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96 お礼

 鼻歌を歌いながらクランマスター室に向かっていると、丁度廊下を歩いていたエヴァにばったりと遭遇した。


 久しぶりに晴れ晴れとした気分だった。いつも感じているクランマスターという重責に対するストレスや未来への不安も今ばかりは忘れている。


 今の僕は――そう、一人で歌でも歌いながら踊りたい気分だ。ハードボイルドじゃないからやらないが。


 あまり感情を表に出さないようにしていたのだが、僕のポーカーフェイスからいつもと違うものを感じ取ったのか、エヴァが目を丸くして聞いてきた。


「どうかしたんですか? ずいぶん機嫌が良さそうですが」


「え……? そう? 機嫌が良さそうに見える? 本当に? そりゃ参ったなぁ……」


 さすが付き合いが長いだけあって、エヴァには隠し事はできないな。

 僕は、面倒臭そうな目で見てくるエヴァに、右腕に嵌めた黒色の腕輪――受け取ったばかりの『踊る光影(ミラージュ・フォーム)』を見せつけた。


 結局ケーキは僕の口に入らなかったが、もはやそんな事笑って許せるレベルの代物である。

 ティノの家に行ったのは本当にタイミングがよかったようだ。


 エヴァの表情が一変し、目尻を上げこちらに詰め寄ってくる。


「……ああ!? また新しい宝具を買ったんですか!?」


「え? い、いや、違うよ。ティノが見つけたのを貰ったんだよ。借金は増えてないよ」


「……はぁ…………それはそれで、どうかと思いますが……」


 まぁ、僕もどうかと思うことはあるが、ティノとリィズの師弟関係に口を挟むわけにもいかず……柔らかく諌めてもリィズは全く聞かないのであった。僕ができるのはあまり目を離さないようにして逐一様子を確認してあげる事くらいだろうか。


 だが、今はそんな事はどうでもいい。素晴らしきは、この宝具の力である。

 腕輪型宝具は無数に存在するが、『踊る光影(ミラージュ・フォーム)』の能力は凄くユニークだ。好き。


 こういった替えがきかない宝具は、需要次第で値段も大きく上下するので相場の判断が難しいが、間違いなくレベル1程度の宝物殿で手に入るような代物ではない。


 既に魔力はチャージ済みなので、まだどこか腑に落ちない表情をしているエヴァにこの宝具の素晴らしい力を披露する。

 腕輪型の宝具は幾つも持っているので、発動のコツは掴んでいた。腕の感覚が拡張し、しっかりと手首に感じる『踊る光影』に神経を通す様、念じる。腕輪がほんのりと発熱し、広げた手の平の上で光が踊った。


「ほら、見てよ、エヴァ! ケーキだ!」


「は、はぁ……ケーキですね……」


 出してみせた幻はティノの家に持っていったケーキだった。

 薄黄色の特製生クリームに、マナ・マテリアルの濃い森から採取した希少なフルーツを乗せた一品である。


踊る光影(ミラージュ・フォーム)』は立体のイメージを幻として投影する宝具だ。使い所は難しいし、有効に使うには訓練が必要そうだが、使い道は幾通りも浮かぶ。


 エヴァは僕の手の平の上に乗せられた、どこか線がおぼつかないケーキを見て、触れて、指が像にめり込むのを確認し、微妙な表情をした。


 確かに僕がティノに持っていったケーキとは何かが違う。匂いや味や触感がないのは幻なので仕方がないが、そもそも外見が違う。あのケーキは帝都にやってきて十年、試行錯誤の上で熟達した腕前で成形されたものであり、まるで芸術品のような見た目をしていたが、僕が出したケーキの幻は色と形が何となく似ているだけの別物だ。本物の横に並べればさぞできの悪さが目立つことだろう。


 ……僕がよく形をイメージできなかったせいです。味に夢中で外見をよく覚えていなかったのだ。

 練習すればうまく出せるようになると信じたい。


「……ほら、そんな表情をせずに……ほら、エヴァも出せるよ! エヴァ!」


 有効射程は一メートル――正確に言うと、一メートルと二十センチらしい。これは幻を出せる距離でもあるが、同時に出せる幻の大きさの上限でもある。

 つまり、この宝具を使えば大体の人間を等身大で出せるのだ。腕輪を中心に一メートル二十センチなので、上下で二メートル四十センチまでならば如何なる見た目も自由自在! 

