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95 救いの手

 ティノの住んでいるこじんまりとしている家には今、醜い罵声が飛び交っていた。


 家の主であるティノにはどうしようもなく、隅っこの方で身を縮めながらその様子を見守る。

 ハンターとは基本的に宝物殿を攻略すればするほど物理的に強くなるものだ。ただでさえ基礎能力が向上するのに、経験まで積むものだから、格上のハンターに勝利するのは非常に難しい。

 ティノもハンターとしては中堅くらいにはなっていると自負しているが、二人のお姉さまはまさしく格が違っていた。


「勝手にうちのティーを誘惑するんじゃねー! ティーはリィズちゃんが、クライちゃんから預かってるのッ! クライちゃんが、好きに使っていいって、預けてくれたのッ!」


 師匠であるリィズが青筋を立て、甲高い声で叫ぶ。

 その身から立ち上るエネルギーは上位ハンターに相応しく膨大だ。


「それはお姉ちゃんが駄々こねたからでしょッ! 最初は私が貰う予定だったのに――私が預かっていたら、今頃ティーちゃんは空だって飛べてたし、目からビームだって放てる前代未聞のスーパーハンターになってたかもしれないのにッ!」


 それに対し、もう片方のお姉さまがやや低い声で答える。

 前者に比べたら冷静さを保っているが、その身から迸る力は師匠の物と比べても何ら遜色がない。


 同程度の才能の持ち主が、同じパーティを組み、同じような経験をした場合、マナ・マテリアルの吸収量は同程度になる。職こそ大きく違うが、ティノから見ればどちらも似たようなものだ。


 お姉さま二人は尊敬している相手であると同時に、恐怖の対象でもあった。

 普段、宝物殿に命懸けのソロで潜っているティノだが、この二人を前にすれば震えながら事態が収まるのを待つ事しかできない。


「大体、ティーちゃんも変なしごき方してくる師匠よりも、お金持ちで簡単に力を与えてくれる師匠の方がいいよね?」


「あぁ!? 与えられた力に意味なんかねーだろーがッ! 大体、シトは足すだけじゃなくて引くだろッ!」


「対象は選ぶもんッ! ティーちゃんなら自由意志を奪う必要もないし、ちっちゃいから連れ歩きやすいし、ベストでしょッ!?」


「こら、ガキどもッ! いきなり喧嘩するんじゃない、嬢ちゃんが怯えているだろッ!」


 互いに戦意を剥き出しにする二人に、それまで顔を引きつらせて見ていたマーチスさんが割って入る。

 だが、二人の勢いが衰える気配はない。


「あの宝具は、私とティーが見つけたものなのッ! 余計な口出ししないでッ!」


「お姉ちゃんじゃなくて、ティーちゃんの見つけたものでしょッ! ティーちゃんが私に譲ってくれるって言ってるんだから、権利は私にあるはずでしょッ!?」


 言ってないです……シトリーお姉さま。


 反論しようとするが、タイミングよく視線を向けられてしまい、何も言えなくなってしまう。

 腕輪型宝具『踊る光影(ミラージュ・フォーム)』の所有権は完全にティノの意思を離れていた。

 ナイフやドレスも嬉しいが、ティノとしてはそんなに喜ばれるのであれば自分で届けたいところだ。だが、今更返してほしいなどと言っても無駄だろう。


「大体、いつもいつもいいところで割って入ってくんなッ! この泥棒猫ッ! 研究室で引き篭もってろッ!」


「お姉ちゃんがいっつもいっつも迷惑かけるから悪いんでしょッ! 私がどれだけ苦労してもみ消しているか――」


「はぁッ!? それはルークちゃんも一緒だし、大体もみ消してなんて頼んでないからッ!」


「ルークさんの場合は、相手が話せない状態になるから問題ないんだもんッ! お姉ちゃんだけだからッ!」


 ついにリィズが床に落ちた宝箱をシトリーに投げつけ始める。

 一切容赦なしで投げられたそれを、シトリーが錬金術師にあるまじき素晴らしい反射神経を発揮し、テーブルの上にあったお盆を盾代わりにして防いだ。

 弾かれた宝箱が食器棚を破壊し壁に突き刺さる。窓ガラスが割れ凄まじい音が響く。


 ティノは最後の勇気を振り絞り、か細い声を上げた。


「やめてください、お姉さまッ! ご近所から怒られるのは――私なんですッ!」


 運動エネルギーの乗ったティーカップを、ポットを、とっさに両手で受け止める。飛び交う家具の中から割れ物だけを瞬時に判断し、受け止め隅に置く。必死だった。

 今が食事時じゃなくて本当によかった。ポットやカップはともかく、フォークやナイフが飛んできたら怪我をしかねない。


 せめて、マーチスだけは守るべく、飛んでくる物を叩き落とす。

 マーチスは瞬く間にヒートアップした姉妹喧嘩に慄いていた。物が飛び交いながらも、二人は互いを罵るのをやめない。


「だ、誰が渡しても同じだろ……」


「あ、間を取って……私が渡すとかは――」


 もはや二人の耳にはティノの言葉が届いていなかった。

 まだその辺にある物を投げているだけなのでマシだが、放っておくとナイフやポーションを投げ始めティノの家が半壊してしまう。そして、ティノが少ない貯金をはたいて家を直すまでぼろぼろの家の中で過ごす事になるのだ。


