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82 競売③

 オークション会場は熱気に包まれていた。


 中心の大きなステージを囲むように作られた席は三つの区分に分けられていた。

 主に商会のメンバーや資産家など、一般市民が座るための一般席。トレジャーハンター達が案内される隔離されたハンター席。そして、貴族を始めとした特別に招待された者がつく貴賓席。


 一番騒がしいのはハンター席である。


 ゼブルディアオークションは入場料さえ払えば誰でも参加できるが、一般市民にとって十万ギールという入場料は目的もなく物見遊山で払うには躊躇う程度に高い。そのため、参加するメンバーもどこか気品の漂う落ち着いた物腰の上流階級の人々が多いが、トレジャーハンターは違う。


 十万ギールという入場料はある程度以上のレベルのハンターにとってそこまで躊躇うような金額ではない。もともと、刹那的な生き方をしている者たちなのだ。

 ハンター席は他の席とは様相が違っていた。さすがに武器や飲食物の持ち込みは許可されていないが、血気盛んなメンバーが集まっているだけあり、品のない笑い声や怒鳴り声がそこかしこから発生している。


 ステージがよく見えるように、席は段状に作られていた。僕達が案内されたのはハンター席の中でも高い位置にあったため、ハンター席全体を俯瞰できる。


 ふと数メートル隣で甲高い恫喝するような声があがる。


「あぁッ!? てめえ今、リィズちゃん達の事、見てたなぁ!? どこの手のもんだ? 五秒やる。言え」


「なッ……なにをッ――」


「…………あれ、止めてきてもらっていい?」


 リィズがさっそくすぐ近くの席のハンターを脅していた。


 頭一つ分背の高い大柄な男ハンターの腕を掴みあげ、鋭い目つきで見上げている。小柄なリィズと比べれば相手の男は二回りも大きかったが、青ざめているのは男の方だ。

 握られた腕がみしみしと音を立てている。彼女の力は見た目不相応に強い。腕の一本や二本平気で折るし、躊躇ったりもしない。

 男は苦痛に一歩退こうと身を捩るが、力に差があるのか身体は一歩も動かない。


 僕がつっつくと、隣で我関せずと座っていた大人しい方のスマートが立ち上がり、トラブルメーカーの方のスマートに声をかけた。


「お姉ちゃん、クライさんが泳がせろだってッ!」


「えー、またぁ? つまんない」


「どうせ今ついてる人なんて、たかが知れてるでしょ! ほら、さっさと席ついて」


「……チッ。失せろ。いいか? 次にまたリィズちゃんの前にそのきたねえ面出してきたらぶっ殺してやる」


 リィズが手を離すと、泡を食ったように逃げていく。入場料まで払ってるのに可哀想に……弱肉強食にも程があるだろう。

 騒動に一瞬、場が静まり返っていたが、すぐに喧騒が戻ってきた。この程度のじゃれ合いなんて日常茶飯事なのだ。もうハンターなんてやめたい。遠い所で甘味処でもやって穏やかに余生を過ごしたい。


「ごめんなさい、クライさん。お姉ちゃん、小さい事でうるさくて……」


 シトリーが囁くような声で謝罪してくる。それを聞きつけ、リィズが今度は妹に食って掛かってきた。

 威嚇するように睨みつけながら、シトリーの腕を強く引っ張る。


「シト、私をだしにクライちゃんに媚びるんじゃねえッ! てめえがちゃんと事前に手打ってねえからああいう虫が寄ってくるんだろうがッ! だいたい、何? いつ隣に座る事を許可したの? 触れるんじゃねえ! クライちゃんから半径一メートル以内に近づくなッ!」


「お姉ちゃんが遅いのが悪いんでしょ! お姉ちゃんはちゃんと露払いやって役目を果たしてッ! だいたい、私はお金払ってるし……ねぇ、クライさん」


「はぁッ!? んなの関係ねえーだろーが。ねぇ、クライちゃん?」


「うんうん、そうだね。……あぁ、あれ以外にも色々な宝具が出品されてるな。お……『獅子の鎖』か……うーん……大型の鎖はかさばる割にそこまで強くないからなあ」


 足を組み、入場時に配られたカタログに視線を落とす。


 宝具の名前に特徴、効果、出品者名に鑑定士の名前。危険度。発見場所。

 オークションに出品される品はそれぞれ、専属の鑑定士によって品質が担保されているが、出品された物が確実に本物だとは限らない。そうそうにあることではないが、運が悪ければ大金を払って偽物を掴まされることもある。