 アンセムは半分くらい見切れてしまうが、ガークさんくらいならば余裕である。側にしか出せないというデメリットがあるが、うまく使えば宝物殿でも威嚇や牽制になるのではないだろうか!?


 問題は魔導師の使う魔法に、もっと簡単且つ広範囲に幻を成形できる術が存在するという点だけだろう。


 現れたエヴァは、近くに本物を置いているだけあってそっくりだった。スリムなメガネからジト目まで瓜二つだ。よく見ると細部は違うんだろうが、双子と呼べる程度には似ている。


 ……首から上だけだが。


 エヴァは宙に浮かぶ自分の生首を無表情で叩き、僕を幻そっくりのジト目で睨みつけた。


「……遊ばないでください」


「身体は苦手なんだ……ちゃんと見ていないからどうなっているかわからないし、ローブで隠せばいけるんだけど……」


 てるてる坊主のような格好になった自分の幻を見て、もう一度エヴァははっきりと言った。


「や、め、て、く、だ、さ、い!」



§



 私室に戻り、自前で作っているコレクションの目録に『踊る光影(ミラージュ・フォーム)』を追記する。

 癖はあるが、もしかしたら使いこなせば『転換する人面(リバース・フェイス)』の代わりとして、変装に使えるかもしれない。可能性は無限大だ。


 今すぐにでも特訓したい気分だが、ルシアが帰ってきていないので魔力チャージ的にかなり厳しい。

 試しに自分の顔に被せる形でアークの顔を作ってみて鏡を確認、あまりのできの悪さに失笑する。


 アークの金髪の端々から僕の黒髪が見えている様はあまりにも奇怪だった。

 『転換する人面』と違い、『踊る光影』で生み出す幻に実体はないので、変装に使うにしても注意が必要そうだ。髪が邪魔にならないようにまとめられる帽子とか必要かもしれない。

 そう言えば、シトリーが髪を短くしているのは、変装しやすくするためだって言ってたな……。


 継続時間を確かめるため、なんちゃってアークの姿で目録の確認を再開する。


 目的は――ティノに相応しい宝具だ。


 こんなにいい物を貰ってしまったのだ、何かしらお返ししなくてはならないだろう。

 もともと、今リィズやシトリーがメインで使っている宝具も、僕がコレクションの中からチョイスして渡したものである。僕は宝具コレクターだが、飾ってそれを眺めて悦に入るタイプではなく、ちゃんと使ってもらって仲間の役に立つ事に喜びを見出すタイプだった。


 ティノがいつから宝具を使うかについては師匠であるリィズの心次第だが、いつかうちのパーティに入るのだから選定しておくのは無駄にはならない。

 久しぶりの楽しい仕事に浮き浮きしながらコレクションの一つ一つに思いを馳せる。

 ティノは盗賊なので、リィズと同じタイプの宝具がいいだろうか? あるいは、同じパーティに入るのだから別のタイプの宝具がいいだろうか?


 僕のコレクションは膨大である。一通り使い勝手は確認したが、強力なものもあれば、魔法などで代用できる品もある。

 メインで使用する宝具の選択はハンターにとって、もしかしたら一生を左右する重要なイベントだ。ティノは真面目な娘だし、僕もコレクションを分けるのなら使いこなしてくれる人がいい。適当なものを渡すわけにはいかない。


 ベッドの上で溜めに溜めた目録を捲っていると、扉が小さく叩かれた。

 呼び出していたティノだ。返事をすると、扉が細く開き、黒い瞳が恐る恐るこちらを覗いてくる。


「失礼します……ますたぁ……」


 か細い声。いつもと違い、ずいぶん緊張しているようだ。

 別に、今日宝具をあげるつもりはない。今日は話を聞くだけだ。それをもって、僕がじっくり宝具を選ぶのである。場合によっては新しい物を買う。ティノのためだったら、マーチスさんのコレクションを強請れるかもしれないし……。