 間に入って仲裁することなどとてもできない。師匠もシトリーお姉さまも、ティノ一人が入ったところで手を止めたりしないのだ。

 これを止められるのは同じパーティのメンバーか、あるいはエヴァなどマスターとの交友が深く常識的な感性を持っている人のみである。そして、そんな人は滅多にティノの家に来たりはしない。


 混乱しながらも、必死に流れ弾を叩き落とし、どうするのが最も被害を減らせるか考えていると、その時、ふとティノの耳に玄関の扉が叩かれる音が聞こえた。



§ § §



「ますたぁッ! 会いたかったですぅぅぅぅぅッ!」


 これはどうしたことか。僕はケーキの箱片手に、目を丸くした。

 僕の顔を見た瞬間、らしくないテンションの高い声をあげ抱きついてきたティノを見下ろす。何がなんだかわからない。


 確かにちょっとハードボイルドで気が利くますたぁを見せてあげようと思ってはいたが、まさかここまで熱烈に歓迎されるとは思っていなかった。


 久方ぶりに見たティノの家は凄い惨状だった。

 床に乱雑に散らばった蓋の空いた宝箱に、割れた窓ガラスに食器棚。ちょっと綺麗な廃墟みたいなもんだ。

 お取り込み中だったかな?


 リビングの真ん中には見覚えのあるスマート姉妹が立っていた。

 こちらを見て、なんとも言えない笑みを浮かべている。


 リィズが何故かナイフを握った右手を振り、シトリーが真っ赤に燃えるポーションの瓶を背中の後ろに隠し、頬を膨らませる。


「あ…………クライちゃん、おはよー」


「ほら、お姉ちゃんがわがまま言うからクライさんが来ちゃった――。クライさん、こんにちはぁ」


「こ、小僧、遅いぞッ! とっととこんかッ!」


 シトリーとリィズがティノの家にいるのはおかしくないが、何故か今日はマーチスさんまでいる。

 しかも何故か顔を真っ赤にし、僕を睨んでいた。ケーキ持ってきただけなのになんでこんな状態に……。


 僕はちょうどいい所にあったティノの頭に手を乗せ、髪を梳きながら首を傾げた。

 全然状況がわからないが――。


「取り敢えず……正座だ」


§



「違うんです、クライさん。これには誤解が……」


「あのね、簡単に言うと、シトと、ティーが、私の手柄を取ろうとしたの。ねぇ、私は悪くないよね?」


 シトリーとリィズが二人並んでカーペットの上に正座しながら、言い訳してくる。

 僕は椅子に腰を下ろし、深々とため息をついた。隣ではようやく落ち着いたティノが、何故か尊敬したような目を僕に向けている。


「なっちゃいない。なっちゃいないな」


 状況は良くわからないが、謝罪というのはそういう風にやるものではない。

 謝罪マスターの僕から見れば赤点もいいところだ。


 シトリーとリィズが僕のダメだしを受け、涙目で黙り込む。こうして並べてみると二人が姉妹であることがはっきりわかる。


 昔からシトリーとリィズはしょっちゅう喧嘩をしていた。言い争いから取っ組み合いまで、僕としては見慣れた光景だが、力を得た後も同じような感覚で喧嘩を始めるのだから周りからすれば堪ったものではないだろう。