 オークションは目利きの場でもあり、コネを構築する場でもあるのだ。


 希少な本や武具、芸術品や宝飾品なども出品されているが、僕が興味を持っているのは宝具だけだ。

 さすが一年に一度のオークションだけあって、ざっと確認しただけでも気になる宝具も幾つもある。


 来年は絶対にお金を貯めて参加しよう。今回は計画性がなさすぎた。


 はるか下の方で、ティノが緊張したようにグレッグ様達と話し合っているのが見える。

 遠く、天井近くに作られた見るからに作りの違う貴賓席で、エクレール嬢が緊張したような表情で座っているのが見える。


 あれだけ話題になったからだろう、目的の宝具は目玉扱いで、出てくるのは後半のようだ。


 決着がついたのか、僕の左隣にシトリーが、右隣にリィズが座る。ようやく少しだけ静かになる。


 そして、ここしばらく僕の頭を悩ましていたゼブルディアオークションが幕を開けた。


§


 ゼブルディアオークションの制度は簡単だ。


 出品された品物にはそれぞれ最低金額が設定されており、それを最低額として、入札希望者が買取額を提示していく。

 価格を上げる最小の単位は品物によって異なるが、十万ギール、百万ギール、一千万ギール単位であることが多い。

 最高価格を上げてから百二十秒、他に値段を上げるものがいなければ最高額を提示した買い手が品を手に入れる事が出来る。

 一度入札してしまえばキャンセルは不可能だ。もしも何らかの理由で品物をその提示した額で買い取れなかった場合、入札者は罪に問われ、重い罰則を科されることになる。


 入札方法は様々だ。値段を書いたボードを掲げてもいいし、声を上げてもいい。決められたハンドシグナルを使う事もできる。


「――はい。それでは、『鏡の盾』は413番様に千五百万ギールで落札されました!」


 万雷の拍手が会場に湧き上がる。その名の如く、鏡のように光を反射する不思議な盾がステージの外に運ばれていく。

 競売の進行につれ、会場のボルテージは燻っていた炎が少しずつ燃え盛るかのように上がっていた。


「さて、続きましては――エントリーナンバー十五番。かの高度魔道具文明、おなじみ、鎖の一族が扱ったとされる宝具の中でも最強を誇る鎖型(チェーンタイプ)の攻撃宝具――」


 司会役の声が脳内で反響している。身体が熱い。

 僕の目的とする品は唯一つだ。だから、それまでに出てくる宝具など前座と呼んでいいはずなのだが、競り合う周りの熱意が伝播してしまったかのように心臓は激しく鼓動していた。


 なぜ、どうして『転換する人面』の順番が後半なのか。もしもあれが前半だったのならば、余ったお金で別の宝具の競りに参加出来たかも知れないのにッ!


「クライさん、顔が赤いですよ?」


「……気の所為だよ」


「大丈夫、絶対に、あらゆる手段を使って、この名に賭けて、アレは私が手に入れてみせます。安心してください。もしも今の資金で買えないのならば……家を売ってもいいです」


 僕の考えている事も知らず、シトリーが拳を握る。とても少し資金を割いて他の宝具の競売に参加させてくれなんて頼める雰囲気ではない。


 激しい後悔が僕を襲っていた。

 クソっ、少しだけでも貯金していれば――いや、ルーク達がさっさと帰ってきていれば――。


 いやまて。そうだ。僕にはルシアの貯金がある。ルシアの貯金があるのだッ! ……ねぇ、本当に、妹の貯金を勝手に使う兄ってありですか?


 そわそわ貧乏ゆすりをしている僕の前で次から次へと品物が出てくる。


 タイミングがいいのか悪いのか、出てくるのは宝具ばかりだ。

 不思議な力を持つ鎖に指輪、水中呼吸を可能とするマントに、一センチだけ宙に浮けるブーツ。天候を七割の確率で当てる水晶玉に、三十センチから三メートルまで刃渡りを自在に変えられる剣。


 欲しい。ぜひとも欲しい。僕は宝具使いではない。僕は、宝具のコレクターなのだ。強くなくても欲しいのだ。


 普段滅多に表に出ない物欲が噴出してくる。

 希少な宝具が二束三文で落札されていく。目玉を後に控えているせいか、お金があったら躊躇いなく手をだしている額だ。

 クソっ、『転換する人面』が安く買えていればそれらも全て手に入っていたはずなのに。


 お前ら投資のために買ってるんじゃないだろうな? 本当に使うのか? 僕は使う。きっと、大切にするから僕にください。


 もういいか。『転換する人面』なんて、もういいか? 質より数か?

 眼の前で見ず知らずの商人やハンターに買われていく宝具を見るのは、まるで好きな女の子が盗られていくのを黙ってみているかのような苦痛だった。


 いや、だがしかしここまで来て――ここで手をだして『転換する人面』の入札で敗北してしまえば、僕はこの件で尽力してくれた皆に合わせる顔がない。


 手が白むほどに力を込め拳を握る。我慢する。気を抜けば声を上げてしまいそうだった。

 何故僕は大富豪じゃないのだ。クソっ、ここが僕の限界なのか?