 じっと見つめ合っていると、ティノの背を押すようにしてリィズが飛び出してきた。

 ティノが短く悲鳴をあげてつんのめる。わざわざ着替えたのか、部屋を訪れた時とは異なる、裾の短い黒のスカートがひらひらと翻る。


「クライちゃん! きたよぉ!」


「……掃除は終わったの?」


「信頼のおける業者に頼んだのでバッチリです。大して壊れていませんでしたし……」


 満面の笑顔を見せるリィズの後ろから、シトリーがニコニコしながら入ってくる。ティノだけしか呼んでいないのに、何故かお姉さま二人までついてきたらしい。

 宝具の選定にはパーティメンバーや師匠の意見も重要なので別にいいけどね……。


 リィズは僕の姿を見ると、一瞬きょとんとしてクスクス笑った。


「何その顔? アークちゃんの真似? うけるう!」


「……よく僕だってわかったね」


「あははははは! 匂いと気配でわかるし。そんなわかりやすい変装で、私がクライちゃんの事を見間違えるわけないでしょお?」


 そういえば『転換する人面』で初めて変装してみせた時も、リィズ達は即座に見破って見せた。

 あれには実体もあったのだが、全く通じなかった。げに恐ろしきは高レベルハンターの感覚という事か。それにしては……エヴァにも見破られたのが解せないのだが。


 シトリーもしげしげと僕の変装を確認し、小さく頷く。


「クライさんとアークさんでは体つきも違いますし……クライさんを知らない人ならばともかく、クランメンバーで騙される人はいないのではないかと」


 練習あるのみなのか……今度リィズやシトリーに付き合ってもらって幻を出す特訓をしたほうがいいかも知れない。

 ちょっと気落ちするが、今日のメインはティノだ。


 ティノはお姉さま二人に囲まれ、スカートの裾をいじりながら、伏し目がちにこちらを窺っていた。

 その視線は僕と、ずらりと並んだガラスケースに交互に向けられている。


 事前に呼んだ理由は伝えてある。ティノの中にもイメージするものがあるだろう。


「あ、あの……ますたぁ――」


「クライちゃん、めちゃくちゃ強い宝具頂戴? ティーはまだマナ・マテリアルの吸収も足りてないしぃ、修行中の雑魚だからぁ、それを少しでもカバーできるやつ! ティーじゃ、例えば『天に至る起源(ハイエスト・ルーツ)』を貰っても、意味ないでしょお?」


 一切悪気のない顔で言い切り、リィズがとんとんと自分の足元を叩いた。

 リィズにあげた宝具はシンプルで、状況を一変させるような強力な性能は持っていない。

 『天に至る起源(ハイエスト・ルーツ)』の力は――宙を蹴れるようになるというただそれだけである。本人のたゆまぬ努力があって初めて活きるタイプの宝具だ。


 確かに、ティノにはまだ早いかもしれない。

 言葉に詰まるティノを他所に、もう一人のお姉さまがゆっくりと頷く。


「そうですね。私達でカバーできる範囲にも限界がありますし……純粋に耐久力や身体能力を上げる宝具などがあれば、それがいいかもしれません。大きく向上させるものがあれば、ですが……」


「お姉さま……それは――」


 ティノが涙目になる。ハンターにとって、宝具で身体能力を向上させるのは未熟の証だと言われていた。そういった部分はマナ・マテリアルの吸収でいくらでもカバーできるからだ。