「ど、どうしてクライさんが…………いや、私達も、本気で喧嘩していたわけではないんです……」


「そうそう。こんなもの、準備運動みたいなものだからッ! ティーも慣れてるし、何もクライちゃんが出てこなくても…………」


 二人は負い目のあるような謝罪の仕方をしていた。僕と違って彼女たちには謝罪する機会など滅多にないのだろう、非常にやりにくそうだ。

 ケーキ届けに来ただけなんだけどな。


 マーチスさんが、借りてきた猫のように大人しくなった二人に呆れたように言う。


「……相変わらず、小僧が弱点なんだな……」


「伊達に付き合いが長いわけじゃないってことだ」


「いや、これはそういう問題じゃ――」


 どうせ今回もリィズが先に手を出したのだろう。何気ないことですぐに手を出すからな……。

 しかし、彼女も決してただの暴れん坊ではないのだ。ちゃんと言って聞かせれば大人しくなるのだ。言っても聞かない事が……多すぎるだけで。


「さすがです、ますたぁ……本当に、本当にありがとうございます。お姉さま達の喧嘩を止められるのはますたぁだけです」


 ティノが目に涙を溜め、尊敬というより崇拝と言った方が近い目つきで言う。

 ごめん。本当にごめん。


「ティー……後で覚えとけよ」


「私は、双方の利益を考えただけなのに……」


 リィズがぎゅっと拳を握りティノを睨みつけ、シトリーが慈悲でも乞うように上目遣いを向けてくる。どうやら反省する気はないようだ。

 何も姉妹喧嘩をやめろと言っているわけではない。喧嘩するほど仲がいいって言うしね……。


 しかし、喧嘩の原因も知らないのに叱るっていうのもちょっと面白いな。

 完全に他人事な気分でいると、僕が黙っている事に何か感じ取ったのか、シトリーが器用に正座したままずりずりと擦り寄ってきた。僕の足元まで来ると、脚を抱きしめ、上ずった声をあげる。


 シトリーはリィズやティノと比べてもスタイルがいい。具体的に言うと、胸が大きい。

 そう抱きつかれると柔らかい感触が当たり、非常に居心地が悪い。


「ごめんなさい、クライさん。迷惑をかけるつもりはなかったんです。もう少しだけ時間があれば、平和的に決着していたはずなんです!」


 僕、胸当てられるのに弱いんだよな……いや、それに強い男などいようか。

 でもあの光景見て、少しだけ時間があれば平和的に決着とか無理だよなぁ。どんな魔法を使うつもりだったのだろうか。


「クライちゃん、私だって、クライちゃんに迷惑かけるつもりは、なかったよ? ティーとシトが少し我慢すればいいだけなのに……」


 リィズがそれに競うように立ち上がり、勢いよく膝に縋り付いてくる。気分だけなら王だ。

 僕は何も考えず、もっともらしく頷き、指を鳴らした。


「うんうん、そうだね……取り敢えず、君たち二人は、掃除だ」


 シトリーとリィズが揃って立ち上がった。状況なんてわからなくてもなんとでもなるという証左であった。


「! 掃除大好きです! がんばります!」


「シト、あんたガラスの手配してきて。私片付けるから。…………次からもうちょっと頑丈なガラスにしないと、面倒くせえなあ」


「お姉さま、もう一番頑丈なガラスで――い、いえ、なんでもないです」


 シトリーが駆け足で出ていき、リィズが床に落ちた食器を拾い倒れた棚を片付け始める。これが初めてではないので手慣れたものだ。

 後はしばらくすれば部屋も戻るだろう。

 僕が今日新たにわかったのは、リィズとシトリーの謝罪が全くなってないという事だけだった。……胸を当ててくるのはとてもいいと思います。


 遠い目をする僕に、ようやく少し復活したティノがおずおずと尋ねてきた。


「そういえば、ますたぁ。今日は何の用事で?」


「ああ。新作のケーキ持ってきたんだよ。お礼にと思ってね」


 いつもリィズやシトリーが迷惑掛けてるし……。

 そう続けようとしたその時、ティノが感極まったように涙を零しているのに気づいた。


「ぐすっ……あ……ありがとう、ございます、ますたぁ。わたし、いっしょうついていきます」


「う、うん。まぁ。そんなオーバーな……ほら、泣かないで……」


 ……今日のティノはリアクションが大げさだな。

 たかがケーキ一個持ってきただけなのに……もしかして、普段からもう少し優しくすべきなのだろうか。


 ティノが鼻を啜り、ぐしゃぐしゃになった目を擦りながらケーキの箱を開ける。中に入った二切れのケーキを見て一瞬目を丸くしたが、すぐに納得したように頷いた。


「さすが、ますたぁです。もう一切れはマーチスさんの分ですね?」


 ???????


 僕のだけど? もう一切れは僕のだけど? マーチスさんがいるなんて知らなかったし。


「けっ。いらん心遣いを……そんな事に気を使う暇があるなら、さっさとお嬢ちゃんを助けにこんか」


 心遣いなんてしてないよ。あげるつもりはないし、いらないならいいじゃん?

 予想外の言葉に固まっていると、できる後輩のティノが即座にフォローを入れてくれた。


「ますたぁは、義理堅い人なのです。そうおっしゃらずに――ますたぁのケーキは絶品です」


「……チッ。そこまで言われちゃ受け取らんわけにはいかんな。……家に持ち帰って孫娘にやるとするか」


「……うんうん、そうだね」


 僕は一体何をしに来たんでしょうか?

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