。いい機会だろう? 呼びに行かねえといつまで経っても来ねえからな」
支部長が自ら呼びに来るとかVIP待遇かな?
……いつも迷惑を掛けて本当に申し訳ございません。
だが、それでも僕は全くやる気がでなかった。
そもそも、僕自身の感情としては除名されるのは吝かではないし、もしも仮に依頼を受けるとしても指名依頼なんかじゃなくてもう少し簡単な依頼がいい。
それに加えて――ノルマを達成できなくてもガークさんがなんとか誤魔化してくれるのではないかという甘い考えもあったりする。そうだね……ダメ人間だね。
誰か幻で帝都のミニチュアを作るみたいな依頼をください。
「うーん、今、実は少しこみいっていて……」
「クライ君、いつもこみいってますよね……」
「んん? 今度は何に手を出してんだ?」
ガークさんが頬を引きつらせ唇を歪め、まるで威圧するかのような笑みを浮かべた。
この笑み……完全に僕の嘘がバレている。
ちらりと壁のカレンダーを確認する。まだ今期は三ヶ月程残っていた。
ともかく、万が一依頼を受ける事にしたとして、貴族からの依頼に失敗は許されない。僕一人ではとても無理だ。ルーク達が帰ってくるまでなんとしてでも猶予をもらわなくてはならない。
せっかく新宝具で楽しい気分だったのに、頭の痛い問題が起こってしまった。
僕は眼の前に出され、手を付けていなかったお茶を一息に飲み干し、はっきりとお茶を濁した。
「まー、まだ期間はあるし、僕にも予定がある。調整しつつ前向きに検討してみるよ」
「いつまで経っても来なかったらまた呼びに行くからな。ああそうだ、一応グラディス家から預かった依頼書を渡しておく」
「今はいらないよ。準備が出来たら取りに来るから」
僕には頼りになる味方がいる。プライドも何もあったものではないが、いざとなったらアークに土下座して合同で依頼を受ければいいだろう。
探索者協会の制度にも抜け穴がある。ノルマはどうとでもなる。問題はグラディス卿からのありがたい指名依頼をどう受け流すかだけだ。
何もしていないのに疲れてしまった。部屋に戻って『踊る光影』で遊びながら、いい案がないかじっくり考えるとしよう。