 ティノがちらちらと僕の方を見上げていた。まるで僕からのサインを今か今かと待っているかのようだ。

 目的の品物は告げているのだが、毎回律儀に確認してくるのは彼女の真面目さ故だろう。だが、今その彼女の美点が裏目に出ていた。


 催促されている。ティノに催促されているのだ。

 ますたぁ、本当にあれ、いらないんですか? ここで手に入れなければ一生手に入りませんよ? というティノの声が、僕には確かに聞こえていた。


 これは幻聴か? それとも真実か?


 【白狼の巣】でウルフナイトに囲まれた時も、シトリースライムの紛失に気づいた時もここまで動揺はしていなかった。

 手に汗握る、などという言葉をはるかに越えていた。両手が震え指先に痺れを感じる。胸を押さえるとまるで全力疾走した後のように激しい鼓動が感じられた。


 喉がカラカラだ。水が飲みたい。

 水が無限に湧く水筒の宝具が欲しいッ! 装備すれば喉が乾かなくなる指輪が欲しいッ! 誰か僕を止めてくれッ! くそッ!


 ティノが――ティノが僕に宝具を買えと言っている。この程度の宝具も手に入れられないなんて、ますたぁのことを見損ないました、と言っている。宝具コレクター失格です、と言っている。


 本当にいいのか? あの『転換する人面』は後輩の期待を裏切ってまで手に入れなくてはならないものなのか?


 汗で湿った髪を掻き上げ、じっとステージを見つめる。選択の時が来ていた。

 『転換する人面』が出てくるのはまだ先だ。これは競売だが、一番の強敵は紛れもなく自分だった。


 自慢じゃないが、僕は身体能力だけではなく精神もかなり弱い。


 ぐっと堪える。息を呑んで堪える。目を閉じ耳を塞いでしまいたい気分だが、そんな事をすれば負けを認めたようなものだ。


「どうしたの? 大丈夫?」


「ッ……ああ。平気だよ」


 リィズが心配そうに僕を覗き込んでくる。


 目を閉じ、自問自答する。


 ああ、僕は戦闘でも役立たずなのにこんな所でもどうしようもない人間なのか?


 いや、否。確かに僕は雑魚だ。雑魚だが、だからこそ、それでも期待してくれる皆の期待を裏切るわけにはいかない。

 たとえば今ここで誘惑に負けて宝具の競りに参加してしまえば、迷惑をかけたマーチスさんやエヴァはなんと思うだろうか? 借金に駆けずり回った僕を見ていたクランのメンバーはどう思うだろうか?


 きっと、僕の事を自制もできないダメ人間だと思うだろう。いや、まぁ自制も出来ないダメ人間なんですけど……。


 何より、シトリーとリィズがどう思うだろうか? 僕がせっかく集めたお金を他の宝具の買い取りに使ったら彼女たちはなんと言うだろうか?




 しばらく考え、僕は目を開き頷いた。


 ………………ああ、そうだね。多分何も言わずに許してくれるね。


 まぁ、お嬢様に言った二億をはるかに超える額集めたんだから、ちょっとくらい使ってもなんとかなるか。

 我慢する方がストレスになるわ。


 いつの間にか身体の震えは止まっていた。大きく深呼吸し、覚悟を決め頭をあげる。

 揺らぐ決意を声を出すことで固める。喉の奥から絞り出した声は酷く嗄れていた。


「時は……来たか」


 良かろう、お前らの暴挙はここまでだ。僕の真の恐ろしさを見せてやろう。

 幼馴染に借金して宝具を買い漁るこの《千変万化》の姿を眼に焼き付けるがいい。


 ちょうどステージに運ばれていたのは黒色の巨大な甲冑だった。


 まるで人が入っているかのように聳え立つその威容に会場が静まり返る。全長、四メートル近く。その身の丈に相応しい巨大な盾と剣もセットで配置されているが、明らかに人間の使うものではない。


 いや、もしかしたらアンセムならば装備出来るだろうか?


 皆が息を潜める中、司会が説明を読み上げる。


「続いてはエントリーナンバー四十四。帝都近辺で最近発見された金属の巨大人形です。ご安心ください、動いたりはしません。武装は一体化しており、鎧兜を分離することはできませんが、問題ないでしょう。全長三メートル九十、内部に空洞なし。特別な金属で出来ている事が判明しております。鋳潰してよし、飾ってよし、剣と盾だけならば武器としての価値もございましょう。もっとも、合計で三トン近くあります、持てれば、の話ですが――こちら、三千万ギールからのスタートですッ!」


 なるほど……武器じゃなくて人形なのか。

 見事な意匠ではあるが……これは……いらないな。飾るところもない。


 ほっと一息つく僕の隣で、ふとシトリーが呆然とした声をあげた。


「あか……しゃ? なんで?」

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