 僕は全く気にしないが、中にはそういった宝具を使うハンターを侮蔑して憚らない者もいるらしい。だから、ハンターの間では基礎能力を強化する系の宝具は人気がない。


 二人の意見を聞き、首を傾げる。


 ティノには少し可哀想だが、レベル8認定の宝物殿は凶悪らしいのでリィズやシトリーの言葉はあながち冗談とは言いきれない。可愛い後輩をいびっているわけでもないだろう。


 どうしたものか。僕個人の意見としては、リィズやシトリーの意見を聞くだけではなく、ティノの意思を全面に推したい。宝具と人の間には相性というものもあるのだ。


 僕はしばらく目をつぶって唸っていたが、別に今日決めなくてもいい事を思い出し、大きく頷いた。

 コレクションは逃げないのだ。何度も呼び出してティノに合う宝具を探していけばいいじゃないか。


 しかし、身体能力か……なかなか難しいな。ティノは頑張っているが、《嘆きの亡霊》の宝物殿攻略速度は更に上なのだ。いつまで経っても追いつけないかもしれない。


「私は、一刻も早くティーちゃんと一緒にハントしたいと思っています。しかし正直、まだまだ足りていない部分も多いかと。カバーする方法はあるにはありますが……クライさん、ティーちゃんを私に預けて頂けませんか? 絶対に後悔させません」


 シトリーがもじもじしながら流し目を送ってくる。ティノが隣でカタカタ震えている。

 僕はそこで、いいものを手に入れたことを思い出した。


「あるよ! 身体能力をめちゃくちゃ強化する宝具」


「え!?」


 ティノにピッタリだとは思えないが、試してみるだけならタダだ。魔力もまだ残っているだろう。

 がっくり肩を落とすシトリーと目を丸くするリィズの前を横切り、ガラスケースの一つを開ける。


 中身を取り出すと、ティノが青ざめて一歩後退った。


「え? ます、たぁ……!?」


「この間丁度、手に入れたばかりだ」


 リィズが口笛を吹き、シトリーが花開くような笑顔で手を合わせる。


 取り出したのは、僕が被って以来情けない顔になってしまった『進化する鬼面(オーバー・グリード)』だった。完全にやる気がないのか、こうして持ち上げても全く動く気配がない。ダメな宝具である。


 ティノが激しく混乱している。


「え? ええ? わた、わたし、ますたぁに――え? 冗談、ですよね?」


「見た目は気持ち悪いけど、めちゃくちゃ強いと思うよ? 貴族のお嬢様が中堅ハンターに匹敵する力を手に入れるくらいだからね。あはは…………僕が被ったら、僕の力は上げられないって言われちゃったけど――」


 空笑いを上げてみせるが、ティノはぴくりとも笑わない。


 アークはこの仮面で酷い目にあったと言っていたが、宝具は所詮一つの道具である。使い方によっては問題も起きるだろう。

 ここにはリィズやシトリーもいるし、万が一何か起こっても問題あるまい。外から引き剥がせる事は既にわかっている。


「試しに……ほら、ちょっとだけ使ってみない? 被るだけで発動するらしいよ? 僕も効果をこの目で見てみたいし」


「そんな……ますたぁは、私の事が、お嫌いなんですか?」


 ティノが更に後ろに下がりかけ、いつの間にか背後に回ったシトリーに肩を掴まれる。リィズがキラキラした目で肉の仮面を見下ろしている。


 今起きたのか、タイミングのいいことに、『進化する鬼面(オーバー・グリード)』が嗄れた声をあげた。


『おお、新たな糧か。なんと強靭な魂の芳香だ! 我を讃えよ。その激情を、秘められし力を解放せよ。我は人を進める者。汝が存在、その全てをあらゆる外敵を討つ刃と化そう』


「!? やだ!? ますたぁ、助けて! ますたぁ! 絶対、これ絶対、呪われてるッ!」


「大丈夫。痛くない。痛くなかったよ……僕も被ってみたけど。ほら、安心して。ただの宝具だから。深呼吸して」


「い……いやああああああああああああ!」


 掴んだ仮面から、固定してくれる便利な触手がうにょうにょと伸びる。絹を裂くような悲鳴が僕の私室に響き渡った。


この後、ティノVSリィズ・シトリーの仁義なき戦いが始まったがそれはまた別のお話。


思ったよりも長引きましたが、閑話はここまでです! 次話からは何事もなかったかのように第四章に入ります!

引き続きよろしくお願いします!


/槻影


更新告知:@ktsuki_novel(Twitter)


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